アート

『談』最新号の表紙を飾った木本圭子さんの個展

『談』no.103の表紙を飾った木本圭子さん、2008年「インスタレーション 多義の森」以来7年ぶりの個展が開催されます。今回展示される新作は、「結合振動子、または反応拡散系をもちいた作品実験」の延長線上にあるもので、「臓器を髣髴させるほど有機的・立体的な様相へと変化を遂げている」(キュレーター・四方幸子)とのこと。2005〜2013年まで、断続的に参加した「合原複雑数理(合原最先端数理)モデルプロジェクト/ERATO・JST・FIRST」の成果が存分に活かされた作品になっています。
本展では、新作の他に、「イマジナリー・ナンバーズ」の平面作品(非線形科学をもちいた形態生成)
、ガラスキューブの立体作品も展示されます。
ちなみに、木本さんは『談』no.87(2010年)で、数学者の津田一郎さんと対談をしています。バックナンバーをご覧ください。
祥雲/Shouun OrientalArt
6月30日(火)-7月11日(土) 11:00-18:30

velvet order /ベルベットオーダー・柔らかな秩序 木本圭子展 

久住昌之さんより、展覧会のお知らせです。

『TASC MONTHLY』の表紙(切り絵)とエッセイをお願いしている
久住昌之さんより、展覧会のお知らせです。

以下久住さんのメールを転載
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7月8日(火)より、
信濃町アートコンプレックスセンター内ギャラリーにて
個展「久住昌之のseason56展」を開きます。
7月20日(日)まで約週間。(注意:月曜日は休廊です)
午前11時から午後8時まで。(最終日は午後6時時まで)
無料。

今回は、ボクの油絵、アクリル画、切り絵などいろいろな作品を展示する予定です。
「孤独のグルメ」関係の絵もたくさん描いています。
「season56」というのは、会期中の15日にボクの56回目の誕生日があるからです。

7月8日は6時頃からささやかなオープニングパーティ(無料・差し入れ歓迎)、
7月18日(金)は7時半からスクリーントーンズでライヴ(別室の大きなギャラリーでやります)。
これは1drink付きで2000円いただきます。「孤独のグルメ」のドラマ音楽中心の誰でも楽しめるライヴです。

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気が付けば、オープニングパーティ今日じゃないですか。
みなさん、奮ってご参加ください。

久住昌之のseason56展

辻井喬さんがほんとうに目指したこととは。

新聞、TVなどですでに皆さんもご存知でしょうが、作家の辻井喬さんが、亡くなられました。セゾングループ元代表(堤清二)として80年代、90年代、生活総合産業を掲げ、西武百貨店、西友、パルコを中心に、日本の流通・小売業をけん引してきましたが、一方、総合的かつ革新的な文化運動の推進者でもありました。文学、美術、音楽、舞台、映像といったジャンルで、また、自ら詩人・作家としてさまざまな表現分野にもかかわり続けました。辻井喬さんのこうした幅広い活動を、「戦後日本の文化創造」という観点から位置付け直し、同時代およびその後の時代にどのような影響を与えたかを掘り下げたのが、『談』no.90特集「辻井喬と戦後日本の文化創造…セゾン文化は何を残したか」(2011年発行)でした。セゾングループの拡大路線がバブル崩壊で破たん、グループ企業の経営からは退きましたが、辻井喬さんの目指した文化とビジネスの融合は、2000年代に入っていよいよその意義が問われています。辻井喬さんの業績をたどるとともに、あらためてその思想の深部を捉えることは、意味のあることだと思います。最新号とあわせて、ぜひこの機会にご購読いただくことをおススメします。

 no.90表紙




『談』表紙の作家・片山裕さんの展覧会

『談』no.97より表紙を飾っている片山裕さんの展覧会が15日より開催中です。

TAGprojects 2013-2014 no.07
「片山 裕 展 -コワレモノの系譜-」

TAGprojects2013-2014次回の企画は、グラフィックの世界とアートの世界を独特の技法で表現し、行き来する片山 裕 氏の展覧会です。
デジタルとアナログで描かれた作品はそれぞれ分けることのできない世界で展開されていきます。
キャンバスに残された人の痕跡、電脳から紙に写しとられた人のシミ。
「コワレモノ」、人は何よりもこわれものか。
こわれたときから人は再生のカタチを追い求めるのか。
かつてのキャンバスに直接、絵の具を手で描いた作品からここ4年の間に制作された電脳絵画(コンピューター)まで二元論で語ることのできない「コワレモノ」の世界を展示します。

日時 2013年10月15日(火)〜10月26日(土)10:00-19:00
※20日(日)は休館

◎10月19日(土)
 ライヴペインティング 17:00〜(演奏:横川理彦)
◎10月25日(金)
作家によるレクチャー 17:00〜

展覧会・ライヴペインティング・レクチャーは学外も含め、どなたでもご覧いただけます。
場所 玉川大学3号館ギャラリー(102教室)にて、入場無料
会場アクセス 東京都町田市玉川学園6-1-1
小田急線「玉川学園前」駅より徒歩10分
お問い合わせ 042-739-8119 / visual@art.tamagawa.ac.jp(担当:坂本)
企画・運営 玉川大学芸術学部ビジュアル・アーツ学科
助成 2013年度芸術学部共同研究「大学内オルタナティブスペースの運営による、芸術教育実践の継続研究」による
◎TAG(=Tamagawa Art Gallery Projects)とは
玉川大学芸術学部ビジュアル・アーツ学科及びメディア・アーツ学科の教員と学生が中心になって企画・運営する、主として 美術分野に関するさまざまなプロジェクトの総称です。
*ツイッター tagprojects
*フェイスブック https://www.facebook.com/TAGprojects

片山 裕 展 -コワレモノの系譜- 

『談』に作品を発表していただいた佐合道子さんの個展

『談』最新号では、佐合道子さんのセラミックの作品を3点掲載しました。いつもは、特集の内容と関係するようなしないような、なんとなく連動している、という感じで選らんでいるのですが、今回はまさにドンピシャです。もちろん作家の脳裏に快楽の二文字があったとは思えません。なのに、このシンクロニシティはなんなの。イメージが、セラミックのイメージが直接情動に働きかけるのです。〈快〉の歯車がガタゴトとまわり出し、私たちの情動が暴れ始める。微細なあまりにも微細な錯乱。アタラクシアまであとほんの数歩! こんな経験、めったにできません。ぜひぜひギャラリーで実物と対面してください。
iスペースいそがや
2013年7月6日(土)〜10日(水)
12時〜19時まで(最終日は16時まで)会期中、作家在廊
佐合道子展 昇華 

http://www.isogaya.co.jp/artist/DM-%82%87/2013/IMG_0002DM.jpg

久住昌之さんの切り絵展「Moon&Sun」のお知らせ

『TASC MONTHLY』の表紙に毎回ステキな切り絵を提供していただいている久住昌之さんの切り絵展が開催されます。
久住昌之 切り絵展 Moon&Sun
2013/7/9(tue)-7/21(sun)
11:00-20:00(最終日は18:00まで)
2F ACT1
会場 The Artcomplex Center of Tokyo地下1階 artcomplexhall

新作と旧作を織り交ぜて展示されるようで、『TASC MONTHLY』で切り下ろされた(こんな言い方あるのかしら?)作品もいくつか出品されるとか。

ちょうど誕生日にかかっているので、16日にはスペシャル企画として「バースデイライブ」もあるようです。
久住昌之のBirthDayライヴです。
Open 19:00 / Start 19:30〜
\2,000(1drink付)
会場 The Artcomplex Center of Tokyo地下1階 artcomplexhall

久住昌之 切り絵展 Moon&Sun 

新井卓さん一名(一組)一時間の予約制ギャラリーで展覧会

『談』でポートレイトを撮影していただいている新井卓さんが、4月24日(水)より、東京蔵前のギャラリー空蓮房にて個展を開催します。
浄土宗長応院内にある空蓮房は、一名(一組)一時間の予約制でひとりずつ、作品と向き合う特異な空間です。ここで、一度きりの試みをおこないます。no96「傷みの声を聴く」に掲載されたダゲレオタイプの作品「被爆ピアノ」も展示されます。この機会にぜひごらんください。
ところで、ビッグニュース! ニューヨークで開催された「イメージ・オブジェクト・エキジビット」展で、新井さんのダゲレオタイプの作品「福島、三春」が大賞に選出されました。おめでとうございます。

ギャラリー空蓮房 

写真家の新井卓さんの個展が開催されます。

ポートレイトの撮影などでお世話になっている写真家の新井卓さんから個展のお知らせをいただきました。
今年春広島にて、調律師の矢川光則氏と崔善愛さんの協力のもと制作した「ミサコの被曝ピアノ」 のD-type、大石又七氏(元第五福竜丸乗組員)のポートレイト、さらに新たな試みである第五福竜丸の「多焦点モニュメント」など未発表の新作が展示されます。

新井卓「百の太陽に灼かれて/BEING EXPOSED IN A HUNDRED SUNS」
【入場無料】
2012年12月21日〜2013年1月13日まで
期間中の(木、金、土、日)午後3時〜午後8時まで
※12月30日(日)〜1月9日(水)は休み
展覧会詳細はこちらをご覧ください。
↓↓↓↓↓↓以下詳細↓↓↓↓↓
新井卓「百の太陽に灼かれて/BEING EXPOSED IN A HUNDRED SUNS」
KEN >>ACCESS
Dec. 21 (Fri) 2012 – Jan. 13 (Sun) 2013
Open: Thursday to Sunday, 3 pm – 8 pm
Close: Dec 30 – Jan 9
【入場無料】
2012年12月21日〜2013年1月13日まで
期間中の(木、金、土、日)午後3時〜午後8時まで
※12月30日(日)〜1月9日(水)は休み
詳細情報 http://www.kenawazu.com/events/#expose2012
●オープニング + トーク
12月21日(金) 午後6時より
崔善愛(ピアニスト)+新井卓
●クロージング + トーク
1月13日(日) 午後6時より
岡村幸宣(丸木美術館学芸員)+新井卓
各回トーク参加費/1000円(1ドリンク付)※予約不要

「EXPOSE 死の灰」と題した展示&ライヴを2011年の5月に行った。ここでは、写真と版画、そして、第五福竜丸展示館の資料、船上に降った「死の灰」そのものを中心に置き、異なるジャンルのアーティストによるパフォーマンスやワークショップ、今を見極める少数派の美術館学芸員らによる貴重なトークが展開した。2012年、あれから一年と少し。私たち個々の中で何が変化しつつあるのか。日本における「核問題」はもちろん、世界はクライシスの最中にある。しかし、それを自覚することなく、日常が過ぎてゆく。魂の所在が見えない時代。乾燥した砂漠のような世界。この時に、その「今」をどう表現することができるのか。
『EXPOSE 2012』。これは、三名の新鋭アーティストが、それぞれ別のタイミングで、異なるセンスで、その「今」に挑戦するエキジビションだ。三者が連続的に展示をする最中、魂のかたちを感じさせる新鮮な発見が起こることを期待する。(KEN主宰、粟津ケン)

企画制作: KEN 新井卓 design: 上浦智宏(ubusuna)
装置:菊田鉄男(kWorx)
協力(順不同、敬称略): 都立第五福竜丸展示館、矢川ピアノ工房、大石又七、崔善愛、岡村幸宣(原爆の図丸木美術館)、フォト・ギャラリー・インターナショナル

http://www.takashiarai.com/wordpress/?p=1963

「聖なる煙に導かれて」が好評だった西江雅之先生の写真展開催

『TASCマンスリー』に1年間「聖なる煙に導かれて」というテーマで連載していただい西江雅之先生の写真展が開催されます。「自分の皮膚の外側はみな異郷」という爛魯瀬靴粒惻圻畧捷樟萓検⊇蕕梁腟模な写真展です。
「異郷 西江雅之写真展」会場:世田谷文化情報センター「生活工房」3、4F
会期:2002年5月25日(金)〜6月17日(日)会期中無休
時間:11時〜19時

『談』の表紙でその独自の世界を展開する高津戸優子さんの個展が開催されます。

『談』の表紙でその独自の世界を展開する高津戸優子さんの個展が開催されます。
高津戸優子さんは、ドイツ・ミュンヘンを拠点に作家活動をされていますが、今回の個展に合わせて、一時帰国されます。期間中は会場にも在廊されるようで、僕もご挨拶がてらギャラリーに出向くつもりでいます。
今回の個展ではパステル調の人物を描いた油彩作品を中心に展示されるようですが、『談』表紙に使用させていただいたドローイング作品も展示の予定。また、『談』の販売も行います。
この機会にぜひ原画をご覧ください。
個展「森マスター」 2012年2月20日(月)-3月3日(土) 「ギャラリー坂巻」にて

木本圭子さん、展覧会のお知らせ

『談』no.87で数理学者・津田一郎先生と「自然の内側にあるもの…なぜ、人々は、時間に魅了されるのか」というテーマで対談をされたアーティスト・木本圭子さんの参加する展覧会が開催されます。

タイトル:MEDIA GEIJUTSU  – Flow & Bright –
会期:[ Flow ] 2012年 1月25日(水)〜 2月 7日(火) 14日間
    出展作家(予定):木本圭子《Imaginary Numbers》《多義の森》
             児玉幸子《突き出す、流れる》《モルフォタワー》
    [ Bright ] 2012年 2月10日(金)〜 2月26日(日) 16日間
    出展作家(予定):plaplax、クワクボリョウタ、トーチカ
会場 : EYE OF GYRE / GYRE 3F
    東京都渋谷区神宮前5-10-1 TEL:03-3498-6990


開催趣旨:趣旨 :文化庁メディア芸術祭アート部門を中心に、日本人大賞受賞者にフォーカスした展覧会です。メディア芸術祭は1997年にはじまり、今年15周年を迎えていますが、世界中のメディアアーティスト達から作品が集まる中で、 日本人の大賞受賞者は限られています。世界の中で彼らは何故評価されたのか?本展では彼らの作品を通して、日本人らしいテクノロジーの使い方と、新しい感性によって作り出された表現の数々を紹介します。機能的価値を追求してきた日本から、文化的価値をあわせもった新しい日本の在り方を考えるきっかけになるものです。

龍谷大学名誉教授・杉村昌昭さんの最新訳書。

『談』でガタリの現代的意味を語っていただいた杉村昌昭さんの最新訳書が昨年末に発刊された。ドゥルーズの愛弟子ジャン=クレ・マルタンの『フェルメールとスピノザ 〈永遠〉の公式』。フェルメールの描いた『天文学者』のモデルはスピノザではないかという仮説をもとに、スピノザとフェルメールの世界観、また、その共通性を炙り出すという意欲的な一書。この仮説は以前からささやかれていたことなので、正直それほど驚きはなかった。が、スピノザ思想の核心であるコナトゥスについて、フェルメールの絵画を媒介にすると、こんなにわかりやすくなるとは、むしろそっちに驚いた。前著のゴッホ論でいかんなく発揮された現代思想をサスペンスとして語る手法。今回も成功していると思う。日本人のフェルメール好きはつとに有名だが、そんなフェルメールファンにも面白く読める一書だ。今、東京で開催されている「フェルメールからのラブレター展」では「手紙を書く女」他2点が来日中。ちなみに、「手紙を書く女」を見れば17点。僕のフェルメール全踏破の目標は、やっと半分だ。
フェルメールとスピノザ 〈永遠〉の公式
フェルメールとスピノザ 〈永遠〉の公式
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写真機に生成変化した写真家の展覧会

畠山直哉さんの個展「Natural Stories」にいってきました。じつは、開催前日の内覧会にも行ったので2回目です。あらためてじっくり見て、一つわかったことがありました。畠山さんの写真とカメラ・オブスクラの関係です。われわれが考える以上に両者は深く結びついている。会場入り口横に、カメラ・オブスクラを使って自らが描いたドローイングが展示されています。このドローイング、一見作家の遊び心から生まれたもののようにも見えるのですが、さにあらず、畠山さんの写真制作の本質にかかわる作業なのです。今回作家の生まれ故郷である陸前高田市を撮った写真が展示されています。震災と津波の爪痕が痛々しく残る風景の連作とともに、この10年間何度か訪れその際に撮られたと思われる風景が、スライドショーのかたちで展示されていました。それを見た瞬間、これはカメラ・オブスクラの中に入り込むことで捉えることのできる写真だと思ったのです。額装されたモニターに次々と写し出される写真。そこにあるのは、まさに自らが写真機となり、オートマティックにシャッターを切ることによってのみ可能な日常の風景です。思えば、畠山さんのスナップ写真をまともに見たのはこの展覧会が始めてでした。畠山さんは、「ライム・ヒルズ」「アトモス」「もうひとつの山」「ブラスト」と次々に問題作を発表してきました。風景写真のイデオムを根底からひっくり返してしまったその作品は、しかし、写真機それ自体に生成変化した写真家の拡張された世界像だったのです。「ブラスト」=爆発写真を見てほとんどの人が口にするのは「これ、だれが、どこで撮ってるの?」。代わりに僕がお答えしましょう。まさにあの爆発現場のただ中で、僕=写真機自身がシャッターを切っているんだよ。……そんな妄想がわき上がる展覧会でした。ちなみに、畠山さんは『談』no.64「視覚論再考」で佐々木正人さんと対談をしています。また、no.71「匿名性と野蛮」で写真作品を掲載しています。
畠山直哉展 Natural Stories ナチュラル・ストーリーズ

連続トークライブ「オーガナイザーの60年代」開催!!

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吉祥寺sound cafe dzumiにて
連続トークライブ「オーガナイザーの60年代」
を開催いたします。
日本のラディカル・カルチャーがいっせいに開花した60年代。
その仕掛人たちをお招きして、
当時の状況、文化が誕生する瞬間について
じっくりお話しをお聞きするという企画です。
第1回は、副島輝人さん。
6月19 日(日)16時30分開演です。
みなさまどうぞお誘い合わせの上ご来場お待ちしております。

『談』最新号「辻井喬と戦後日本の文化創造」3月7日発行!!

『談』最新号 特集「辻井喬と戦後日本の文化創造 セゾン文化は何を残したか」3月7日に発行になります。 2010年12月6,7日 JTアートホール アフィニスで行われた公開対談の完全収録版。〈対談 1〉セゾン文化の胚胎、虚構の時代の始まり◎大澤真幸×辻井喬〈対談 2〉サブカルチャーとメディアの進展◎香山リカ×辻井喬〈対談 3〉戦後日本文化とセゾンの80年代◎北川フラム×辻井喬  ナビゲーター・毛利嘉孝表紙は、セゾン文化にゆかりの深い吉澤美香さんです。差し込みは、セゾン美術館の展覧会を撮影されてきた安斎重男の写真作品。ジョン・ケージ、ジョージ・シーガル、ヨーゼフ・ボイスのポートレイトです。 『談』no.90広告

応募定員にたっしましたので募集を終了させていただきました。

12月6日(月)、7日(火)に開催する『談』公開トークセッション「辻井喬と戦後日本の文化創造」は、11月7日に応募を締め切らせていただいております。応募定員にたっしましたので募集を終了させていただきました。多数のご応募ありがとうございます。

公開トークセッション「辻井喬と戦後日本の文化創造」のお知らせ。

募集定員に達しましたので、受付を終了させていただきました。多数のご応募ありがとうございます。

みなさんお久しぶりです。

またしても長い眠りについてました。この間、ご著書を贈呈していただいた先生および版元の皆さま、すみません紹介していなくて。露出のタイミングがズレてしまいプロモーション効果は期待薄ですが、これから、ちゃんと紹介しますので、ご容赦ください。次号の特集は「地の理(ことわり)…ゲニウス・ロキ再考」。インタビューはすでに終了していて、ただいま執筆・編集中。11月末の発行目指して、鋭意奮闘しています。今しばらくお待ちください。

さて、今日は、重要なお知らせです。

きたる12月6日(月)、7日(火)に、『談』公開トークセッションを行います。題して「辻井喬と戦後日本の文化創造」。辻井喬(=堤清二)氏、大澤真幸氏、香山リカ氏、北川フラム氏、毛利嘉孝氏をパネリストに、日本の80年代文化についてセゾン文化を切り口に掘り下げるという企画です。辻井喬氏は、これまで経営者という立場からバブル経済前夜の80年代について語ることは多かったですが、今回初めて、セゾン文化について真正面から語ります。西武流通グループと名乗っていた時代、西武はさまざまな形で文化全域に刺激を与えていました。しかし、「セゾン」という名を名乗るようになる80年代後半から90年代にかけて、そのパブリックイメージとは裏腹に、文化創造という観点からみる限り、明らかに後退を余儀なくされていました。辻井喬氏が目指そうとしていたものはなんだったのか。なぜそれは志半ばにして挫折せざるを得なかったのか。当事者である辻井喬氏ご本人にその真相をお聞きしながら、さまざまな可能性を開いた日本の80年代について、検証します。

この公開トークセッションに150名様を無料ご招待いたします。詳細は、添付のフライヤーをご覧ください。

公開トークショウ「辻井」表

公開トークショウ「辻井」裏

会期あとわずか。『MOTアニュアル2010:装飾』展観てきました。

「反復と持続」、結局のところ、僕がずっと追い求めてきたものは、そして、現在ただ今追究しているテーマも、うんと端折って言えば「反復と持続」なのです。書庫の奥にしまわれていた学生時代につくっていたミニコミ誌(そんな呼び方があったなんて若い人は知らないでしょう)。そいつをひっぱりだしてぺらぺらめくっていたら、「反復と模倣」というタイトルの小文を発見。なんのことわない、僕は同じテーマを、それこそ繰り返し(反復)、トレースし(模倣)、やり続け(持続)ているのでした。いや、もっと正確に言えば、それしかやっていないです。反復と持続というテーマを、持続的に反復し、その反復されたものをさらに模倣し反復させる。マニエリスティックかつ迷宮的思考、自分でいうのもなんですが、『談』の編集姿勢は、まさにこのマニエラ的態度にあるといっていいでしょう。東京都現代美術館で開催されている『MOTアニュアル2010:装飾』を観ました。季刊『嗜み』(文藝春秋発行)で、管啓次郎さんと五十嵐太郎さんに展評を頼んでおきながら、会期終了間際になってやっと観たなんていったら、いろいろ尽力していただいた主催者に怒られてしまいそうです。紙面を借りて「どうも失礼しました」。それはともかくとしても、展覧会自体はとてもすばらしいものでした。10人のアーティストが、このテーマの下、思う存分想像力を働かせ「装飾」の成り立つ領野を切開する。現代において「装飾」はいかなる意味をもつのか、アプローチも手法も全く異なるものの、それぞれの作品は、この問いへの回答として収斂していく、僕にはそう見えました。そして、何よりも僕を喜ばしたのは、その答えの一つが「反復と持続」であるように思えたからです。装飾をあたかも悪の化身と見なしたアドルフ・ロース。その呪縛に悩まされ続けたのは一人建築だけではありませんでした。構造とシステムから成り立つほとんど全ての表現行為に対して、それは枷となったのです。ポストモダニズムとは、その呪縛からの最初の突破口ではありました。装飾性をあえて反語的に打ち出すその戦略は、しかし、かえってモダニズムの正当性を逆に擁護することになる。モダニズムが嫌う装飾性とは、装飾という記号であり、オーナメントという構造でした。装飾性の内部にあるシステムの方は、生成そのものであり、構造とある場面では対立すらするものです。ポストモダンは、モダニズムに始めから包摂されていた思考だったのです。装飾性の枠から、記号性や構造を追い出し、システムにのみ定位すること。言い換えれば、反復し続け、模倣し続けること。自らを模倣し、その模倣(した自身)に再参入する。なんのことはない、これこそ僕がずっと考え続けている「反復と持続」のことなのです。山本基さんの塩による迷路、塩保朋子さんの切り絵がつくりだすレースのような世界、森淳一さんの空隙へ向かう彫刻、小川敦生さんの終りなき一筆書き……、いずれも「反復と持続」が描き出すシステムであり、モダニズムの内部にあだ花のように現出してしまった装飾性という魔物そのものなのです。 「MOTアニュアル2010:装飾」 いよいよ、今月11日△泙如最終日には、山本基さんの作品にちなんだこんなイベントもあります。↓ 「クロージングイベント:海に還る」

医学と芸術の魔術的合体。大注目の展覧会がもうすぐ開催されます。

カバー、表紙まわりの色校正もOKが出て、1ヶ月近くずっとかかりっきりになっていた森美術館の図録制作もいよいよ大詰め。解説テキストを編集し入稿すれば、とりあえずカタチが見えてくる。なんとか28日のオープニングに間に合いそうだ。森美術館で開催される「医学と芸術:生命(いのち)と愛の未来を探る ?ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト」展。今年最後にして、大注目の展覧会にになることは間違いありません。刮目して待て!!
「医学と芸術:生命(いのち)と愛の未来を探る ?ダ・ヴィンチ、応挙、デミアン・ハースト」

小さな町が世界とつながる。

八雲村(松江市との合併前)の前村長・石倉徳章さんにご自宅でインタビュー。八雲国際演劇祭開催に至る迄の経緯などをお聞きした。地方の小さな町で国際演劇祭を開催する。そんな大それた夢を実現するには実行力と想像を絶する努力が必要だ。そして、開催者と市民と行政との強い絆がなければならない。なによりも、行政の支援があるのとないのでは全然違う。小さな町がお芝居を通じて世界へとつながる。そんな回路がどうやって開かれていったのか。いえることは、カリスマ的な人材がいればいいということではなく、だが、そういう人材なしには絶対になしえないということだ。石倉さんが大変なアイデアマンだったことも幸いした。ところで、ご自宅の玄関の前には枯山水風の庭。低い塀ごしに小川が流れていて、夏の初めにはたくさんの蛍がやってきて光の饗宴をこうじるそうな。蛍の季節にまたあそびにきたいとホンキで思いました。大社より古い神魂神社にお参りし、松江城をぐるっと取り巻く堀川を小舟にゆられて遊覧。町を水辺の視点から仰ぎ見ると、また違った顔を見せるものだ。思えば外堀から隅田川まで都内の水路を船で巡ったのは、それがまだ観光ルートにものっていない頃のこと。お茶の水橋を川面から仰ぐと、それがずいぶんと高いことに驚かされた。今度は、水都・大阪を船巡りしてみたいものだ。

辻井喬さんと北川フラムさんの対談が実現した。

詩人の辻井喬(堤清ニ)さんとプロデューサーの北川フラムさんという超ビックなお二人の対談。いちおう僕が司会進行役のつもりでいたら、北川さんが聞きたいことがたくさんあるので僕からぜひ質問させてほしいと。驚いたことに辻井さんまでも、僕もおしえてほしいことがあるからと。結局、お二人に任せることにした。北川さんでなくとも、70年代、80年代、90年代と西武(セゾン)文化に影響されまくっていた人間は多い。その西武文化を回顧しながら、日本における文化と創造行為についてたっぷり話し合っていただいた。北川さん普段はとても鼻息が荒いのに、今日はじつに謙虚な態度で、お言葉を拝聴するという感じだったのが面白かった(失礼)。一通りすんだところで、僕もいろいろ質問させてもらった。ぼくの結論としては、堤さんはやはり生粋のモダニストで戦後世代の良識派知識人。モダンなものが文化の先端であった時は良かったけれど、ポストモダンの時代になって、それは内部破綻を起こす。西武文化イコール堤さんというわけでは全くないけれど、堤さんの絶対矛盾の自己同一的な側面(失礼)は、その方向をより強烈に推し進めてしまった。一方、フラムさんは、徹底的にフィールドの人だ。そうした堤さんをいわば仮想敵にしつつ、周辺へ、境界領域へ、マージナブルところへその触手をどんどん広げていった。そして、本当の地方の時代が始まった。文化の中心は、もはや中心にはない。そしてどうなったか。北川さんの文化戦略が勝ったのである。少なくとも、越後妻有トリエンナーレと今年から始まった「水と土の芸術祭」を見る限り、僕にはそう見えた。

新潟「みずつち」、グルっと回って150km。

「水と土の芸術祭」取材2日目。実行委員会事務局の長谷部原さんのアテンドで本日は作品を見て回る。撮影取材をさせてほしいとお願いしたところ、わざわざクルマを出してくれたのだ。宿泊した岩室温泉を出発、市内を北上する。人工池に建てられた摩訶不思議なワラの家、クイビーン・オフラハラ「'Fifteen Degrees South'」(福井)を皮切りに、アン・グラハム「Shinohara's House」(五ケ浜)→土屋公雄「海抜ゼロ」(上堰潟)→北川貴好「物質/水/自然が再生し繋がっていく土地」(赤塚)→河口龍夫「関係‐蓮の屋敷・関係‐蓮の池・関係‐記憶の土蔵」(旧齋藤家・夏の別邸)→松本秋則「音の風景‐松浜編」→ステイシー・レビー「RIVERINE」(阿賀野川河川敷)→酒百宏一「水の記憶プロジェクト」(旧木津小学校体育館)→栗田宏一「SOIL LIBRARY/NIGATA」→大岩オスカール「人と水と土の叙事詩‐新潟」、高あみ「すばらしい日々」、田中直志「ハンチクのベンチ」(以上新潟市美術館)→マーリア・ヴィルッカラ「INTERVALS」(旧栗ノ木排水機場)→磯辺行久「栗ノ木排水機場は近代農業土木の原点となった。」を次々に鑑賞。最後の磯部さんの作品を見る頃には、どっぷりと日が暮れていた。走行距離にして約150km。それでも、今回の出品作品の1割も見ていないはずだ。とても一日で見て回ることなど不可能だが、それでも、「みずつち」の神髄には触れられたと思う。とにかく、どの作品にも「ちから」が満ち溢れていた。勇猛なちから、静かなちから、響くちから、内面へ働くちから…。改めて、アートが本来もつそうした「ちから」を強く感じた取材だった。長谷部さんほかスタッフのみなさん、ありがとうございました。

大好きな中村宏さんの多摩川での仕事を見る。

府中の森公園内にある府中市美術館で開催している「At/From Tamagawa1964-2009」展を見る。アートの現場としたの多摩川という多摩川を拠点にあるいは対象に創作活動をした現代美術の展覧会。中村宏のやっていた「観光芸術研究所」の初の野外展、日野市の中央線高架下の多摩川での展覧会(1964年)のビデオ上映やその時のパンフ類などが展示されている。立石紘一(タイガー立石)の富士山、山中信夫の多摩川に川を映す作品、高松次郎の石にナンバリングする作品など、60年代、70年代の作品が面白い。新しい作家の最近作も展示されていたが、なんか付け足しのように見えて面白くなかった。あらためて、60年代の現代美術について、真剣に考えてみようか、という気になりました。

いったいどこまでいってしまうの、木本圭子さん!

鷺宮の駅前で今福龍太さん木本圭子さんと合流。21世紀スポーツ文化研究所へ。湘南在住の今福さんが本日上がったばかりの新鮮魚介を刺身にして持ってきてくれた。それと秘蔵の黒糖焼酎。しばらくして、もう一人の女流作家・面打師柏木裕美さん来所。いよいよ本日の目的である木本さんの新作のプレゼンテーション。モニターに表れた図像は、予想をはるかに超えたものだった。常に、進化を続ける作品。テクノロジー・アートの最高賞をとった時、ついにここまできたかと驚嘆したが、あれから2年彼女はやはりそこに留まってはいなかった。えっ、またまたこんなんなっちゃったの?! もうただただ驚愕。静止画像にする必要性すらなくなった。運動それ自体がヴィジュアル化してしまったのだから。いったいどこまでいけば気がすむのだろうか。所長の稲垣正浩さん、柏木さんともどもあっけにとられていた。そして、その画像がどうやってつくられたか、その種明かしで、またおふたりの頭上に「?」が三つも四つも…。そのあと、プレゼンテーションの感想、印象を言い合って、ディスカッションとなった。いささか挑発的な物言いをしたのがよかったのかもしれない。それぞれがそれぞれの立ち位置と持論をたたき合わせる。充実した議論になった。最後、ぼくは彼女の作品をパッケージ化してPCごと販売するというアイデアを披露。ネットにつなぐことをあえて禁じ、木本さんの画像しか走らないように機能特化し、一人あそびのツールにしてしまうというアイデア。それを限定10台というように、あくまで台数単位で売る。一台50万円なら、これで500万円。つまり、PCはこの場合額縁にあたる。まさしくウィンドウズというわけ。アート・マーケットのあらたなビジネスモデルとなれば面白いのになぁ。

二度あることは三度ある、とはいえ、すっぽかされるのはねぇ。

明治大学のHT教授と待ち合わせたが、みごとにすっぽかされた。同席した森美術館キュレーターのT女史は渡すべき資料を抱え、また、平凡社のSさんはケツカッチンで落ち着かず、待つこと2時間。研究室に連絡してもご返事なし。結局仕切り直しということでとりあえず散会することに。しかし、待っている時間、お互い自分のことをいろいろ話すと、共通の知り合いが何人もいることが判明。知り合いの知り合いをたずねていくと5人目で必ず共通の友人にいきあたるという法則があるけれども、まさにそれを地で行っているようだ。Sさんが今担当している2冊の書籍の著者が、いずれも良く知っている人と最近インタビューした人だったのには驚いた。良く知っている人は、『談』でインタビューをさせていただいたのをきっかけに、かなり親密におつきあいをさせてもらっている人だ。T女史の大学院時代の先生も、『談』で何度かお世話になった人だった。世の中せまいですねぇと盛り上がり、すっぽかされても、時間は無駄になりませんでした。(じつは、翌日ご本人と連絡がとれて、聞けばその時間、事故発生で対策にてんやわん、連絡どころではなかったらしい)。ちなみに、T先生とは都立大学(現首都大学東京)時代に一冊聞き書きの本をつくったのだけれど、その時も一度すっぽかされたことがありましたっけ。

「写真ワークショップ in 三鷹天命反転住宅」のお知らせ

明日いよいよ『談』公開連続対談「トポロジカル・トーク・セッション」が開催されますが、会場の「三鷹天命反転住宅」で写真家・伊奈英次さんがワークショップをやります。テーマである「重力に支配されない写真映像」とは、この場所を強く意識したもの。この場所だからできる企画です。ご興味のある方、ぜひご参加下さい。ちなみに、伊奈英次さんは、明日の公開連続対談で、パネリストのポートレイトを撮影します。
【写真ワークショップ in 三鷹天命反転住宅】

連続対談の会場「三鷹天命反転住宅」とはどんなところか。

『談』公開連続対談「トポロジカル・トーク・セッション」が行われる「三鷹天命反転住宅」とはどんなところか。なにを隠そう今回のトーク・セッションは、この場所でやることに大きな意味があるのです。
「三鷹天命反転住宅」とは、正式名称を「三鷹天命反転住宅 In Memory of Helen Keller」といいます。
芸術家/建築家の荒川修作+マドリン・ギンズによって設計された、全部で9戸からなる集合住宅。瀬戸内寂聴さんが「極彩色の死なない家」と称したように、外装内装に14色を使用し、球体や立方体が組み合わされた誰も見たことのないような形態が目を引きます。何よりもこの建物の大きな特徴は、訪れた人の身体を揺さぶる感覚が、人間の持つ可能性に気づかせてくれることにあります。とにかく内部空間が面白い。この特異な内部空間をめいっぱい使って、物理空間に負けないような言語空間を創造する、それが今回のもう一つの狙いなのです。
「三鷹天命反転住宅」

休憩時間に、屋上に上がれるといいかも。

「三鷹天命反転住宅」へ。ABRF(荒川修作さんの東京ブランチ)の担当者の案内で会場になる部屋を視察。この部屋は前回行った見学会の対象となったところ。どこで講演してもらうか、観覧者はどこにすわるか、などを打ち合わせる。夏なので裸足がかえって気持ちが良いかもしれない。なにせ、ゆかはでこぼこのたたきですから。ただ、30人近く集まると、人いきれですごいんじゃないか。長時間になるので、途中換気が必要だろうと具体的な話。おそらく対談は、部屋の中央に配置されているキッチンテーブルでおこなわれることになりそうだ。キッチンでディスカッションって、かっこよくないですか。1階事務室でタイムスケジュールに合せて検討。ひとつ重要な案件としてはトイレ問題。会場となる部屋にはトイレが備えられているが、そこでようをたすことはかなり勇気がいると思う。どうしてかは、実際にトイレを体験してもらはないとわからないので、ここでば言わない。一つの解決策としては、掃除機の音で音をかき消すこと。???、なんかすごいでしょう。前回の見学会では雨だったためにのぼらなかったが、今日は天気なので屋上に上がる。屋上緑化が施されていて緑もあり、遠く調布や三鷹、吉祥寺まで見渡せる。ディスカッションの当日は、休憩時間に屋上にあがれるようにしようと提案。

知そのものに喜びを見出す人。

エスタシオン・カフェで柳澤田実さんに面会。7月のイベントの打ち合わせ。萱野さんが言っておられたとおりの才女でした。仮説をポンポン出して、どんどん検証していく。PCを立ち上げて、レンブラントが、じつは当時の教会権力の構造を、登場人物の布置によって表現していたことを発見した、と熱く語り出したのには驚いた。こういう、知そのものに喜びを見出す人がいるというだけで僕もうれしくなる。それとなにより、『談』のかなり古くからの読者だったということがわかって、それもうれしかった。7月に予定しているイベントが、ますます楽しみになってきた。

和魂洋才とは、結局のところ内包量の問題だった。

高木史朗著『レビューの王様…白井鐡造と宝塚』」を読み直す。小林一三が「国民演劇」に託した意味を高木さんは推理しているが、それによれば、小林は真に日本に根ざした歌劇の誕生を夢見ていたらしい。和魂洋才は、決して恥じることではなく、むしろそこから新しい日本文化は生まれるだろうと確信していたのだ。これは、もとより歌劇だけに特有なものではない。戦後の現代美術、現代音楽、映像、音楽、ダンス…、すべての創作活動に共通することだろう。形式と内包量の問題だ。形式は真似事でも極端に言えば、フェイクでもかまわない。そして、その内容もオリジナリティというよりは、質が問題になる。つまり、クオリティなのだ。質とはこの場合強度のことをいう。宝塚の類い稀なる面白さは、やはりその強度にあった。すでに25年も前に、宝塚の魅力は、直感的に「愛のシンクロトロン」と言ってみたことがあるが(拙著「天使の誘惑」『小説月光』所収)、まさにそのことが裏付けられたのである。

エレクティックこそ20世紀的デザインの特徴だった!?

目黒区美術館へ。「上野伊三郎+リチ コレクション展」の内覧会とレセプション。さっそく展示を観賞。2人(夫婦)は、日本の近代建築史やデザイン史に名をきざみながらも、その活動、作品はほとんど知られていなかった。今回の展覧会は、それらがじつはちゃんと保管されていて、始めてその全貌を明らかにするというもの。まさに、幻のコレクションなのだ。感想をひとつだけいうとすると、伊三郎の鉄とコンクリートによるモダニズム建築(外装)の内部(内装)に展開するリチのアールヌーヴォを思わせる有機的でファンタジックなデザイン、その一見相反するデザイン志向が壁1枚で共存しあう。なんともスリリングな試み。ウィーン工房の装飾性とバウハウス方式ともいえる機能主義が、じつは水と脂の関係ではなく、むしろそのあり得ない融合によって新しい感性を生み出してきたのではないか、ということに気がついた。それこそ、20世紀的デザイン、新たなエレクティックの誕生である。これは、今考えている「かわいい」に通じるところがあるんじゃないかという仮説も。
上野伊三郎+リチ…コレクション展
  ウィーンから京都へ、建築から工芸へ

「クール・ジャパン」の現状と未来は、なかなか厳しいかもしれない。

『TASC monthly』に掲載する今年度第2回の公開対談をやりました。テーマは、「オタクは日本を救えるか……「クール・ジャパン」の現状と未来」。出席者は、マンガ評論家の永山薫さんと同じくマンガ評論家で武蔵野美術大学非常勤講師の伊藤剛さん。
「マンガ」「アニメ」「ゲーム」などのコンテンツを「クール・ジャパン」と称し、国策として世界に売り出そうとしています。「クール・ジャパン」、その中核にあるいわゆる「オタク」文化は、はたして本当にグローバルになれるのでしょうか。
オクシデンタリズム(反西洋主義)/ナショナリズム、萌え、ハリウッド方式、キャラ、文化産業論、セクシュアリティ……といったキーワードを手がかりに、主に「マンガ」を中心に、「クール・ジャパン」の現状、問題点、将来像について議論していただきました。
「マンガ」において常に問題となる表現と規制の関係は、たばこと規制の関係に置き換えて見ることもできます。一見接点のなさそうな「マンガ」と「たばこ」ですが、グローバリズムや健康(精神面も含めて)という文脈では、共通する課題もあるようで、ばこの置かれている社会状況を検証するうえでも、ヒントを与えてくれるものとなりました。
詳しくは、『TASC monthly』(たぶん、7.8月号ぐらいだと思いますが)をお読み下さい。
今後も、年に数回こうしたディスカッションをやって、活字化していこうと思っております。なお、『TASC monthly』はTASCの「個人会員」になられた方に配布される会員誌です。年会費3000円で、1年間ご購読いただけます。お問い合わせは、TASCまで。左のメニューバー「TASCについて」から入れます。

表紙の齋藤芽生さんと写真の石川直樹さんが「ARTIST FILE 2009」に。

国立新美術館で『談』のデザインをお願いしている河合千秋さんと待ち合わせ。明日から始まる「ARTIST FILE 2009」の内覧会。ギャラリーartunlimitedからインビテーションをもらっていたから。今回選ばれたアーティストのひとり齋藤芽生さんの作品を『談』の表紙に使わせてもらっている。そこで、ホンモノを見るという目的で、河合さんにもつきあってもらったのだ。今回は、どれもクオリティがとても高いという印象。方向性、手段、手法それぞれにおいて、九人九様。でも、それぞれが拡散したようには見えず、かえって求心力を得て緊張感を引き出していた。それでも、齋藤さんの作品は、質量(はんばじゃない出展数ともに頭一つ抜けていたように思う。ほかに石川直樹さんも選ばれていた。わずか9人のアーティストの中に『談』の表紙と中のヴィジュアルに使った二人が選ばれたというのはなんとも光栄だ。

国立新美術館「ARTIST FILE 2009」

「クールジャパンはほんとうなのか」というテーマの対談。

海外で大モテのまんがやアニメなどのコンテンツ産業。さぞや潤っているのだと思いきや、実態はかなりさびしい状況らしい。まんが評論家・永山薫さんから聞いた話。あいかわらず、ほんの一握りの売れっ子をのぞけば、月収10万円ぐらいでくらしている漫画家さんがほとんどだとか。ページ1万から1万5千円。これは、版下おさめのギャラ。見方によっては、ライターさんより悲惨かも。コミックの印税(初版印税)を想定して、それでやっと食える状態とのこと。確かに外国では流行っているけれど、こっちはこっちで契約関係や権利関係が未整理なために、結局ハリウッドにまるごともっていかれておしまいらしい。すでにこの分野でも頭脳流失が始まっているとのことだ。「クールジャパンはほんとうなのか」というテーマの対談を思いついた時、じつはそうとうヤバイんじゃないかと思っていたのだが、どうもその予想は本当らしい。3月に予定している永山薫さんと同じくまんが評論家・伊藤剛さんの対談で、そのあたりのことをじっくり語り合ってもらおうと思っている。

たばこ規制が強まる映画産業の何をどの角度から批評するか。

『TASC monthly』で1年間連載していただいたお礼と感謝の意味で、TASCさんに執筆者の粉川哲夫先生を囲んで一席もってもらいました。「シネマ・シガレッタ」は当初の予想通り、とても面白くかつ刺激に満ちた内容になって、満足しましたとお伝えすると、とにかくたばこへの規制がよりいっそう厳しくなったのか、たばこのシーンそのものがスクリーンから抹殺されようとしていると報告。そのために、回を追うごとに書きにくくなっていったよ、とおっしゃっておられました。でも、そうした状況とはうらはらに、先生の筆は、冷徹に、時に若干の同情を込めて、映像とたばこの交錯するその一瞬を切り取ってくださった。映画シーンの中のたばこ、たばこと映画の親和性といった題材の読み物は過去にもあったけれども、今回のように、映画のコンテクスト(ストーリーだけでなく映画産業というコンテンツも含めて)そのものに働き掛けるする作用因子(オブジェ)としてのたばこを、あくまでも映画的感性で読み解く、というものはなかったように思います。粉川先生にお願いして、ほんとうによかったと思いました。先生には、他に『談』にも対談者としてご出席いただきましたし、何かと縁の深かった一年でした。今度は、メディアアーティストとしてまた何かやってもらおうと思っています。「シネマ・シガレッタ」を面白いと思ってくださった皆さん、楽しみにしていてくださいね。

三鷹天命反転住宅を「内部観測」する

『談』no.79でインタビューをさせていただいた稲垣正浩先生やアーティストの木本圭子さん、そして弊社および周辺の人たちが集まって、三鷹天命反転住宅を見学する。三鷹からタクシーで大沢までお願いしますというと、「住所わかりますか」というので、黄色や青の派手な色で丸とか四角とかの家で、と応えると、「あ〜、あそこね」と了解する。地元では有名なのだろう。101号室が事務所。Architectural Body Research Foundation(ABRF/荒川事務所)の本間さんと松田さんにご挨拶。見学会のことと、公開トークショーのお願い。実現の方向で検討してもらう。
まず空室になっている3階を見学。そのあと、実際に使用している例として事務所を見学する(ABRFはこの集合住宅の大家さんなのだ)。
キッチンを中心に、その周囲にスタディルーム、畳の部屋、四角い部屋、シャワーとトイレ室が囲む間取りになっている。スタディルームは球体で、中央に立って声を出すと、自らの声が拡散し、壁に反射、逆に収束して自分の身体にダイレクトで入ってくる。無音と自らの発生するノイズを同時に聴く。あらかじめ写真で見ていたのだけれど、この身体感覚は視覚情報としては絶対に伝わらない。
床がすべて三和土のようになっているのも面白い。つまりゆるやかにでこぼこしているのだ。稲垣先生のご実家はお寺なので、子供の時、毎日三和土を箒ではいていたというが、そうするとだんだんこの床のようにできぼこになっていくのだそうだ。まさに、正真正銘の三和土の床である。これも写真でみる限りまったくわからなかった。イメージでは、健康サンダルのようなものを想像していたのだが、実際にはだしで歩いてみると、妙に心地よい。始終からだを揺らしている感じ。実際、ここの一室に住んでいる若いお母さんは、赤ちゃんを抱っこして立っていると、いつのまにか身体を揺らしているのに気づいて驚いたという。身体を揺すってみたくなる床なのだ。
天上にはたくさんのフック。ここはいろいろなものをぶる下げるようになっている。1ヶ所、つり輪が2本あった。荒川事務所がつくったもので、これにぶら下がるととても気持ちが良かった。必死につかまっていると、稲垣先生に、もっと力をぬかないとダメ、といわれてしまった。稲垣先生は、もと体操の選手。今は太極拳をなさっている。黙って見ていられなかったにちがいない。しっかりつかまって、でも、腕から下は死体のようにダラーンとしないといけない。100kgの過重にも耐えられるというつり輪に、言われるままに死体となってみた。うん、もっと気持ちいい。
円形の畳の部屋は、三角の畳(3畳)を中心に窓際が玉砂利、入り口は板張り。腹ばいになってみると楽しい。茂木健一郎さんは荒川修作さんとの対話の時、ここで腹ばいになってスパゲティを食べると面白いよといわれたらしい。さすがに、茂木さんもリアクションに困ったとか。こういう具合に、うつ伏せになったり、仰向けになったり、しゃがんだり、背伸びをしたり、走りまわってみたり、あらゆる身体行為をこの空間は誘発する。そして、それが繰り返されると、いつのまにか身体の何かが変わっていく、ような気がするのだ。土方巽が生きていたら、この場所に踏った瞬間、1本の老木に変身したにちがいない。
人間の身体から、動物の身体へ、さらには機械の身体へ。身体自身がディスクリートに変容していく。そういう身体知覚を、この空間は経験させてくれるのだ。そして、その経験はダイレクトに意識それ自体に働き掛ける。認知のシステムが揺さぶられるのである。意識変容というと何かオカルティックに聞こえるけれども、一瞬前の認知と現在ただ今の認知が、確かにズレをおこしているな、と感じ取れるのである。「あっ、変わった?!」っていう感じで、まさに意識変容である。 行為が認知に働き掛け、その小さな変化した認知が、行為そのものを組み換える。身体がギアチェンジするという経験。身体と空間が一緒になって、空間全体を拡張したり、退縮させたりするのである。
たった2時間程度ここにいただけで、これだけのことが起こるのだから、実際にここに住み続けている人たちは、いったいどうなってしまったのだろうか。いや、外見上はまったく普通の人たちなのだろう。しかし、中身は……、う〜ん、ありそうな話だなぁ。少なくとも、この空間は外からいくら観察してもわからないことは、永遠にわからない。内部へ、その中に身体丸ごと入り込まなければ何もみえないのだ。その意味で、徹底的に「内部観測」の場所である。
「天命反転住宅」に身体を踏たたせてみる。そして、ゆっくりと身体を住宅へと裏返していく。手袋を裏返すように、空間へどんどん身体をめくっていくのだ。その過程で、表と裏が逆転した身体を、今度は、住み家がたたんでいく。どんどんどんどん小さくなっていく。そういう認知操作のプロセスを数回行うと、いつのまにか、身体が、空間と一体となった認識主体であることを、また、空間がそうした認知システムの差分的変化だということを、まさにからだ=自己身体で感覚・知覚できるのである。なんという恐ろしい場所!  荒川修作おそるべしだ。
というわけで、見学(内部観測)後、事務所でフリートーキング。ちょうど見学会の間だけ雨だったようだ。天気なら、光が部屋にさしこんできて、これがまた微妙に陰影をつくり出して、それも見てもらいたかったと松田さんは残念がる。ここには、さらに光が、ゲーテ的光学装置を介した光のシステムまである!
稲垣先生と木本さん宮崎君と僕は、そのあとdzumiへ移動。 桃山晴衣さんの訃報、その追悼のための音楽がかかっていた。土取さんの奥さんだったこともあって、dzumiとは縁が深かったのだ。
稲垣先生をかこんでいろいろ楽しい話をした。木本さんが今福龍太さん主宰の奄美自由大学に行ったというと、稲垣さんがびっくりする。みんな、ちょっとづつつながっているのである。気がつくとワインを4本も開けてしまった。そして最後は、結局みんな変態だね、ということで一致。世代を超えたへんな集まりになった。
三鷹天命反転住宅↓
三鷹天命反転住宅

いくつもの本の山から、忘れていた資料を掘り出す。

歌舞伎町の写真は、以前あるところで使ったのでNGとのこと。日本橋になりました。「TOKYO NOBODY」の著者、写真家の中野正貴さんに写真をお貸しいただく話。事務所の机の横に数百冊を積上げているが、その山のなかから『理戦』のローティの特集号を見つける。ローティのことを調べていて、この特集号の北田暁大さんのインタビューを読みたかったのだが、まさか昔買ってあったとは。灯台下暗しとはこのことだ(じつは、これよくやるんです)。それと千葉大学工学部の佐藤憲一先生。この人は、『たぱこ訴訟の法社会学』の執筆者のひとりだけれども、反喫運動と真正面から向き合い、理論的に批判している。こういう人がいたことをすっかり忘れていた。というか、この本のことも忘れていた。昼食後神保町の信山社へ『思想』のメルロポンティの特集号を購入(鷲田清一さん合田正人さん河野哲也さん西村ユミさんといった『談』でお世話になった方々が寄稿されている)。そしてZEIT-FOTO SALONへ。ちょうど伊奈英次君が会場にいた。何ももてなしてくれないgalleryで立ち話。彼は、週末に養老天命反転地を撮影するとのこと。TASCへ。松木さんのプロジェクトの第1回ミーティング。

TOKYO NOBODY?中野正貴写真集
TOKYO NOBODY?中野正貴写真集

たばこ訴訟の法社会学?現代の法と裁判の解読に向けて (SEKAISHISO SEMINAR)
たばこ訴訟の法社会学?現代の法と裁判の解読に向けて (SEKAISHISO SEMINAR)

フェルメール全点踏破はいつのことか、現在、それでも17作品。

クルマで上野の都美館へ。フェルメール展。本日、「小路」「ワイングラスを持つ女」「リュートを調弦する女」「手紙を書く夫人と召使い」「ヴァージナルの前に座る若い女」「マルタとマリアの家のキリスト」「ディアナとニンフたち」の一挙7作品を鑑賞。これで、過去にルーブルで見た「天文学者」「レースを編む女」、アムステルダムで見た「牛乳を注ぐ女」「恋文」「青衣の女」、ハーグで見た「真珠の耳飾りの少女」「デルフト眺望」,大阪市立美術館で見た「地理学者」「天秤を持つ女」「聖プラクセデス」を加えて、17作品になった。

今回、フェルメールの同時代の作家の作品も出品されている。が、やはり、フェルメールは群を抜いていた。ヤン・ファン・デル・ヘイデンやカレル・ファブリティウス、ピーテル・デ・ホーホなどを順に見てきて、フェルメールの作品を見た途端に、これはぜんぜん違う世界にきたな、と思わせてしまう。格の違いを見せつけられる。

以前から、ずっといい続けていることだけれど、遠近法を駆使し、光学装置を使用し、幾何学的手法を自在に操るフェルメールは、デルフト派の他の作家と同じ水準にある。しかし、そうして構成された画布の内部に、理知的な世界とはまったく異質なものをフェルメールは持ち込むのである。オランダ絵画のもう一つの流れである風俗画の伝統にも忠実であるといういい方がされる。家族や人間関係が主題にされ、人の機微のようなものを表現することに腐心する。それが、理知的な、もっといえば数理的に構築された空間の中で一種独特のドラマトゥルギーを生み出すのである。いわば「幾何学の精神」と「感情の生理学」が相まって、空間を肉付けするのだ。情動化した数理空間、あるいは、幾何学化した感情。それらが、画布の中でミクロ的に組み合いながら、一つの表情をつくり出すのである。表情……、そう、ここに現出するのは、表情だ。世界という表情なのだ。

日本橋周辺にはユニークなギャラリースペースが多い。

松谷さんのインタビュー原稿をアップして、チェックに出す。すぐに、饗庭さんの原稿にとりかかる。インタビューのテープを起こしていて驚いた。ちゃんとストーリーになっていて、「都市をたたむ」というアイデアが、一つ一つ段階を踏みながら広がり、深まっていくのだ。思いつきではなく、理論的にも説得力のある議論になっている。今回のトップにもってきてもいい内容だ。

地下鉄「三越前」駅へ。「東京R不動産」「オープンA」の取材。株式会社スピークの三箇山泰さんに話しを聞いていると、「遅れてすみません」と言いながら馬場正尊さん(オープンA代表)が飛び込んでくる。もともと佐賀県の商店街にあるたばこ屋さんのご子息。(突如「たばこ屋からみたまちづくり」! なんてアイデアが閃く)。馬場さん、商店街の衰亡、都市の縮小については、ずいぶん前から実感していたという。建築家として、まちづくりにかかわりながら、縮小という現実をどう受け止めて、何をやるべきか模索してきた。その経験から、人口と面積によってまちづくりの取り組み方がまったく異なることがわかったという。現在、日本橋、金沢、山形と、まさに人口と面積が違う三つの現場でプロジェクトを進行中。何にフォーカスを当てるか、それがカギ。このあたりの話は、『city&life』最新号を読んでください。

近くにある小出由紀子事務所のギャラリーを訪ねる。「TEXTACY」、文字を扱う何人かのアール・ブリュットの作品。J.B.マリーさんの作品が面白かった。小出さんと立ち話をしていたら、勝本みつるさんの作品をたくさんもっているというコレクターSさんが来られる。古本屋で今日手に入れたと、ギャラリー・イヴで開催された個展の際に発行された、四方田さんがテキストを書いた勝本さんのカタログをかばんから取り出し見せてくれた。ところで、小出さんと勝本さんのつきあいは、みつるさんのお兄さま(滋賀県)とアール・ブリュットの関係かと思ったら、ぜんぜん違って、以前女性の4人展をやった時の作家のお一人だった。縁は異なものですね。それはさておき、一角をギャラリースペースとして開放している編集事務所は、東京広しといえどもここだけじゃないだろうか。ユニークな場所だ。

戒厳令下のアートフェスに行って来ました

みなとみらい線に乗って新高島で下車。町を少し歩く。ショッピングモールとアミューズメントと飲食店しかない。あまりのチープさに腰が抜けた。町全体がテーマパークみたい。マックに入ったが、ここの内装がまた一昔前に流行ったミッドセンチュリーもどきのそのまたもどき。4人掛けのテープルが仕切られていてブースっぽくなっているのだけれど、大きなガラスばりなので、サラリーマンなんかが数人でテーブル挟んで話している絵は、なんかとってもヘンだ。

再びみなとみらい線にのって横浜へ戻り、京急で日ノ出町へ。約束の時間より少し早くついたので、黄金町バザールの会場の通りを小金町方向へ歩く。ガード下で新井卓さんと遭遇(『談』no.82でダゲレオタイプの作品を掲載)。彼は、ここで写真館のプロジェクトをやっているのだ。そのままバザールオフィスへ。ちょうど編集の斎藤さんとライターの大城さんがやってくる。

『city&life』の取材。まず、実行委員の山野さんにインタビュー。京急高架補修工事で小規模店舗が立ち退く。ところが、小規模店舗が周辺に拡散・拡大、かえって買売春の店舗が増えてしまった。初黄日ノ出町環境浄化推進協議会を発足してあらたなまちづくりを始める。通称「バイバイ作戦」。一斉摘発で空き店舗となったところをアーティストに貸して、アートによるまちづくりを始める。そのうち新しくなった高架下の2ヶ所を市が買い上げて、アーティストのスタジオ、ショップとして再スタート。それを機に、周辺の協力を得て今回「黄金町バザール」を展開することになったのだ。

特殊飲食店をそのまま使ったインスタレーションや写真展、ワークショップ、パフォーマンスにカフェなど。新井さんの写真館を覗く。彼は、ここでダゲレオタイプで記念写真を撮ってくれるユニークな試みをやっている。新高島にはない歴史的な重みがちょっとだけここにはあった。。

結局、住民たちがどうしたいかを決めて、その目標に向かってまちづくりをするのがいい。そのきっかけになればと始まったアートフェスだけれど、ぐるっとみた感じではうまくいっているように思った。挑発的に、「敷金礼金なしで風俗営業も可」と書かれたチラシの張ってあるある空き店舗がまだあったり。関係者に言わせると、戒厳令下のアートフェスなのだそうだ。でも、なんで戒厳令下だって? それは、行ってみればわかりますよ。みんなものすごく楽しそうにしてますが、要所要所には、ちゃんと機動隊や警官隊が24時間で警備しているんですから。

天皇陵、全124代を踏破し撮影した壮大なプロジェクト「EMPEROR」

伊奈英次さんの個展「IN TOKYO+EMPEROR OF JAPAN」のオープニング。伊奈さんは、『談』no.67「リスクのパラダイム」で特別企画として世界の監視カメラを逆に監視=撮影した「監視」の連作を掲載。それ以前にも一緒に旅したキューバ、ブラジル・マナウスをno.47「ラテン…解放の思想」、no.48「別冊談 混合主体のエチカ」でを発表している。『談』とは関わりの深い写真作家の一人だ。

今回は彼の初期の代表作「IN TOKYO」のヴィンテージプリントの20年ぶりの展示と最新作「EMPEROR」のお披露目展覧。「EMPEROR」は、天皇陵、全124代を踏破し撮影した壮大なプロジェクト。なんといっても、さぬのみことかむやまといわれひこのみことはつくにしらすてんのう=神武天皇の陵墓から始められているのがいいではないか。歴史上実在しない存在、まさに忘却の忘却、不在の不在を光によって捕獲し写像化する試み。「国家は一つの光線だ」と、ぼくの大好きな劇作家は言い放ったけれど、静かにたたずむ墓の数々は、光にならんとして物質化してしまった国家という形象そのものだといえる。それにしても、政治的な空間を撮影させたら、伊奈さんの右に出るものはいない。むろん、ドキュメンタリーのランガージュは一切使用されていない。徹頭徹尾、光線の コノテーション、光量のアーティキュレーションのみでインスクライヴされた二次元世界のポリティックスだ。個展は→gallery artunlimited

また、 10月31日からは「ZEIT-FOTO SALON」で伊奈英次作品展「EMPEROR」が開催される。

トンネルという肉体の過去・現在・未来

ARICA第14回公演「キオスク・リストラ」を観る。今年の9月ニューヨークのJapan Society の企画「BEYOND BOUDARIES:GENRE-BENDING MAVERICKS」のオープニングとして上演された作品の、帰国公演。キャスター付きの椅子に座ったまま移動し、左右の壁に長いゴムを結びつけ、その伸縮を利用して飲み物と新聞を売るという行為が1時間の中でたんたんと行われる。主役を演じるのは安藤朋子さん。転形劇場に所属していた時に、何度かその演技は見ていた。その後、20年以上ご無沙汰をしていた。今回、キオスクの店員役で現れた時には、「あっ懐かしい!」と思い、同時に、年齢とは全く別の形で肉体というものは更新していくものなのだということを強烈に感じた。もちろん演技の成熟もあるだろうし、経験の堆積による表現の豊かさもあるだろう。しかし、僕の目の前にいる彼女の肉体は、そんな自分史の進化論を乗り越えて余りあるものだった。それは、あえていえば「肉体の自己超出」だ。幾重にも重なり合う情動と感情、行為が労働へと集約していく社会というものを、切り捨てながらつくり続けていくそういうねじれた肉体。20年間というトンネルの入口と出口は、僕にとっては終りの始まりであり、始まりの終りだったのだ。安藤朋子というトンネルに素朴に驚いた。労働というものが、あるいは演劇というものが、すでに自らの姿を映し出す鏡となっているということに、素朴に驚いたのである。なぜ、僕は芝居を観るということから遠ざかってしまったのだろうか。少なくとも、安藤朋子という肉体を再び僕はみ続けることになるだろう。

フラメンコギターの池川兄弟のライブと「ゼロの庭」展を見る

恵比寿のart cafe frindsへ。西口から徒歩3分、恵比寿サウスワンビルの地下。ウェイティングバーのある広いスペース。壁には、平面作品やリトグラフなどがかかっている。真ん中の一番前に座る。しばらくするとカメラマンの村田三二さんが来る。今日は彼女の招待だ。池川兄弟のライブ。演奏が始まった。印象は、いたって正当なフラメンコギター。スタンダードナンバーを数曲演ったあと、ドラム、ボーカルそしてダンサーのローラさんが加わる。2部構成。途中休憩時に、店のオーナーと話す。オーナーの本職はプロデューサー。ここは、音楽(ジャンルにこだわらずに)とアートに触れるスペース。90席は余裕。音も悪くないし、かなり使えるハコだ。後半もやはり、ギターのみのインストロメンタルのあと、同じボーカルとローラさんのフラメンコ。演奏は抜群にうまいし、浅田真央似の弟とイケメンの兄は、いいキャラしてた。売れると思う、と僕は太鼓判。でも、ちょっとオーソドックスすぎないか、と思っていたら、アンコールにオリジナルの「兄弟JINGI」を演奏。和とフラメンコの融合。普通に調和している。確かに、オーソドックスなものをやるのとちがって、音がはずんでいるし、勢いがある。オリジナルの強み。村田さんじゃないけれど、こっちの線でもっとやればいいと思う。吉田兄弟の向こうを張るフラメンコギター。今後の展開が楽しみだ。ところで、フラメンコダンサーのローラさん、てっきりスペイン人かと思ったらちゃきちゃきの江戸っ子らしい。彼女のダンス、すごくいいです。コスタデルソルで見た地元のフラメンコダンサーより、断然彼女のほうがキレていた。フラメンコは、歓喜と悲哀が紙一重でエロスへと昇華する。その一瞬間の動き、手の指、足首、首筋、そして腰骨がそれを表現する。ぜひ、また彼女の踊りを見たいと思った。池川兄弟
帰りに、MA2ギャラリーへ。「ゼロの庭」展。勝本みつるさん(『談』の表紙)が出品しているので。勝本さん、布やキャンバスや雑貨を重ねて、その断面を見せる作品。おっ、こうきたか、という感じ。これは面白かった。ただ、今回の白眉は榮水亜樹さんのペインティング。キャンパスを覆う無数の白い点、白い線によって構成された平面作品。白の中の白の中の白、なんていう詩を思い出した。小野瀬裕子さんの針金や布とミシンと糸による作品にも感銘を受けた。このギャラリーは、いつもその企画力に驚かされる。今回もそう。タイトルもいいけれど、作家のチョイスがすばらしい。「ゼロの庭」展

『この写真がすごい2008』は、近年稀にみる痛快な写真本だ

とりあえず「写っている」モノが目の前にあるから、とりあえず手にとってみて、とりあえず見ている。いや、実際はもっと無自覚だ。ただぼくの目に写真という形式をもった画像が、次から次へと飛び込んできて、それを意識したりしなかったりしている、というのがホントのところだろう。どうやら、写真とぼくとの関わりは、常にこんなものだったのだ。写真と真剣に向き合い、凝視し、煩悶し、なんとかして目の前にあるモノに言葉を与えようとしたこともあるにはある。写真とは何か、それは技芸なのか、表現なのか、はたまた自意識なのか。真面目に考えては見るものの、大概は手痛いしっぺ返しを食らうことになる。そもそもこのアプローチにムリがあったのだ。そう、写真は、いつも目の前にあるものであり、そのように日常化したモノそのものだったのだ。ものすごく陳腐な言い方をあえてしてみようか。写真は見るものである前に、「感じる」ものだった。

作家の大竹昭子さんから、『この写真がすごい2008』(朝日出版社)を贈呈していただきました。これがめっぽう面白いのです。「誰が撮っても、どこにあっても写真は写真」を切り口に、大竹さんがこの1年間に見た写真……写真集、写真展、雑誌の投稿ページ、広告、 webなど……の中から、「すごい」「おもしろい」「見飽きない」を基準に、100点選んだもの。「なぜこの写真?」か、1点1点に、練りに練られた(に違いない)コメントがつけられている。これらの写真を眺めつつ、大竹さんの言葉を読めば、なるほど「だからこの写真!」、と、すとんっと胸に落ちてくる。なんという心憎い編集。なんか、やられたって感じです。

それにしても、ナンバー59の十文字美信の「猿の剥製」からページをめくるたびに、北村弘の「パンツの大写し」、小倉昌子のモノクロの「花札する兄弟」、畠山直哉の「大阪球場内の住宅展示場」が展開する、この台割りはなんだ。エディトリアル・デザインに恐怖を覚えたのはこの本が始めてです。

この写真がすごい2008

アール・ブリュットは、「世界」を描く、だからすごいのだ

松下電工汐留ミュージアムで開催されている「アール・ブリュット/交差する魂」を見る。展覧会は、圧巻であった。新日曜美術館で取り上げた日本の作家が、みんな出品されていたのがうれしい。全体に尋常ではない過剰さ、エネルギー、細部への異常なこだわり、が目に付く。あと今回気がついたのは、空間との距離感。同じモチーフが反復される作品が少なくないのだが、微妙に大きさが違ったりする。なぜこの大きさなのか、がいまいちわからない作品も多い。あともうひとつ、突然、描き始められる。それも、唐突にこんなとこからこの絵は始まったのか!! と誰しもが驚くようなところから、実際に始まるらしいのだ。舐めるように見てしまった。となりでは、「ルオー」の常設展が開かれていたが、画家といわれている人が描く世界と、アール・ブリュットの作品では、何か決定的に違うものがある。画家は、絵を描こうとしている。しかし、アール・ブリュットの作家たちは、たまたま描かれたものが絵だった。彼(彼女)らにとって、常にすでに在るのは、ただ「世界」だけだ。

アール・ブリュット/交差する魂

ギャラリーのお仕事とアートビジネスの関係は

今日のエンタメ・ビジネス論のゲストは、ギャラリー・アートアンリミテッドの代表高砂佐和子さん。「ギャラリーの仕事とアートビジネス」について、エンタメビジネスを視野にお話していただいた。現在のアート・マーケットの状況について。貸し画廊という日本の特殊事情によって、日本のアートはビジネスにおいては、世界から大きく水をあけられてしまった、マーケットが急速に拡大するおとなり中国の事情、同じく沸騰するインドのアートシーンなど、欧米のマーケットだけでなく、今やアジアからも取り残されようとしている日本。たとえ中国がバブルであれ、日本はこれまでの慣習を打破しない限り、アート・シーンからは完全にそっぽを向かれることに。そんななかで、プライマリーの小さな画廊はどうやって立ち向かっていくべきか、さてその戦略はいかに……、う〜ん、現状はなかなか厳しそうでした。いい仕事をしているところほどね。

制作現場の近代化は、ほんとうに必要なことなのか。

本日は、ポン友、桑山和之さんをお招きして映画プロデューサー論、その仕事の中身について話してもらった。最近撮り終えたばかりの作品を例にしながら、特に予算表と予算管理について。最近映画制作現場も変わってきたという。ハリウッドの映画制作スタイルの影響かと思ったら、テレビの影響力もかなりあるらしい。それと、コンプライアンス、IR、CSRが言われる中、文化事業といえども透明性が問われるようになってきた。投資を呼び込むためにも、旧態依然の映画づくりは、変わらざるを得ないというわけだ。しかし、それがほんとうにいいことか。かつてのようにどんぶり勘定でやっていていいわけはないが、クリエイティヴな仕事にとって、それが不可避なこともある。事業の近代化は、表現の仕事にとってどこまで有効なのか。つい最近も、某有名企業の文化事業の成功と失敗を、その当事者にお聞きしたばかり。ほとんど収益をあげることのなかった事業が、日本文化の質的向上にはおおいに貢献した。文化事業には、矛盾はつきものだ。この問題は、あらゆるエンタメ・ビジネス論に共通する課題である。この切り口から、エンタメ・ビジネス論を展開すると面白い。まだ誰も手を付けていないことなので、話題提供という意味でも、やる意義は十分あるだろう。
桑山君、この近作をやって、若い連中の映画づくりに、激しくギャップを感じたらしい。しきりに「モチベーションがないとつくれないよ」を連発していた。そして、いよいよほんとうにやりたい映画をつくる時がきたと自覚したらしい。つまり、やりたい本で、資金調達から製作まで、場合によってはメガフォンもとる。本来の意味でのプロデューサーになる時がついにやってきたというわけだ。そして、今の関心は、「国境なき医師団」だという。これをテーマに、1本つくってみようかという気になっているらしい。機は熟した。僕も応援するのでがんばってください。

伊奈さんの作品を扱うギャラリスト

乃木坂のGallery art unlimitedへ。オーナーである高砂三和子さんと打ち合わせ。昨年、伊奈英次さんの作品をかわせていただいた。高砂さんは、気取りがなく、頼りがいのある存在。話しができるだけで、とても楽しくなってしまうのだ。ギャラリーでは、ちょうど齋藤芽生さんのエキシビション。赤い掛け軸の色紙の上に描いたものがいい。学生の時に課題で描いた架空の花の図鑑シリーズにびっくりする。非常にロジカルに表現に向かう作家とみた。ぜひ『談』のヴィジュアルで紹介したい作家だ。肝心の授業の打ち合わせより、作家についての雑談で盛り上がる。荒川大先生は、誰に対してもバカ呼ばわりをするのだと思っていたら、意外とKYしているらしい。荒川事務所とツーカーの関係、というかギャラリーの作家でもあるので、三鷹天命反転住宅の見学ができることになった。身体関係でお世話になった先生や編集者仲間を誘って7月に見学ツアーをしようと思っている。

KYなんてくだらない、世界の荒川は空気を読まないから凄いのです

会長の河本英夫先生のはからいで「日本病跡学会」総会に参加する。朝一で最初のセッションから参加。なぜなら、偶然にも『TASC monthly』でご寄稿をお願いした神戸大学国際学部の志紀島啓さんの発表があるからだ。お題は、「漱石の「こころ」を読む日本近代=ホモソーシャル+メランコリー=(3P)n」。柄谷行人の「こころ」読解には致命的欠陥がある。あろうことか、彼の批判する独我論の立場に立って「共同体」を批判するという転倒が起こっているという。そこで、3P(あっちのそれではありません)つまりPrivate、Public、Partnerを巡る問題として捉え直し、スキゾ的逃走=闘争の線をひこうというもの。着眼点はユニークで、きわめて示唆に富むものであったが、限られた発表時間内では十分に理解できなかった。ご本人は体調がよくないということで、発表後すぐに退席、せっかくご挨拶しようと思っていたのだが残念ながら果たせなかった。
休憩時間に、会長の河本英夫さん、廣中直行さん、十川幸司さんらに挨拶。花村誠一さんの顔も見えたが、お話はできなかった。
そのあと幾つかのセッションのあと、河本さん作の映像作品「ホモ・エクササイス」が上映された。これは以前DVDに落としたものをご本人から送っていただき見てたのだが、今回は、舞台に3人の演者をあげて、生のナレーション付きで公開された。
そして、最後、今回の特別講演、荒川修作さんによる「天命反転…New Science of Life」が行われた。河本英夫の紹介が終わると、三鷹の住宅の映像が流されて、突然話が始まる。ろれつがまわっているんだか回っていないんだかわからない話し方で、放言を連発。古典なんてものは、全部ダメ。ぼくたちは、身体の可能性をまだまったく使っていない。0.000001%も使っていない。ところが、人間はばかなことばかりをやっている。戦争はその最たるもの。今から半世紀も前に、NY郊外で赤ちゃんを何百人も集めていろいろな実験をした。赤ちゃんは、成人と違って身体の可能性を無限に知っているしそれを可能にしようとしている。なのに、成長とともにその可能性をどんどん狭めてしまう。なんとばかなことをわれわれはやっているのか。人類はみんな等しく狂っているという。というようなことを、もごもごと喋るのである。今回の基調講演者加藤敏さんが、この学会は創造行為というものと狂気の関わりを考える学会であると会場から質問をすると、ここにいるみんな狂っている。患者さんばかりではなく、お医者さんも、学生もみんな狂っていると応答。会場の一部からは失笑もでたが、そこは世界の荒川。その特異なキャラで、オーディエンスを納得せしめたのだった。
ところで、荒川さん、昨日NYから来日されたといっておられたが、飛行機はもちろんFクラスやBクラスじゃないですよね、三鷹天命反転住宅をつくるお人ですから、Eクラスをかえって愉しんでいるはずですもの。

石川直樹さんの写真作品を掲載予定

カメラマンの石川直樹さんにお会いする。『談』no.81の「gallery」のヴィジュアル用に写真をお借りするため。まじめな好青年。『談』に興味を示す。これを機会に、ポートレイトを撮影してもらえるかと言ってみると、二つ返事で引き受けくれた。たまたま、次の企画が面白そうだからかもしれないが、石川さんに撮影してもらえるなら願ってもないことだ。彼はとても勉強家で文章も抜群にいい。それになんといっても冒険家。これから、長くつきあえそう。ちなみに、『談』には写真集『NEW DIMENSION』の作品を掲載予定。乞うご期待。
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