都市

世界の均質化と闘うイタリアの小さな町

『TASC MONTHLY』(2007年11月号 no.383)に「バール・タバッキ」をご寄稿いただいたノンフィクション作家島村菜津さんより『スローシテイ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町』(光文社新書)を贈呈いただきました。
「日本を覆う閉塞感の一つに、生活空間の均質化というものがないだろうか。郊外のショッピングモール、巨大なシネコン、画一的な住宅地、駅前や国道沿いのチェーン店…。そんな世界の均質化に反旗を翻すイタリアの小さな町々の諦めない大人たちの奮闘ぶりを、十年越しで追ってみました」(著者による紹介)
ヒューマンスケールの町をめざすトスカーナ州グレーヴェ・イン・キアンティ、空き家をなくし過疎地に人を呼び込むリグリーア州アブリカーレ、ありえない都市計画法で大型ショッピングセンターを撃退した町エミリア・ロマーノ州カステルノーヴォ・ネ・モンティ…、本書には、すぐにでも行ってみたくなる町がいっぱい出てきます。ローマやミラノやフィレンツェやナポリだけが町ではありません。イタリアにはステキな小さな町が沢山あります。そんな小さな町を実際に歩き、見て、味わい、体感する。そうした身体的経験を通して、今町から何が失われ、逆に何を取り戻すべきなのか、島村さんは真剣に考えます。そして下した結論とは、センス。今、町に必要なのは「場所のセンス」だった!なんと島村さんらしいもの言いでしょう、でも、僕は、全面支持します。そして、今度は、日本にそれを探しに行きましょう、って、じつは島村さん、日本のステキな小さな町もいっぱい知っています。町に不満をもっている人、こうなったらもっといい町になるのにといつも思っている人、ぜひお読み下さい。
スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町 (光文社新書)
スローシティ 世界の均質化と闘うイタリアの小さな町 (光文社新書) [新書]

地に足がついた探求

新潟県長岡に来ています。三島億二郎の足跡をたどるため。長岡といえば、河井継之助と山本五十六が有名ですが、三島は、越後長岡藩士で長岡の復興と近代化に尽力した事業家であり政治家。長岡のまちづくりに貢献した一人として、長岡では知らない人がいないといわれる名士です。ところがなぜか、地元以外では知られていないんですね。そこで、その知られざる巨人を訪ねて長岡にやってきたわけですが、さすが地元です。三島億二郎はとてもよく知られていました。地方には、そういう人がたくさんいるものです。まち歩きが大好きな僕は、「人」を入り口に、そのまちの最深部へ向かいます。ヒト、モノ、コトを訪ねる旅。『談』でも、いずれこうしたフィールドワークものに挑戦したいと思っています。思想を深めるためには、地に足がついた探求が絶対必要ですね。

「空き家バンクツアー」をのぞいてきました。

全国で急増する空き家。その対策に、国や自治体は、頭を悩ませていますが、この問題に真正面から向き合い、いち早く取り組んでいるところがあります。NPO法人尾道空き家再生プロジェクトが立ち上げた「空き家バンク」がそれ。「空き家バンク」とは、空き家の大家さんと住まい手をマッチングする仕組みのこと。尾道は、坂の町として、今や人気の観光スポット。小道と石段が複雑に交差し、歴史ある仏閣も数多く点在。町歩きを楽しむ人が後を絶ちません。とはいえ、住み暮らす場所としてみると坂が多いだけでなく、クルマは入れないし建て替えも用意ではない、とくに高齢者には少しきつい場所であることも事実です。そんなことから、とくに斜面地は、近年空き家が目立ってきたのです。一方、細街路が作り出す路地空間や古い建物にむしろ魅力を感じ、移住を希望する若者たちがあらわれました。満を持して、登場したのが「空き家バンク」。買い手や借り手がいない空き家をかかえて悩んでいたオーナーさん。また、買いたくても借りたくてもどんな物件があるのかもわからず悩んでいたユーザーさん。簡単に言えば、その間をとりもつのが「空き家バンク」です。昨日は、尾道空き家再生プロジェクトが、そうした空き家をまとめて見て歩こうという、恒例の「空き家バンクツアー」。その様子を、『city&life』を一緒に編集している斎藤夕子さんと取材してきました。詳細は3月末発行の『city&life』no.103に掲載予定。乞うご期待。

加藤政洋先生より『那覇 戦後の都市復興と歓楽街』のご進呈をいただきました。

『談』no.89で「お茶屋、座貸、ラブホテル・・・空間レンタル業の系譜学」というテーマでお話しいただいた立命館大学文学部准教授・加藤政洋さんより、新刊書『那覇 戦後の都市復興と歓楽街』のご進呈をいただきました。加藤先生の著書にはいつも感銘を受けているのですが、あ〜この本も面白そう。すぐに手を出してしまいそうです。手前に山積みになっている仕事が、どんどん先送りになる……、どうしましょう。
発行元のフォレストは沖縄那覇市の出版社、現時点ではamazonにエントリーしていないようです。本書に関するお問い合わせは→フォレストへ。

グローバル都市における「自由空間」は、いかにして可能か。

国際研究ワークショップ 「空間とガバナンス」のお知らせ
主催:大阪大学グローバルCOE「コンフリクトの人文学国際研究教育拠点」(横断するポピュラーカルチャー研究プロジェクト) 、京都大学グローバルCOE「親密圏と公共圏の再編成をめざすアジア拠点」コモンズ大学ノマディスト・スユノモN●対抗的公共圏であると共にオルタナティヴ親密圏としても機能する自由空間の創出と運営をめぐって、その具体的実践に焦点を合わせて労働と遊びの視点から考察。同時に、グローバル都市における開発資本と対抗的占拠の緊張関係から自由空間の未来を展望します。(開催趣旨より)
●日時:2012年1月14日(土)15日(日)
(時間は午前10時〜終日を予定しています。)
●会場:京都市地域・多文化交流ネットワークサロン(希望の家)
〒601−8006 京都市南区東九条東岩本町31
●報告/コメンテーター予定者(順不同・敬称略):
イジンギョン、パクウンソン、チェジンソク、今政肇、ユソン、伊藤公雄、濱西栄司、冨山一郎、渡邊太、高橋淳敏、吉澤弥生、堀江有里、古川岳志(他)
(プログラムは決定次第お知らせします。)
横断するポピュラー・カルチャー 国際研究ワークショップ 「空間とガバナンス」

3.11以降の地域、身体、コミュニケーションを問うトークイベント開催

注目のイベント「原宿パフォーマンス+ DOMMUNE 」が20日から始まりました。24日まで開催。本日は、その第2夜。「原宿2.0/社会と地域とコミュニケーション」
パネリスト:東浩紀さん、五十嵐太郎さん、藤村龍至さん、大山顕さん、速水健朗さん(司会)。
産業や社会の変化によって、都市構造や都市の風景が変わりゆく現在、今後地域から生まれる身体的なコミュニケーションはどこに向かうのか?嘗ての商店街や劇場や銭湯はサロンとしての機能を失い衰退し、郊外型の巨大ショッピングモールや、またAMAZON以降のネット通販に客が流出し、中央も地方もシャッター道りが激増している。ストロー現象における道路交通網と地域の発展や衰退、ドーナツ化現象における人口移動の現象がどう社会に影響を及ぼし、コミュニケーションに変化をもたらしたのか?などなどを、インターネット/ソーシャルメディア以降の実社会や、コミュニケーションの質の変化、そこで浮かび上がる不安定な身体性などの問題を絡めて鼎談。そして、3.11以降我々はどこへ向かうべきなのか?(イベント告知の案内より)
原宿PERFORMANCE+ DOMMUNE

『談』no.89のweb版をアップしました!!

『談』最新号「ゲニウス・ロキと空間論的転回」のアブストラクトとeditor's noteを「最新号」にアップしました。

画面左側のメニューバーから「最新号」へアクセス。

小さな町が世界とつながる。

八雲村(松江市との合併前)の前村長・石倉徳章さんにご自宅でインタビュー。八雲国際演劇祭開催に至る迄の経緯などをお聞きした。地方の小さな町で国際演劇祭を開催する。そんな大それた夢を実現するには実行力と想像を絶する努力が必要だ。そして、開催者と市民と行政との強い絆がなければならない。なによりも、行政の支援があるのとないのでは全然違う。小さな町がお芝居を通じて世界へとつながる。そんな回路がどうやって開かれていったのか。いえることは、カリスマ的な人材がいればいいということではなく、だが、そういう人材なしには絶対になしえないということだ。石倉さんが大変なアイデアマンだったことも幸いした。ところで、ご自宅の玄関の前には枯山水風の庭。低い塀ごしに小川が流れていて、夏の初めにはたくさんの蛍がやってきて光の饗宴をこうじるそうな。蛍の季節にまたあそびにきたいとホンキで思いました。大社より古い神魂神社にお参りし、松江城をぐるっと取り巻く堀川を小舟にゆられて遊覧。町を水辺の視点から仰ぎ見ると、また違った顔を見せるものだ。思えば外堀から隅田川まで都内の水路を船で巡ったのは、それがまだ観光ルートにものっていない頃のこと。お茶の水橋を川面から仰ぐと、それがずいぶんと高いことに驚かされた。今度は、水都・大阪を船巡りしてみたいものだ。

山の中のステキな劇場「しいの実シアター」を知っていますか。

『city&life』「創造のまちづくり」の特集で松江と八雲へ。まず、松江市教育委員会理事・友森勉さんにお話しをうかがう。行政側の担当者に文化がわかる人がいるのといないのではまったく違った結果になる。もちろん、友森さんは前者。そのあと、今回の一番の目的である「あしぶえ」のある「しいの実シアター」をたずねる。「中山間部にあるから、びっくりするよ」と言っておられたが、そのとおり山の中にその小さな劇場はあった。「あしぶえ」の理事長であり「しいの実シアター」のアートディレクター、さらには国際演劇祭のプロデューサーでもある園山土筆さんにインタビュー。そのあとボランティアまとめ役の米田裕幸さんにインタビュー。園山さんは、ある意味立派な教育者だ。演出家にして先生、さらに辣腕プロデューサー。それを一人でこなしてしまう。話をうかがっているうちに、そんなスーパーマンがいないと、結局何もできないのだと痛感した。やはり、最後は人材なのだ。事務局長の有田美由樹さんも元気そのものといった女性。広島から3時間かけて通いつめているうちに、とうとうこっちに居を構えてしまった。勤めもやめて、いまでは演劇一筋。米田さんがまたすごい。演劇祭が始まる前の半年間は、24時間体制で対応に当たったとのこと。もちろん、昼間は仕事をしながら。いったい何が彼ら/彼女らをこうまで駆り立てるのか。アートの力?、クリエイティブパワー? そんな言葉がうすっぺらく感じる。インタビュー終了後、松江市に出て、美味しい肴で楽しい語らいの時間を過ごした。村の住民たちが、わからないながらも世界のアマチュア劇団と芝居を楽しみ、ホームステイまでさせてしまう。そんなかたちで新しいまちづくりが地方の小さな町で始まっているのだ。

新潟「みずつち」、グルっと回って150km。

「水と土の芸術祭」取材2日目。実行委員会事務局の長谷部原さんのアテンドで本日は作品を見て回る。撮影取材をさせてほしいとお願いしたところ、わざわざクルマを出してくれたのだ。宿泊した岩室温泉を出発、市内を北上する。人工池に建てられた摩訶不思議なワラの家、クイビーン・オフラハラ「'Fifteen Degrees South'」(福井)を皮切りに、アン・グラハム「Shinohara's House」(五ケ浜)→土屋公雄「海抜ゼロ」(上堰潟)→北川貴好「物質/水/自然が再生し繋がっていく土地」(赤塚)→河口龍夫「関係‐蓮の屋敷・関係‐蓮の池・関係‐記憶の土蔵」(旧齋藤家・夏の別邸)→松本秋則「音の風景‐松浜編」→ステイシー・レビー「RIVERINE」(阿賀野川河川敷)→酒百宏一「水の記憶プロジェクト」(旧木津小学校体育館)→栗田宏一「SOIL LIBRARY/NIGATA」→大岩オスカール「人と水と土の叙事詩‐新潟」、高あみ「すばらしい日々」、田中直志「ハンチクのベンチ」(以上新潟市美術館)→マーリア・ヴィルッカラ「INTERVALS」(旧栗ノ木排水機場)→磯辺行久「栗ノ木排水機場は近代農業土木の原点となった。」を次々に鑑賞。最後の磯部さんの作品を見る頃には、どっぷりと日が暮れていた。走行距離にして約150km。それでも、今回の出品作品の1割も見ていないはずだ。とても一日で見て回ることなど不可能だが、それでも、「みずつち」の神髄には触れられたと思う。とにかく、どの作品にも「ちから」が満ち溢れていた。勇猛なちから、静かなちから、響くちから、内面へ働くちから…。改めて、アートが本来もつそうした「ちから」を強く感じた取材だった。長谷部さんほかスタッフのみなさん、ありがとうございました。

大好きな中村宏さんの多摩川での仕事を見る。

府中の森公園内にある府中市美術館で開催している「At/From Tamagawa1964-2009」展を見る。アートの現場としたの多摩川という多摩川を拠点にあるいは対象に創作活動をした現代美術の展覧会。中村宏のやっていた「観光芸術研究所」の初の野外展、日野市の中央線高架下の多摩川での展覧会(1964年)のビデオ上映やその時のパンフ類などが展示されている。立石紘一(タイガー立石)の富士山、山中信夫の多摩川に川を映す作品、高松次郎の石にナンバリングする作品など、60年代、70年代の作品が面白い。新しい作家の最近作も展示されていたが、なんか付け足しのように見えて面白くなかった。あらためて、60年代の現代美術について、真剣に考えてみようか、という気になりました。

二子玉川にタワーマンションは似合いません。

自転車で野川を下る。二子玉川が大変貌を遂げていた。タワーマンションが林立しているのだ。血税を700億投じてやる意味があるのか、という建設反対の幟がいくつもはためくなか、建設は急ピッチで進行中。ぼくは、やっぱり超高層はイヤだ。第一、ニコタマに高層は似合いませんもの。再開発をするのなら、低層のメゾネットタイプの集合住宅とかの方が、ずっと似合っていると思うのになぁ。古い建物の好きなぼくは、口直しに静嘉堂を見て帰ることにした。

超高層の嫌いな僕が、あえてその魅力を考えると…

某大学の留学生から、超高層の観光における可能性、というユニークな研究で、僕に意見を求めてきた。台湾出身で、日本の高層建築は台湾のそれと違い「街」のようになっている。これは、都市観光資源として見ると面白いのではないかというのである。
超高層がなぜ東京で80年代以降ドドッと建てられるようになったのか、まずその社会的な背景を述べた。バブル経済の真っただ中にあった日本は、アジア地域の都市間競争に勝ち抜くために、まず規制緩和をし都市再生の名のもとに都市再開発を強力に進める必要があった。なかでもその中心となる東京は、インフラ整備、高度情報化、高密度化を推進し、高付加価値型都市へと転換することが求められた。日本経済の発展という錦の御旗のもと、都市の建物は高層化せざるを得なかったのだ。
次に超高層とは何か、ヨーロッパの近代建築史の中ではきわめて特殊なものであることを論じた。トップとボトムとそれをつなぐ中間体の三層構造からできているのがヨーロッパ建築における高層建築(アパートメントなど)であるが、アメリカを起原とする超高層は、トップとボトムにほとんどを意味をもたせない、いわば中間体がただダラーっと間延びしただけの建築であると説明。だから、いくらでも高くできるのだ。その意味で、近代建築における高層建築が進化してものではなく、あくまでも新種の建築であることを強調した。モダニズムからポストモダンへという建築思潮の流れにのりつつも、超高層においてはそれとは別の論理が働いていたことを確認した。
ヨーロッパの高層建築が主にボザール系のアーキテクトによるものだったのに対して、アメリカの超高層はビルダーによるものが主流。建築家不在の、したがって建築的意匠の希薄な間延びした塊が沢山建てられることになる。東京の超高層は、このアメリカの「間延び構築物」を引き継ぐものだった。これまでの単機能型(オフィスならオフィスだけといった)の超高層から、近年六本木ヒルズのように「街」を意識した多機能型超高層に変化しつつある。しかし、これは容積率を確保するための処置であり、都市計画上の縛りからくる必然的な帰結でしかない。ゾーニングの考えが、平面からエレベーションへと変わっただけである。縦へ積上げられるゾーンという発想は、日本の場合すでに戦前から百貨店の平面計画として実行されていた。過去の参照であり、そこだけ見れば、確かにポストモダン建築を踏襲しているといえなくもない。
ジェイコブス派を自認する僕としては、超高層に何も魅力を感じていない。むしろ「街」などといわれると「じょうだんじゃない」と腹立たしくなると言っておいた。結局のところ、観光という観点から見れば、かつてから言われている展望がやはり有力だろうと結論。話としては、いささか陳腐なものになった。しかし、俯瞰(都市を)するというのは視覚の欲望であり、快楽である。そこで、ハッと思った。鳥瞰図絵師・吉田初三郎的世界観を、観光資源としての超高層という観点から捉え直してみてはというアイデアだ。もともと観光地を極端にデフォルメして描き、クライアントを喜ばせた吉田の鳥瞰図。特に俯瞰マニアの僕としては、すごくいけそうな気がした。俯瞰、縮みの思考、フィギュア。超高層の観光資源化を捉えるキーワードはこの三つだ。

一日3本の打ち合わせとインタビューは、なかなか忙しい。

明治大学生田校舎の農学部へ。橋口卓也先生と面会。「「農」から「都市」を考える」というテーマで、主に生産の場としての役割を担う「村」と、消費する場である「都市」との望ましい関係性を、「農」の側からコメントしてもらおうというもの。先生のご専門は、農業政策論。先生の学生時代はバブル絶頂期。農学部は冬の時代だった。ところが、昨今の農業ブーム。農学部は、今や人気学部の一つなのだという。そうした状況を踏まえながら、農業の課題と将来について、都市との関わりから論じてもらおうというわけだ。午後からJTで「嗜み」の企画会議に出席。夕方、丸の内で真鶴町まちづくりの会「海緑鳥(うみどり)」代表の平井宏典さんにインタビュー。なかなか忙しい一日だった。

韓国の小さな町で始まった「スローシティ運動」。

作家の島村菜津さんと打ち合わせ。イタリア・トスカーナ州のグレーヴェ・イン・キアンティ町長のパオロ・サトゥルニーニさんが提唱した「スローシティ運動」。「スローフード運動」を母体に、美しい村、町の環境づくりへと発展しつつある「スローシティ運動」について、その現状に詳しい島村さんに原稿をお願いしようと思ったのだ。ところが、島村さん、顔を合わすなり、「イタリアもいいけれど、韓国はどうかしら?」じつは、今、韓国がすごいことになっているというのである。
「スローシティ国際連盟」がアジアではじめて韓国の4地域を「スローシティ」に認定。それをきっかけに盛り上がり、今や、国を上げての運動にまで発展しそうな勢いだという。この4地域、いずれも韓国の南部の人口5000人未満の小さな町というところが面白い。島村さんから、その一つ新安(シンアン)・曾島(チュンド)面がつくったパンフレットを見せてもらった。伝統的な日干し塩田が盛んな地域で、それを観光客に見せ、その塩を使った韓国の伝統料理を味わうというプランが紹介されていた。まさに韓国版地産地消だ。実際に島村さんも何度か行って、韓国の料理を堪能してきたという。じつはこのいずれの地域も韓国内ではまだあまり知られていない場所らしい。だからこそなのか、いわゆる鼻の利く外国人観光者たちからは、隠れ家的な場所としてすでに十分な人気を集めているというから驚きだ。日本ではやっとその言葉をちらほら聞くようになった「スローシティ運動」だが、おとなりの国では、それを海外にまで目を向けて、新たな観光資源にしようと画策中だ。
ネタ的には断然こっちの方が面白い。当然ですが、島村さんには、韓国のスローシティ運動というテーマでご寄稿いただくことになりました。『city&life』no.93号に掲載予定。

日本で一番精力的な65歳エンテツさんに取材をお願いする。

エンテツさんと取材の打ち合せ。『city&life』特集「マチとムラの幸福のレシピ」のルポ「日本で最も美しい村」……オンリーワンの「村」として生きる」の取材をお願いしたのだ。予定では、NPO法人「日本で最も美しい村連合」に加盟する北海道美瑛(びえい)町、山形県大蔵(おおくら)村、長野県大鹿(おおしか)村の三ヶ所を訪ねてもらう。なにせどこもアクセスしにくいところなので、クルマの移動になる。カメラマンに同行をお願いすることにした。北海道は梅雨がないので、先に取材し、東北は梅雨明けを待って、7月後半にしようと。『談』でポートレイトを撮影してもらっているカメラマンの秋山君にtelすると、22日を中心に屋久島へ行くという。皆既日食を撮影するため。彼は、以前からとっている南方ものといずれ作品にし発表するという。それはともかく、撮影はオーケー。
日本の農業を憂い続けて云十年、エンテツさんなら、きっと面白いルポを書いてくれるはずだ。ところで、エンテツさんたら、打ち合わせの時に渡した『city&life』をご自身のブログで大々的に紹介してくれた。気恥ずかしいくらいの超大作で。ちなみに、この『談』のブログも時々紹介してくれてます。
『city&life』最新号「かわいいまちづくり」は、大いに、おもしろい。

『日本で最も美しい村』連合に加盟する町村を実際に訪ねてみようと思う。

『city&life』の企画委員会。次号の特集は、「美しい町と村」で変わる「都市」。「Les Plus Beaux Villages de France(フランスの最も美しい村々)」協会の活動をお手本に始まった「『日本で最も美しい村』連合」(NPO法人)に加盟する18の町村を紹介しようというもの。全部はもちろんムリなので、そのうちの代表的な町村を実際に訪ね取材する。
「『日本で最も美しい村』連合」には、どこの町村でも加盟できるわけではない。基準が設けられている。その基準とは…抄瓩旅饑調査による人口が、概ね1万人以下であること、⊃邑密度が1平方kmにつき50人以下であること、次に定める地域資源が2つ以上あること「景観……生活の営みによりつくられた景観のコト」「環境……豊かな自然や自然を生かした町や村の環境」「文化……昔ながらの祭りや郷土文化、建築物など」。したがって、オンリーワンの個性を持つ「村」に絞られることになるわけだが、今回は、北海道美瑛町、山形県大蔵村、長野県大鹿村の三つの町村をじっくり取材してこようと思う。


自由が丘にはkawaiiにもいろんなkawaiiがあった。

久しぶりに自由が丘を散策。早速車両基地跡を整備した商業施設を撮影。ナチュラルカワィイなショップばかり。ナチュラルカワィイは、やはり自由が丘を語る上で欠かせないキーワードなのかもしれない。ビックリしたのは羽後町にあったカフェのグループがやっている雑貨店があったこと。これでもかとばかりのプロバンスもどき。やりすぎじゃないかと思った。そのあとも、ナチュラル探し。発見があったのは、自由が丘もいくつかのゾーンが形成されていること。自由が丘=おしゃれ系、お譲さん系、マダム系という印象が強い。しかし、実際は、予想と違ってずっと多様化が進んでいる。「かわいい」といっても、「こじゃれかわいい」もあれば、「美的かわいい」もあるし、もちろん「ナチュラルかわいい」もあるといったように。吉祥寺のように、ゾーンと趣味がゆるやかに重なり合っている。それがわかっただけでも収穫だった。

「宇宙の日」のレイヴ

日比谷野音へ。「ROVO present MDT Festival」。全席自由。いつのように中央の右側通路沿いに座る。前には、カップルどうしのグループ。新ジャンルや紙ボトルのワインを、持参の手作りのおにぎりや唐揚げと一緒にほおばっていた。僕は、ジャガリコをつまみにチュウハイを飲む。まず親指ピアノのサカキ・マンゴー。まあまあ。次がDachanbo。ヘブンで観て以来だから3年ぶりくらい? 上から目線で悪いけれど、すごくうまくなったみたい。完全にノせられてしまった。とにかく、グループがいい。これぞジャムバンドというところ。そして、いよいよROVO。もう、あえていうまでもなく、今回も最高のパフォーマンスを披露してくれた。ひさしぶりにおもいっきり踊りました。雨にならないことを祈りつつの野音だったが、なんとか降られずに済んだし、時折青空も顔を出しす。「宇宙の日」のレイヴとしては、大成功だったんじゃないだろうか。

かわいい屋台を探して渋谷をクルージング。

カメラをぶらさげて青山、表参道、渋谷方面へ。表参道ヒルズのうらあたりで、アジアンフードの屋台発見。ビルの玄関前の駐車スペースを利用。一応許可をいただき撮影させてもらう。なんか匂っていたんですよ。これを大きく使えばいい。押さえはとれた。そのまま、もとセントラルアパートのところに手作りハンバーガーの屋台。これも撮影。forever21の前の行列を見ながら、裏原宿を通って原宿駅まで。そのまま代々木公園から、コルテオの解体現場、スタジオぱーくを横目に見て、CCレモンホールからBUNKAMURA、ホテル街、ユーロスペース経由(四方田犬彦さんを発見。つい最近原稿をお願いしたが断られた、映画鑑賞のため?)で、セルリアンホテル横、お弁当屋さんの屋台を撮影。渋谷駅を中心に、ぐるっと半径800〜400mを回ってしまった。

宝塚にフォーカスしてあらためて小林一三のビジネスを検討すると…。

今日の授業は、最も尊敬する経営者小林一三の年譜をたどりながら、そのビジネスモデルを検討する。一時間半びっちり喋り続ける。宝塚歌劇って、小林にとっては、決して周辺的なものではなくて、事業の核だったことをあらためて力説してしまった。

羽後町の旅、二日目。

今日は朝一で、まず「鈴木家住宅」を見学する。母屋は江戸時代後半に建てられたされる茅葺き屋根。重文に指定されている。現在も一部を住まいとして使用している例は全国でもここだけらしい。赤子を抱きながら、若いお嫁さんが部屋を案内してくれた。この地域は、茅葺きの民家が100棟ほど現存しているといっていた。家をぐるっと波板のようなものでつつんでいるのは積雪対策のため。連休の前後にはずすらしい。肝心の茅葺きはまだ葺き直したばかりで、今度は、私が60歳になる30年後ですと。隣接している蔵も拝見する。床に漆が塗ってあるのでぴかぴかしている。なんと贅沢な! 再びタクシー。途中でおそらく白井晟一が設計したのではないかと思しき建物を発見する。ミケーネ書店に立ち寄って「櫻山」へ。少し早いがランチをいただく。昔迎賓館として使用されていたという民家をリノベーションしたカフェ&レストラン。目の前には千坪の庭園が拡がる。「樹齢数百年を経たケヤキの巨木のほか、山のように咲き乱れる桜の木々が立ち並びます」と案内にあるように、なるほどステキな庭だ。肝心の桜は、八部咲き。おそらく今週末が見ごろだと思う。庭園から河川の土手を散策。やはり桜が美しい。なんとのどかな風景。大嫌いな言葉「癒し」が脳裏をよぎってしまったのは不覚中の不覚。それはともかく、池内紀さんのように、「山あいのちいさな村を旅してみたい」と思ったのでありました。

羽後町へ取材旅行、さてその目的はというと…。

秋田県西馬内・羽後町へ取材旅行。大曲から奥羽線に乗り継いで湯沢下車。さらにクルマで30分、やっと目的地に着いた。なぜにそんな小さな町に? じつは、今、羽後町は「萌えおこし」でちょっとは知られた町なのだ。そう、美少女イラストの西又葵さんがお米のパッケージを描いたというので、オタクたちは大盛り上がり。JAうごの「あきたこまち」、このイラストのおかげで、一年分の出荷量をわずか一月で売り切ってしまった。その後、西又さんのイラストを使用した「レトルトカレー」やこまち野「うご野いちごちゃん」、菅原酒店「花嫁道中」が商品化されると、いよいよヒートアップ。あっというまに、オタクたちのいわゆる聖地(らき☆すたの聖地鷺宮神社とはもちろん違う意味で)になってしまったのである。で、それを確認すべくやってきたというわけ。詳細は、『city&life』のno.92号「かわいいまちづくり」を読んでいただくとして、この取材で新たな発見があったことを記しておこう。じつは、あの巨匠白井晟一さんの設計した建物が羽後町周辺にいくつか現存しているというのだ。飯倉町交差点に建つノアビルや渋谷の松濤美術館、静岡の芹沢?介美術館の設計でしられる白井晟一さんは、秋田の湯沢町に何年か住んでいたということもあって、湯沢市の秋ノ宮村役場、雄勝町役場、羽後病院、稲住温泉浮雲(離れの別室)、他に住宅をいくつか手がけている。白井晟一さんはドイツ留学時代にカール・ヤスパースに師事していたことに興味をもって、一時期調べていたのだが、羽後町の仕事のことはまったく知らなかった(というか忘れていた)。事前に知っていれば、取材日程を伸ばしてでも見て回ったのに。残念だ。

赤羽、けっこう好きかもしれない。今度ちゃんとサーベイしてみよう。

赤羽岩淵改札でYuこりんと待ち合わせる。イラストレーターのヨシムラヨシユキさん宅へ。荒川沿いの高層マンションの11階。荒川沿いでは今週末に桜祭りが催されるとあるが、残念ながらまだ蕾。お邪魔すると、いきなりお子さんがハモニカで迎えてくれた。とても元気な子だ。クライアントの修正案を伝える。嫌がられるのではないかと内心ドキドキしていたのだが、にこにこ笑いながら「いいですよ、わかりました」「じゃ、こんな感じですかねぇ」と真摯に対応してくれる。全部伝えると、「思ったほどではなかったですね」とこれまたうれしい返事。しかも、ラフの上がりは金曜だって。はやっ! あとは上がりをまつだけ。でも、ヨシムラさんはすごく巧い。デッサンがしっかりしていて、動きもじつに巧みに表現する。聞くと、専門の教育は受けたなくて、もともと農協に勤めていたんだそうだ。いたずら書きが高じて、「こうなっちゃいました」と屈託がない。こういう人は、大事にしたい。
赤羽の一番街をぶらぶらする。朝の9時から飲める有名店「まるます」に入る。うわさどおりみなさんすでに楽しそうに飲んでいるではないか。男同士はもちろんのこと、若いカップルや熟年夫婦、どう見ても20代の女の子二人組もジョッキを傾けている。まだ、11時30分だぜ。となりのユニフォーム姿のあんちゃんたちはお茶を飲んでいたのだとばかり思っていたら、日本酒だった。最後に〆で鰻茶なんて頼んでいるし。それにしてもつまみだけで100種類近くあるんじゃないだろうか。僕らは食事だけだったけれど、そういうランチのお客も常連客もまったくわけへだてなく扱ってくれるところがうれしい。赤羽、これはちゃんと歩いてみないとダメですね。まちづくりの視点で、今度しっかりサーベイしてみよう。

リピーターとしては同じでも、その目的が違っているとしたら…

株式会社オリエンタルランドシアトリカル事業部長エグゼクティブプロデューサー・上野幸夫さんの発言(『ぴあ総研エンタタイメント白書』より)が胸に落ちた。 「シルク・ドゥ・ソレイュ シアター東京」をオープンさせるにあたって、ゲストに提供する価値観は、「楽しい」で共通しているけれども、その楽しみの中身は、別なんじゃないかと思うんです。テーマパーク事業の提供価値は”発散型”。それに対してシアトリカル事業は、”蓄積型”。つまり、前者の場合は、ゲストはここにきて全てをリセットしたい、ゼロにしたいという欲求があり、それを満たすためにTDLにやってくる。外界から全く遮断した空間に身を委ねることで、日常の世界を離れたいわけです。一方、後者は、そこに行くことで何か発見をしたいと思っている。行くたび〈来るたび〉に、新しい発見があることを楽しみにしているわけです」。要するに、後者の楽しみとは、そうした発見の経験を蓄積していく楽しみではないか、という。それはまた新たな深堀りでもある。同じ「楽しい」を求めてやってくるリピーターがいても、前者と後者ではその価値観、目的が大きく違うというわけだ。 この分析は、そのまま「まちづくり」にも当てはめられるのではないかと思う。特に観光によるまちづくりを考えているところでは、くちを開けば「リピーターを増やしたい」である。しかし、この伝で言えば、「発散」を求めて再びその地にやって来たのか、もっと「蓄積」したいと思ってまた来たのかでは、全然意味が違う。リピーターの意識がどっちに向いているのか、それを正確に掴まえる必要があるということだろう。単に「二度、三度と通ってほしい」ではダメなのである。

「かわいい」は、いまや「まちづくり」のネタにもなるんですよ

city&lifeの企画委員会。「美しい町と村」と「かわいいまちづくり」の2本を提案する。「美しい」は、ヨーロッパ発なので、日本の文化や農業そのものの違いを留意して、問題点も含めてとりあげるのがいいのでは、というご意見。なるほど、ごもっとも。さて、肝心の「かわいい」は、クライアントの危惧がうそのように、林先生、小谷部先生ともに興味津々。むしろ、建築畑に絞り過ぎないほうがいい、マンダラのようにマルチに紹介したら、と大変好意的なご意見。ばっちり通ってしまった。林先生は、アラフォーを知っていたけれど、小谷部先生は、乙女ロードを知らなかった。そのあとマッカーサーの執務室を見学。小谷部先生はNHKの白州次郎を見たらしく(僕も見てました)、大変興奮気味だった。そういえば、city& life』では、ずっと昔白州正子さんに原稿をお書きいただき、武相荘を撮影させてもらったことがあった。こんなに注目されるようになろうとは思っても見なかったけどね。

大阪の再生に命をかける、今大阪で最も多忙な仕掛け人とは。

新大阪から御堂筋線で本町へ。久太郎町にある橋爪紳也先生の研究室へ。先生は、目下、大阪府立大学特別教授、大阪府立大学観光産業戦略研究所長、大阪市立大学都市研究プラザ特任教授で、今年、橋下知事の政策アドバイザーに就任。八面六臂の活躍中である。

今度は、「石畳と淡い街灯まちづくり支援事業」の審査委員長として、まちづくり事業を手助けしていくことになった。 1.「まちの眠っている資産を掘り起こしてストックにしていくためのプラットホームづくり」 2.「大阪ミュージアム構想」 3.「コミュニティ・ツーリズム」この3本の柱をもとに、橋爪先生は、大阪の再生に本格的に乗り出したのだ。

かつて繊維産業で栄えた大阪・船場地区。産業の空洞化現は船場地域をも直撃している。なんとか往時の賑わいをとり戻そうと、さまざまなグループが活動を始めている。が、いかんせん、行き当たりばったりでもう一つ大きな力にならない。そこで、足並みを揃えることでシナジー効果をあげようと始まったのが「まちづくりプラットホーム」。戦前の近代建築が多く残っていることに注目し、リノベ、コンバージョンにより再生を試みるグループ、商店街の活性化を目指す若いオーナーたち、町の美化運動を続けている団体などが連携し合って、船場地域の価値を高めようというわけだ。「大阪ミュージアム構想」とは、まちすべての一つのミュージアムとみなし、まちに眠っている「人、モノ、価値」を掘り起こそうという試み。とにかく、町に飛び出して、コミュニティそのものを体験する面白さを発見する「コミュニティ・ツーリズム」。橋爪先生のアイデアは、じつは僕らも「C&L」でずっと主張してきたことだ。ただ、先生の場合は、それを頭の中にしまっておくのではなく、手や足、そして口を使って、実践しているのである。そこが偉いです。

大阪は、かつて日本のベニスと呼ばれたほど、運河が縦横無尽に交差する水の都であった。何よりもそうした歴史的記憶が大きな財産である。記憶を蘇らせればいい。東京とはちがった可能性があるように思う。先生にそう言うと、「確かにそうだけど、いったん動き出すと東京は早いんだよね。神田川のクルージングなんか、川めぐりというアイデア自体はうちの方が早かったのに」と悔しそうだった。しかし、いずれにしても、先生の構想する大阪の再生は、夢があって面白そう。しばらくは、その動向を見守っていたいと思う。帰りは、船場地区再生の一つ、三休橋筋をガス灯にするプロジェクトを視察。途中、「rucola」でワインを飲む。

パリで始まったレンタサイクル「ヴェリブ」のその後について。

新宿サザンタワーで首都大学東京准教授・鳥海基樹先生さんと一昨年のパリ探訪以来の再会。あいかわらずお元気そうだ。それもそのはず、今年に入ってまだ1月足らずだというのに、2度も渡仏している。一昨日トゥールーズから帰国されたばかりという。トゥールーズのトラム事情をサーベイしてきたとのこと。なんでも、地下鉄の各駅舎を、複数の建築家、アーティストがコラボでつくっていて、非常に面白かったと、そのドキュメンテーションを見せてくれながら説明してくれた。日本でも横浜の「みなとみらい線」で伊東豊雄さんや内藤廣さんらとデザイナーやアーティストがコラボをして注目されたけれど、規模や予算のかけ方がぜんぜんちがうみたい。

ところで、先生への原稿依頼は、パリで始まったレンタサイクル「ヴェリブ」のその後について。ちょうど、一緒にパリに滞在した頃に始動したこのシステム、予想どおりの成功をおさめ、さらに利用範囲を拡大中という情報を得たので、その実情をレポートしてもらおうと思ったためだ。鳥海さんの目にも、やはりこれからのモビリティの可能性を感じさせるものと映ったようで、ぜひ日本にも普及してほしいと熱く語っておられた。

ボランティアガイドのおじさんと、もう一度細かく見て歩く。

ボランティアガイドのKさん(72歳)がロビーにきてくれる。「むろの木歌碑」。朝鮮通信使が毎回宿泊した「対潮楼・福禅寺」を見学。日本一の景勝地「日東第一形勝」と書き残す。目の前に弁天島。鞆の裏の商家は、土台が長さ2m以上の花崗岩。商人の信用と見栄。坂道の路地。石畳は、20年程前にやった広島博覧会の時に、コンクリート舗装だったものを石畳に貼り替えたらしい。この石畳が意外にいい感じで、鞆の裏のまち歩きに花を添えているように思った。

神社に奉納された力石(120kg〜260kg)。雁木と船の係留止。いろは丸展示館。龍馬・土佐海援隊が乗り組んだ機帆船・いろは丸が紀州藩の軍艦と鞆沖で衝突。その時の遺品などを展示。常夜燈、太田家住宅(重文)、その向かいの「げんちゃんのいりこ屋」でいりこなどを買う。

鞆の浦の町屋づくりの特徴をうかがう。間口三軒だが、たてに細長い、鰻の寝床風。これは、税金は、間口の広さで決められたという当時の名残。つまり、節税のため。「田淵屋」でハヤシライスを食べようと思ったが準備中。「潮待ち茶屋」で昼食。畳にテーブルと椅子。気の流れがよくなるらしいサウンドスケープが流れているかと思うと、たくさんのレスラーの色紙とミニカーやフィギュアのコレクション。なんかおかしな店だ。でも、ごはんは美味しかった。

リノベした御船宿「いろは」の二階宿泊施設を撮影。テレビも冷蔵庫もなくて、2食付で22000円はちょっと……。コーヒーを飲む。サーベイ終了。ホテルへもどり、タクシーで福山へ。広島だから「牡蛎キティ」があると思ったがさすがになかった。そのかわり原爆ドームの「折り鶴キティ」にする。家のものにいつものお土産と言ってあけると、「うへっ、くらい!」と叫んだが、顔は笑っていた。

崖の上のポニョが生まれた港町「鞆の浦」を散策する。

福山駅で初めて下車。駅前に城が建っている。昼食。魚の切り身が三切れ並んでいるというのは珍しい。

タクシーで鞆の浦へ。まず、路地の階段を上って圓福寺・大可島城跡。猫がたくさんいる。ミケ、シバトラ、黒白など。みんな愛想がいい。寄ってきては、すりすりする。ワンちゃんも数匹。芭蕉の句碑。

「鞆まちづくり工房」を探すがわからないので、「御船宿いろは」へ。NPO法人鞆まちづくり工房代表理事の松居秀子さんにinterview。埋め立て架橋反対派のリーダ格のお一人だ。途中で、カメラマンの伊奈英次さんと僕は撮影に。空き家再生プロジェクトの物件を片端から撮る。

鞆の寺町通りから明円寺、「さらすわてい」と「茶房セレーノ」と眺めのいい場所を眺めのいい場所から撮影。鞆の小魚通り。屋台のおばちゃんが、箱から取り出したシャコをむいて食べさせてくれた。塩茹でしただけだと思うけれどこれがむちゃくちゃ美味い。「明日会に来るよ」といったら、「明日のことは知らん」とつれない返事。

「村上パン」と船のメンテナンスの場「焚場」跡を見る。安全パトロールのおじさんに、目の前の県道の渋滞の話を聞く。片側一車線のこの細い道路が県道で、鞆の浦を通過するには、この道を通る以外にない。16時だというのにすでに数台が渋滞に巻き込まれている。夏休みになるともっとひどいらしい。埋め立て架橋推進派の言い分も理解できる。

いろは丸展示場前で編集部の斎藤夕子さんと合流。再び町を散策。保命店「保命酒屋」のかわいい店員さん。試飲させてもらい、保命酒の梅と杏の二種類セットを買う。ホテルに帰ってチェックイン。大浴場に入る。ここは温泉なのだ。

18時半に食事どころ「おてぴ」へ。居酒屋風食堂といったところ。奥の座敷には、地元の人たちが宴会中。定食もあるけれど、カウンター前にずらっと並んだおばんざい。それをそれぞれ取っていただく。2,30種類はあったと思うが、すべてを食べ尽くす。おそらく2級酒だと思うが燗酒が異常に美味い。三人で一升瓶を開けてしまった。帰りがけに訊ねると、、おかみさんも推進派。この地域はまだ下水道が完備していない。埋め立て架橋は、下水道整備事業と抱き合わせになっているとのこと。だからはやく着工してほしいと力説された。

すっかり酔っぱらう。ホテルに帰って部屋でテレビをつける。さあ「ありふれた奇跡」を見ようと思うが早いか爆睡。気がつくととうの昔に終わっていた。

昭和30年代ブームの先にあるのは、豊後高田市の新たな戦略。

カーテンを開けたら、一面銀世界。しかも、まだふり続いている。

豊後高田「昭和の町」の「昭和ロマン蔵」へ。まず、「駄菓子屋の夢博物館」にお邪魔する。04年に斉藤夕子さんが取材させていただいた夢旅案内人藤原ちず子さんがやってきて、ご挨拶。にこにこしながら機敏に対応してくれる元気のいいおばちゃんだ。ざっと博物館を見る。昭和30年代のものを中心にポスターや印刷物に生活雑貨、電化製品、レコードやおもちゃといったグッズ類,ありとあらゆるものが所狭しと並べられている。昭和の遺品を集めた一大倉庫、豊後高田のスミソニアンといった感じ。館内には昭和歌謡が流れている。「お〜、これは僕のもっているコンピレーションアルバムだな」と感動してみたり。

事務所で豊後高田市観光まちづくり株式会社の代表取締役・野田洋二さんと豊後高田市商工観光課・安田祐一さんにお話しを伺う。観光振興をはかりつつもそれだけに留まるのではなく、周辺の地域と協力して、新たな産業の掘り起こしと育成をはかりながら持続可能なまちづくりをめざしていくという、構想、将来像について、ヒヤリングした。たまたま昭和の町が注目されて観光客が予想をはるかにこえてやってきた。しかし、しょせんは商業活性化策の一つでしかない観光を、より継続的にさらに他の産業と連携させていくためには何が必要か。いろいろかんがえているのですよ、彼らは。豊後高田の戦略は、ずっと先を見ていることに驚き、共感する。

外は雪もやんで、陽がさしている。商店街へ。たばこの自販機に、昭和を代表する「わかば」「しんせい」「ゴールデンバット」が並んでいる。「大寅屋食堂」で、昭和58年より値段据置きで消費税もとらない、「350円」のちゃんぽんめんを食べる。少し小ぶりではあるけれど、これが美味い。野菜もたっぷり、海老だってちゃんと入っている。特にスープが美味しかった。プラスティックの柄付きカラーコップに麦茶のサービスというのも泣かせるぜ。感激しました。

そのあと、学校給食の店とか、高田テント店とか森川豊国堂とか「昭和の店」を覗く。「二代目餅屋清水/杵や」へ。ここのおかみさん(ひまわり娘と呼びたい元気一杯の女性)にお話しをうかがいながら、かきもちをご馳走になる。サソリを樹脂で固めたキーホルダーなどを売っている昆虫の店とか「おからコロッケ」が美味しかった「肉のかなおか」、昭和のおもちゃ・グッズの専門店「雑貨商/古美屋」などなど、一軒一軒覗きつつ撮影しながら歩く。

昭和の洋菓子店を彷彿させる「かいえ」でコーヒーとお菓子。再び商店街を戻りながら撮影。すると、団体客が次々にやってくる。「野郎の集団じゃなぁ」と思っていたら、ちゃんとおばさん、お譲さんの団体もやってきて、コロッケを立ち喰いしたり、給食メニューに歓声をあげたり。「杵や」でお土産を買おうと入ると、博物館の 小宮さんがたむろっていた。そして、本日最後の撮影、「昭和ロマン蔵」内の「昭和の夢町三丁目館」と「昭和の絵本美術館」を撮っておしまい。帰りに藤原さんにたっぷりと駄菓子のお土産をいただいた。

帰りは、クルマで宇佐に出てここからJRで朽網(くさみ)下車。クルマで北九州空港へ。小雪の散る空港で食事をして無事帰宅。

レトロがトレンドの時代、門司港レトロは何を狙う?

北九州空港には定刻着。バスで門司港レトロへ。

まず、門司港ホテルに荷物を置いて、ランチタイム。海峡プラザ内の「瓦そばたかせ」に入る。思い出したが、斉藤夕子さんと以前取材で来た時にもここに入った。瓦の上に茶そばと錦糸玉子、カルビと海苔を乗せて火にかけたものそれをめんつゆにレモンを絞っていただく。一人一つではなく、3人分を一つの瓦に出す。まぁ、一回食べればいいや、と思う名実共にB級グルメ。

跳ね橋の開閉を見て、旧門司税関でお茶。彼女たちは取材、僕は門司港レトロの建物や環境を撮影する。旧大阪商船のビルが一番見ごたえがあった。九州鉄道記念館に展示されているSLがよかった。

春にはトロッコ列車が走るという廃線を撮影していたら、ジャージのおじさんがうれしそうに「ここに列車がまた走るんだぞ」と話しかけてきた。そう、今年、廃線を復活させて、関門架橋までトラムが走るのだ。これはいい企画だ。

跳ね橋で取材を終えた彼女たちと合流して、今度は栄町銀天街から清滝かいわいの路地を散策。かつて娼館だったであろう3階建て木造建築が残っている。坂の路地は、疲れるけれどその迷路を歩くのは楽しい。どうみてもポメラニアンではないワンちゃんをそういいきるおばちゃんに遭遇。そこには、2匹の猫がこちらを睨んでいた。

商店街の路地を入ったところにある「放浪記」というレトロな店に入って、コーヒーと昔風のロールケーキを食べる。FUMIKOの林(ハヤシ)ライスのもとをお土産に買う。そう、ここはその生家といわれる林芙美子にちなんだ店なのだ。

第一船だまりの夜景を撮影。シロートには、なかなか敷居の高い撮影であった。asa感度を上げて、露出をマイナスにして撮ると、それらしき撮れることを発見。

一度チェックインして、夕餉にでかける。紹介された三井倶楽部内のレストランは休業。しかたがないので、「トラットリアバルク」に入る。期待もしなかったが、ホスピタリティが著しく欠けた店だった。いきなり箸を出すし、赤ワインは平気で冷蔵するし、そのワインをめぐって何人もの店員が右往左往するし、カード決済すらまともにできない店だった。味も、町の洋食屋程度。こんなことなら、商店街そばの居酒屋に行くんだった。

ところで、「観光でまちづくり」というけれど、いったいどの程度投資をしているのだろうか。TDRは、毎年コンスタンスに追加投資をしているが、シルクドソレイユでは300億近くを新たにつっこんでいる。だから、リピーターが来て2500万人以上の集客を得ることができるのである。もっとも、そのためには業績を上げて資金を集めなければならない。資本主義のいたちごっこをやり続けなくてはいけないのだ。必要なのは智恵よりもカネ。結局は、事業をホンキでやるかどうかにかかっているわけで、ガバナンスこそが問われている、と行政は真剣に考えなくてはいけないのである。

80年、90年代の文化創造に大きな影響力を残したあるグルーブ企業の検証

dzumiへ。毛○君、宮○○君、深○君、そして○川さん、それに店主のIさん。Tさんの研究会の発起集会になるはずの今日の集まりが、延期の報告集会になった。S文化とはなんだったのか、体系的に理論立てて整理することはとても重要だと思う。だから、ぼくも関心をもったわけだが、内部にいた人たちとはだいぶ温度差があることがわかった。
上○さんとTさんの対談で、僕が一番不満に思ったのは、上○さんは結局のところ、消費者の立場からSと向き合っていたわけではなかったことだ。消費者といういうのは、Sグルーブのお客さんという意味。上○さんが、S文化の誕生と成熟を評価しながら……それは小売業として文化に関わり続けたTさんを高く評価してという意味でが……、その本業が立ち居かなくなって、最終的に解体していくその過程をみながら、Tさんの経営能力のなさ、経営感覚のなさを批判する。何か上から目線で、文化には理解があったのに、商業者として経営者としてのTさんをダメだったと断罪するその姿勢そのものに、ぼくは強い違和感をもった。
上○さんは、いったいいつSのお客さんだったのか。消費意欲を駆り立てられない、少なくともその意識、無意識の希薄な人間が、一方でハイカルチャーを享受し礼賛する、そして、その落差に失望する、この構図自体が、僕にはとてもインチキ臭くみえてしまうのだ。しょせんは、学者の目線でしかないな、という感想。毛○君も、同じようなことを言っていた。上○さんは、グッチもビトンももってないし、興味も関心も薄いんじゃないかなぁって。だから、この研究会でそこを埋めたかったのだ、僕としては。
しかし、こういう気持ちは、じつは内部の人間は、むしろあまり本気で思っていなかったようだ。内部の人間は、逆に世間のSに対する評価と内側の評価のギャップに戸惑っていたのだ。Sは暴走していた。プロジェクトを起こす時、これならTさんは喜ぶ、これはSぽい、もっとラディカルじゃないとTさん的じゃない、といった言動が内部ではいきかっていた。でも、それはTさんの真意ではなかった。周囲の人間たちがかってにT像をつくり、S文化幻想をつくりあげてしまった。そして、それにみずから振り回されていく。Sグルーブの代理店にもとんでもない勘違いオジサンがいた話。みんな暴走していて、その暴走をTさんも見て見ぬふりをした。その意味では、Iさんも暴走組の一人だった。
香○さんは、S文化に幻惑されていた。「決してサブカル好きを喜ばすだけがSではなかったのに、香○さんはまちがっているな」という人が案外いたらしい。だが、僕から見れば、外の人間の多くは、香○さんと同じように見ていたんじゃないだろうか。みんな幻惑されていたのだ。
そういえば、弊社のKちゃんのお姉さんをIさんと取材したことがあった。彼女もS文化に幻惑された一人で、その夢を実現させたくてSに就職する。いつか文○事業部への異動を希望しつつも、結局、SYの紳士売り場の店員に甘んじざるを得なかった。そういう社員がたくさんいたはずだ。毛○君の見方も、決して内部の声を反映しているものではないように思う。だからこそ、内部と外部の境界を取っ払って、S文化を正面から研究してみたかったのだ。それもかなわぬことになりそう。再びこのメンバーで集まれることをただただ願っている。

「知的資産経営」をまちづくりに活かそうというアイデア

本日の『city&life』の企画委員会のために、資料に目を通す。企画会議の提案は、ディテールへのこだわりがポイント。しかし、あまりマニアックすぎてもいけない。その度合いがむつかしい。16時から企画委員会。「都市彩譜」「〈美しい町と村〉で変わる都市」の二案を提案する。「都市彩譜」(「まちのいろどりのふ」と読みます)は、経済企画省の「知的資産経営」をまちづくりに活かそうというもの。「崖の上のポニョ」で宮崎駿監督が構想を練った場所としてすっかり有名になった鞆の浦や門司港レトロ地区を取材しようという企画。一方の、「〈美しい町と村〉で変わる都市」は、日本で最も美しい村連合に加盟している北海道美瑛町、長野県大鹿村などを紹介するもの。大鹿村は、一度途絶えた大鹿歌舞伎を復活させて村を再生させたところ。そのきっかけになったのがこの村歌舞伎を題材にした映画「Beauty」の上映だが、この映画のプロデューサーが親友の桑山和之さんだった。そんな縁もあって、個性豊かな「村」の存在を知ってもらおうというのが今回の意図である。〈美しい町と村〉は、すんなり通ったが、彩譜と知的資産がどう結びつくかわからないという指摘が企画委員からでる。もっともな意見である。若干手直しすることになった。とはいえ、二つとも承認される。これで、3月と6月までの2号分の特集が動き出す。『談』も同じ間隔で企画が進行する。来年も忙しくなりそうだ。

「安心・安全」時代のビフォアー&アフター

JTへ。いつもの調子でエレベータホールに入ると、突然、ガードマンに呼び止められる。所属と名前を聞かれる。いったいどうなっているのか慌てる。22階の総合受付の自動ドアが開くと、ここにもガードマン。再び同じことを聞かれる。おいおい、僕は犯罪者か。今日は、担当者と打ち合わせに来ただけなのに。もともと、JTビルは、セキュリティに関しては、異常なほど寛容だった。誰でも、スイスイ入れた。逆に、いくらなんでも、それ危なくないかと心配していたくらい。だから、この豹変振りには驚いたのだが、どうやら、僕の心配どおり、不審な侵入者があって、それ以来セキュリティを強化したのだという。でも、ほんとうは、どこのビルもこんなもんですけどね。逆に、「安心・安全」なんて誰も言わなかった時代が思い出されて、ちょっと考えさせられました。

日本橋周辺にはユニークなギャラリースペースが多い。

松谷さんのインタビュー原稿をアップして、チェックに出す。すぐに、饗庭さんの原稿にとりかかる。インタビューのテープを起こしていて驚いた。ちゃんとストーリーになっていて、「都市をたたむ」というアイデアが、一つ一つ段階を踏みながら広がり、深まっていくのだ。思いつきではなく、理論的にも説得力のある議論になっている。今回のトップにもってきてもいい内容だ。

地下鉄「三越前」駅へ。「東京R不動産」「オープンA」の取材。株式会社スピークの三箇山泰さんに話しを聞いていると、「遅れてすみません」と言いながら馬場正尊さん(オープンA代表)が飛び込んでくる。もともと佐賀県の商店街にあるたばこ屋さんのご子息。(突如「たばこ屋からみたまちづくり」! なんてアイデアが閃く)。馬場さん、商店街の衰亡、都市の縮小については、ずいぶん前から実感していたという。建築家として、まちづくりにかかわりながら、縮小という現実をどう受け止めて、何をやるべきか模索してきた。その経験から、人口と面積によってまちづくりの取り組み方がまったく異なることがわかったという。現在、日本橋、金沢、山形と、まさに人口と面積が違う三つの現場でプロジェクトを進行中。何にフォーカスを当てるか、それがカギ。このあたりの話は、『city&life』最新号を読んでください。

近くにある小出由紀子事務所のギャラリーを訪ねる。「TEXTACY」、文字を扱う何人かのアール・ブリュットの作品。J.B.マリーさんの作品が面白かった。小出さんと立ち話をしていたら、勝本みつるさんの作品をたくさんもっているというコレクターSさんが来られる。古本屋で今日手に入れたと、ギャラリー・イヴで開催された個展の際に発行された、四方田さんがテキストを書いた勝本さんのカタログをかばんから取り出し見せてくれた。ところで、小出さんと勝本さんのつきあいは、みつるさんのお兄さま(滋賀県)とアール・ブリュットの関係かと思ったら、ぜんぜん違って、以前女性の4人展をやった時の作家のお一人だった。縁は異なものですね。それはさておき、一角をギャラリースペースとして開放している編集事務所は、東京広しといえどもここだけじゃないだろうか。ユニークな場所だ。

戒厳令下のアートフェスに行って来ました

みなとみらい線に乗って新高島で下車。町を少し歩く。ショッピングモールとアミューズメントと飲食店しかない。あまりのチープさに腰が抜けた。町全体がテーマパークみたい。マックに入ったが、ここの内装がまた一昔前に流行ったミッドセンチュリーもどきのそのまたもどき。4人掛けのテープルが仕切られていてブースっぽくなっているのだけれど、大きなガラスばりなので、サラリーマンなんかが数人でテーブル挟んで話している絵は、なんかとってもヘンだ。

再びみなとみらい線にのって横浜へ戻り、京急で日ノ出町へ。約束の時間より少し早くついたので、黄金町バザールの会場の通りを小金町方向へ歩く。ガード下で新井卓さんと遭遇(『談』no.82でダゲレオタイプの作品を掲載)。彼は、ここで写真館のプロジェクトをやっているのだ。そのままバザールオフィスへ。ちょうど編集の斎藤さんとライターの大城さんがやってくる。

『city&life』の取材。まず、実行委員の山野さんにインタビュー。京急高架補修工事で小規模店舗が立ち退く。ところが、小規模店舗が周辺に拡散・拡大、かえって買売春の店舗が増えてしまった。初黄日ノ出町環境浄化推進協議会を発足してあらたなまちづくりを始める。通称「バイバイ作戦」。一斉摘発で空き店舗となったところをアーティストに貸して、アートによるまちづくりを始める。そのうち新しくなった高架下の2ヶ所を市が買い上げて、アーティストのスタジオ、ショップとして再スタート。それを機に、周辺の協力を得て今回「黄金町バザール」を展開することになったのだ。

特殊飲食店をそのまま使ったインスタレーションや写真展、ワークショップ、パフォーマンスにカフェなど。新井さんの写真館を覗く。彼は、ここでダゲレオタイプで記念写真を撮ってくれるユニークな試みをやっている。新高島にはない歴史的な重みがちょっとだけここにはあった。。

結局、住民たちがどうしたいかを決めて、その目標に向かってまちづくりをするのがいい。そのきっかけになればと始まったアートフェスだけれど、ぐるっとみた感じではうまくいっているように思った。挑発的に、「敷金礼金なしで風俗営業も可」と書かれたチラシの張ってあるある空き店舗がまだあったり。関係者に言わせると、戒厳令下のアートフェスなのだそうだ。でも、なんで戒厳令下だって? それは、行ってみればわかりますよ。みんなものすごく楽しそうにしてますが、要所要所には、ちゃんと機動隊や警官隊が24時間で警備しているんですから。

人間は単なる量か。人口論という陥穽。

慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスへ。総合政策学部教授大江守之先生にインタビュー。開口一番、「都市はシュリンキングしていないというのが僕の立場だけど、いいの?」そうなんです、大江先生は、都市が転換期にあるという認識はもっているものの、縮小しているとは見ていないのでした。シュリンキング・シティなんていったい誰がいいだしたのかとすら言うのだった。

シュリンキングの最大の問題点は、人間を人口としてしかみていないことだという。人間は、原子のような抽象的なモノとみなして、その量が増えたとか減ったとか言って騒いでいる。人間は生き物であり、人それぞれちがう。先生は、だから世帯や年齢層で捉えなければいけないとおっしゃる。人口縮小といってもその中身は多様なのだ。

たとえば、1930年代、40年代生まれの世代が戦後家族をもって郊外に居を構える。都市のスプロール化は、彼らが地方から都市へ移動してきて、郊外に住むことによって起こった現象だ。夫がサラリーマンで妻は専業主婦、子供は2人ぐらい。閉じたサービスシステムとして家庭があるというのが、彼らの平均的プロフィールである。やがて、60年代70年代になると彼らの子供世代が家庭をもつようになる。子供たちは独立して家を出る。

郊外では、高齢者夫婦ばかりが目だつようになる。かつてのような子供たちの歓声が聞こえない。商店街からは賑わいが消え、かわって病院ばかりが流行る。この光景を目の当たりにすると、ついに都市収縮が始まったのか、いよいよ本格的な高齢化社会の到来だ、と思ってしまうのだ。単に世代によるライフスタイルの違いが表面化したにすぎない。中身を見るとはそういうことで、人間は単なる集合体ではないのである。

思えばこのことは、『談』でずっと言い続けてきたことだった。うかつにもすっかり忘れていたのである。人口という量の増減だけで一喜一憂すること自体、土台おかしいのである。ある現象を前にして、さまざまな見方があるし、あり得るのだ。いつもそういって、とにかく先入見を排して目の前にあるファクトを見ることを心がけてきたというのに。思い込みとはかくも恐ろしきもの。ここは、もう一度肝に銘じて、「現象そのものへ帰ろう!」。

大増税か福祉の切り捨てか。労働人口減少が、究極の選択を迫る?!

政策研究大学院大学教授松谷明彦先生のインタビュー。松谷さんは全国でみれば、今後人口縮小していくのははっきりしている。しかし、東京などの大都市圏に限って言えば、今後も主立ったシュリンキングはない。問題は、その人口の中身だという。高齢人口の割合が急増し、若年層が減少する。労働力の減少、納税者の減少、所得者の減少の中で、高齢人口を支えなければならない状況になるのだ。大都市圏では、一人当たりの財政支出は確実に増大し、社会福祉を受けられない高齢者が間違いなく増加する。大増税か福祉の水準を下げるか、都市住民は、究極の選択をせまられることになるのだ。一方、経済をみると、日本全体で労働人口が2割減少することが予想される。従来のような薄利多売を基調とする企業経営は、見直しが迫られることになる。これまでのように低開発型のビジネスモデルを踏襲するのか、思い切った業種の絞り込みと高価格化路線への転換以外に、日本企業の生き残る道はない。地方都市が危ないと言われ続けてきたが、人口減少は、逆に地方には有利に働く。30年後の地方は今とそう変わらない。問題は、東京を中心とする大都市圏だ。人は減らないのに、高齢者層が急増し、納税者や所得を得る若年層が減少すると、都市は確実にスラム化する。今後大都市をどう維持させていくか、少なくとも、大規模再開発は即刻中止する必要がある。ストックを活かしたリノベーション型の都市更新以外には選択肢はないといってよい。いずれにしても、今後30年は、都市構造全体の大変革期になることだけは間違いないだろう。松谷さんも、東京はシュリンキングしないから問題だという。むしろ、高齢人口の増大こそ、最大の問題なのだ。いやはや、今回もまた団塊さんたちがお荷物になるという話。

東京が大荷物になる時代が、もうそこまで来ている。

弊社にて日本政策投資銀行地域振興部参事役藻谷浩介さんのインタビュー。夕張の失敗は、シュリンキングできなかったこと、というところから話は始まった。たとえば、日本の高齢化率をみると、2005年は17.5%だが、2015年には24.8%。約3人に1人が65歳以上という時代が、第2回東京オリンピック(たぶんそれはないだろうけど)を待たずしてやってくる。この数字に驚いた人は多いと思うが、じつは、これは全国平均。東京に限ってみると、45%、さらに75歳以上ではなんと63%になるのだという。全国の団塊世代は、4人に1人だが、東京では3人に1人、その団塊世代が今後高齢化していく。つまり、人口のボリュームゾーンであるところの団塊さんたちが年齢を重ねることで、東京は、年寄りだらけになってしまうというわけだ。地方をどうするかなんて言っている場合ではない。このままいくと、東京こそ日本の大荷物になりかねない。人口縮小というと、再開発で乱立するタワーマンションが空き家だらけになり、大規模商業施設が丸ごとシャッター街になるなんていうイメージを思い浮かべてしまう。しかし、これはあくまでも地方のこと。東京では人口が縮小しないこと、そのことこそが大問題なのだ。家はあってもメンテができない、店はあっても所得がないので何も買えない。そういうお年寄りで、東京はいっぱいになるというわけだ。さあ、どうする。
国内3200市町村の99.9%と海外53ヶ所くまなく見て回った経済のフィールドワーカーの言葉は、とにかく迫力がある。地方財政がどうだとか地方が破綻するとか、言ってる場合ではない。東京が大阪こそが問題なのだ。もう一度繰り返す。さあ、ぼくたちこれからどうすればいいのよ。

「ファイバーシティ2050」を思想としてみると…

TXで柏の葉キャンパス駅で下車し、タクシーで東京大学新領域創成科学研究科教授大野秀敏先生の研究室へ。大野先生は、一昨年都市のシュリンキングを見据えて「ファイバーシティ2050」という構想を提案された。そこで、先生の見ている都市の縮小のイメージと、その事態を逆手にとり、一種の好機と捉え直して豊かな都市環境づくりについてお話してもらおうと思ったのだ。
都市の縮小、都市の縮退が現実のものになろうとしている今、これまでの都市計画、都市開発は根本から方向転換を余儀なくされている。都市は成長・発展するものというこれまで自明とされてきた前提が崩れたからだ。50年後には、4000万人近い人口減が予想されている。都市から人がいなくなるという。ともすると悲観的にならざるをえない未来に対して、縮小という新たな事態をむしろ積極的に活かしたまちづくりの方法があるはずで、それを絵にしてみせてくれたのが「ファイバーシティ2050」であった。丹下健三の「東京計画1960」以来、大都市を対象とした都市計画が提案されることがなかったが、「ファイバーシティ2050」は、ひさかたぶりに発表されたいわば大文字の都市のグランドデザインとなった。
今日のインタビューは、具体的な手法、モデルプランとして紹介されることが多かった「ファイバーシティ2050」を、むしろ思想的な側面からスポットをあてて、パラダイムシフトとしての意味を語っていただいた。短いインタビューではあったが、シュリンキングと都市の新たな関係を考えるための、貴重な提言となったと思う。

「だれのものでもない土地」が広がっていく未来

首都大学東京へ。南大沢は大きく様変わりしていた。駅からまっすぐに大学正門へ向かうと、まずシネコンと飲食店のモール、さらに左右にイタリアをイメージしたアウトレットモールが広がる。工学部の9号館はずっと奥。今日は都市環境学部准教授饗庭伸先生のインタビュー。71年生まれの若い先生だ。先生は、「都市をたたむ」というコンセプトで、人口縮小時代の都市デザインのあるべき姿を研究されている。この「都市をたたむ」という云い方が気に入って、ぜひそのお考えをお聞きしようと思ったわけだ。詳細は、例によって『city&life』を読んでいただければいいのだが、個人的に面白かったのは、人口縮小が進むと「だれのものでもない土地」が広がっていくという話。土地というのは、基本的に所有者がいるものだが、人口縮小が引き金になって、土地所有の放棄が起こってくるかもしれないということだ。比喩的に言えば遺棄。アガンベン風に言えば「ゾーエー」としての土地が、国土のそこかしこにぼこぼこと穴が空くように出現してくるのである。ぼくは、しかし、だからこそ、こうした誰にも相手にされない土地に、希望を感じる。もしかすると、こういう土地こそ、全うな意味での「公共」の空間となりうるのではないかと思うからである。ゾーエーの土地論、あるいはそれを公共スペースへと反転させること。

都市のシュリンキングを特集する。

『 city&life』の企画委員会。「シュリンキング・シティ……縮小する都市の新たなイメージ」「美しい町と村」のまちづくりの2本の特集案を提案する。日端先生、林先生、陣内先生共にとても熱心に聴いてくれて、助言、感想、提案をしてくれた。16時より予定があるらしいのだが、みなさんがあまり一生懸命なので、時間一杯。それでも、参考になる意見ばかりだったので、こういうのはありがたい。実りある委員会だった。
そのあと「gallery artunlimited」へ。「中野正貴「東京圧縮」」展を見る。「TOKYO NOBODY」「TOKYO WINDOWS」、新作「TOKYO FlOAT」のオリジナルプリントの展示。たとえば、銀座通りのど真ん中に人のいない東京が出現する。たとえば、渋谷に、汐留に、人間の気配すらしない真っ昼間の東京が裸になった表れる。今回はじめてオリジナルプリントを見た。写真集を買った時とは違った印象をもった。複製芸術である写真において、驚いたことにアウラを感じ取ってしまった。それはいいことなのか。次回は伊奈英次さんの展覧会が予定されている。なんと新作の展示も予定されている。これがすごいのだ。はっきりいって、伊奈さんの最高傑作になるかもしれない。首を長くして待っていよう。

昭和軽薄体とエクリチュールの管理社会化

「路上「もの」派の80年代」を脱稿。藤森照信さんは、常に軽やかに元気一杯で80年代を生きぬいてこられた。しかし、その裏では、さまざまな葛藤、戦いがあったにちがいない。今回、藤森さんの文体と趣向を真似てみたのだけれど、それがじつはとても努力のいることだということを実感したからだ。真似るのが大変というのではない、そういうエクリチュールを「がくもん」の世界でやることの困難である。あの「看板建築」でさえ、建築学会は認めようとしなかった。ましてや、路上の「もの」自体を建築と同等に扱い、しかもコラムニストばりに、ひょうきんと諧謔を旨とするような文体で書きつづることを、「がくもん」の世界は許すはずがない。ほんとうは、四面楚歌だったのではなかろうか。しかし、そんなことはおくびにもださず、ひょうひょうとした態度で書き抜いた。そのことに僕は感心した。そういえば、昭和軽薄体なんて言葉があった。軽薄を貫くことは、じつは、80年代にとって、ひとつの文化戦略だったのかもしれない。しかし、それは、08年においても有効かといえば、全くそんなことはない。それどころか、エクリチュールの管理社会化は、現代の方がじつははるかに強まっているような気すらするのである。

建築史、批評界「〈もの派〉の見取り図」年表、果たして間に合うのか。

一日中年表づくり。昔から、年表をつくるのが好きだった。けっこううまくできたのもある。けれども、今回つくっている建築史、批評界「〈もの派〉の見取り図」年表は、なかなか難儀だ。最終的には、イラストレーターに手書きで仕上げてもらうつもり。しかし、取りかかるのが遅かった。締め切りがすでにすぎている。原案は、できたけれど絵に起こすのが間に合わないかもしれない。ひとり悲鳴をあげている僕…。

続いて2本目の原稿にとりかかる。

渡和由先生のインタビュー原稿にとりかかる。「吉祥寺スタイル」をもう一度読み直す。『city&life』の吉祥寺特集も読み直す。原稿を書き始めるが、なかなか進まない。昼食を食べて、再び始める。なんとか、方向が見えてきたが、今日はここまで。

二度も夏フェスを経験してしまった。

今年ついに夏フェスを二つも経験してしまった。「SUMER SONIC 08」のインビテーション・チケットをもらったからだ。その東京第1日目に行った。old man river、PANIC AT THE DISCO、THE VERVE、SEX PISTOLS、Paul Wellerを観る。感想を一言で言うと、かつてのいわゆる「ロック フェスティバル」という感じ。フジロックフェスティバルと比較される都市型夏フェスだが、フジロックの常連としては、根本的なところで両者は、別物という印象をもった。エンタメビジネス論として、この二大夏フェスをいずれ詳細に検討するつもりでいるが、共通項より違いを際立たせて論じた方がよさそうだと思った。それは、ともかくジョン・ライドンはたいした役者だと思いましたね。不況のどん底にあったイギリスに登場したSEX PISTOLSが、この日本で演奏する意味は、二重三重に面白いのだが、そういうことは一切払拭されて、かつてのヒット曲をけれん味たっぷりに歌う姿は、完璧なフェイクであった。自らをフェイクとして演じ切るおじさんロッカー。逆の意味でとても怖い人だ。

天草、三角西港は、編集部イチ押しの観光スポットだ。

昨日、今日と天草へ取材旅行。「city&life」誌の「都市を拓いた人々」で天草五橋建設に尽力した森慈秀さんを取り上げるため。執筆は斎藤夕子さん、僕はカメラマンとして同行した。というか、この連載記事は、編集部で作成しているため、編集部員が行くことになっているのだ。富岡城趾からサンセットラインを走り、妙見浦、十三仏、五足の靴、そして大江天主堂、ルルドのマリアを見て、崎津天主堂へ、一通り観光スポットを巡る。意外な収穫は、三角西港の整備事業。オランダ人技師ムルドルが設計に関わった港で、明治20年に完成。一時は天草の要衝だったが、後に衰退、港としての機能を終えていたが、その場所にあった建物の他に明治期に建設された近代建築を移築して、レトロな雰囲気をもつ観光スポットに再生した。石造り岸壁、土蔵造の建物、木造の建築物が建ち並び、さながら小振りな明治村といった感じ。欲をいえば、カフェやショップだけでなく、ライブハウスやクルージングが楽しめる施設もほしい。旅行ガイドブックには、まだあまり紹介されていない場所だが、もっと力を入れて開発すれば、きっといい観光施設になると思う。もしも、そっち方面に行かれる予定のあるひとは、ぜひ訪ねてほしい編集部イチ押しの場所です。

東京のど真ん中で野宿を愉しむお嬢さん

ライターの大城君と、町田で『野宿野郎』の編集長(仮)かとうちあきさんにインタビュー。『野宿野郎』ってなに? 仮ってなに? って思うでしょ。『野宿野郎』とは、雑誌名で、公園や河川敷や路上で野宿を愉しむひと向けの専門誌、というか、野宿ファンの雑誌です。とにかく野宿が大好きで、高校生の時から、寝袋片手にどこでも野宿してしまうかとうさんが勝手に始めたミニコミです。野郎なんていうから、無粋な大男を想像していたら、とてもかわいらしいお嬢さんでした。なぜ仮か、これは名刺にそう書いてあったからで、理由はわかりません。

三浦しおんさんが来店されたことを大々的に宣伝するレトロな喫茶店、「珈琲の殿堂プリンス」に入りました。さて、かとうさん、とても面白い方でした。今、同人誌というとデザインもあかぬけていて、シャレている。レイアウトソフトをつかって、プロ並のクオリティのものがほとんど。そんなミニコミ界にあって『野宿野郎』は、お世辞にもきれいといえない、ワイルド系、手書き重視の、一昔前のミニコミ然とした雑誌です(もっとも、そのザラッとした手触りがたまらなくいいんですが)。

聞くと、わざわざ手貼りで版下つくって入稿しているのだそうです。かえってお金もかかるし、重版はできないし、なんでこんなふうにやんなきゃなんないんでしょうか、だって(笑)。いちいちこんな調子で、自分のやっていることを、上から目線で、おかしがっているところが面白い。そもそも大学で「頭脳パン」のサークルをつくったというところから、踏み外しています。

とにかく、野宿が好きなのです。今では、ちょっと屋根の下にいるのが長くなると、外で寝たくなるとか。居酒屋で飲んでいても、横になれないからといって外に飛び出して、野宿モードで飲みなおすというのですから。都内の野宿ベストスポットは? と 訊ねると、代々木公園だそうです。野宿野郎のほかに、バックパッカーやブルーシート系のひと、外国人も多いらしく、棲み分けができているとか。また、お台場はウォーターフロント、芝公園は東京タワーと、都会絶景ポイントを寝袋にくるまって見るのはとても愉しいですよ、とうれしそうな顔。雑誌が縁で仲間も少しづつふえているそうな。中には、アラ40もいるとのこと。彼女は、寝袋で寝ただけではなく、段ボールや新聞も経験ズミ。かなりハマっているらしく、そのまま出勤することもあるとか。

それにしても、かとうさんのこのゆるめのキャラは、とてもいいですね。現に、取材が殺到しているらしく、今年の下半期は、絶対ブレイクするでしょう。年末には紅白のゲスト審査員に選ばれるのでは、なんてことだってあるかも。

こわい事件が続きます。くれぐれも気をつけて、野宿愉しんでくださいね。

谷根千境とはじつにうまいネーミングだ

日暮里で北口改札前西口方面で待ち合わせ。岡本さんと坂部明浩さん。坂部さんに案内されて、谷中をぶらっと歩く。あのボートが突き刺さっているマリンちゃんのマンションの奥のマンション。自宅の下の部屋を事務所がわりに使用している。坂部さんは谷根千境という言葉をつくった。要するに谷中、根津、千駄木は、台東区と荒川区のマージナルなエリアになっているというところに注目したのだ。そこを通過する種々の身体、さまざまな生活文化。坂部さんが書きたかったことがようやくわかった。いったん事務所にもどって、15時30分よりTASCへ。編集会議、editor's noteに、今回は公開対談で本誌にはそのドキュメントを掲載したとちゃんと明記した方がいいというアドバイスをもらう。これでようやく発行になる。予定は、お盆前。
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