情報

『談』no.103「メディア化するコミュニケーション」刊行記念トークイベント開催のお知らせ

70回目を迎える終戦記念日の前夜に、桂英史さんと今福龍太さんがアメリカについて考え、語り合います。
参加ご希望の方は事前申し込みをお願いします。
出演:桂英史、今福龍太
司会:佐藤真(『談』編集長)
【日時】
8月14日(金) 20:00〜22:00(19:30開場)
【場所】
本屋B&B
東京都世田谷区北沢2-12-4 2F
【入場料】
1500yen+1drink order(500yen)

『談』 no.103「メディア化するコミュニケーション」刊行記念トークイベント

「メディア化するコミュニケーション」本日、一斉発売!!

桂英史 端末市民の行方 レトリックの共同体から発話の共同体へ
インターネットがまだこれほど普及していない時代に、ヴィリリオはすでに常時接続された端末市民の行く末を見て取っていたのだ。端末市民とは誰か。ヴィリリオの直感を桂氏が換骨奪胎する。

奥村隆 不気味な怪物とハグは可能か
「誰かにとっての誰か」というかけがいのない固有性として愛すること。だが、「誰にとっても誰でもない」ただの男、ただの女として愛し合うこともできるのだ。この二重性のただなかで引き裂かれた私。モーツァルトのオペラに見るコミュニケーションの愛の不毛と幸福を奥村氏が斬る。

伊藤守  地すべりするコミュニケーション
ケータイメールはすでに過去のものとなった。ヴァーチャルなソーシャルメディアを媒介にしたコミュニケーションが常にリアルな社会と接続可能な実体として成立している社会。そこにあるのは、もう一つのリアルワールドだ。主体が客体化し、客体が主体となるdividuel(分人)世界のリアルに伊藤氏が切り込む。

右メニューバーのno.103号の表紙をすぐにクリック!!

『談』no.103 特集「メディア化するコミュニケーション」が7月10日全国一斉発売!!

『談』no.103 特集「メディア化するコミュニケーション」が7月10日発売になりますが、
一足先に『談』ウェブサイトでは、アブストラクトとeditor's noteを「最新号」にアップしました。
右のメニューバーのno.103号の表紙をクリックしてください。

これまでのメディア研究は大きく二つの流れがあったといいます。一つは19世紀に始まる報道を主たる対象とするジャーナリズム研究や文化研究などの社会学的な知見、もう一つは、20世紀以降のエレクトロニクスや情報通信技術などの制御や通信、あるいは情報を数学的に処理する情報学的知見ですが、両者に共通するのは、大量かつ即時的にメッセージを伝達することの利便性や効用を「期待(expectation)」することです(桂英史)。そして、ここで注目すべきは、伝える/伝えられるという行為や関係は「期待」があってこそ成り立つものだということです。コミュニケーションとは、言うなればこの期待に賭ける行為そのものであり、期待があるからこそ、コミュニケーションはメディア的性格をもち、逆に言えば、メディアは限りなくコミュニケーションへとメタモルフォーゼするのです。
今、再びコミュニケーションに関心が集まっています。無縁社会とは、コミュニケーションが途絶えた社会であり、コミュ力のない人間は、社会と適応できない人間を指す。今や、コミュニケーションは、人間にとって人間存在そのものを規定するような重要なものになっています。人間にとってコミュニケーションとは何か。メディア環境が激変しつつある現代社会にあって、コミュニケーションは何を意味するのでしょうか。人間・社会・メディアの関係から、コミュニケーションについて考察します。
表紙は、木本圭子さんです。
amazonで予約発売中!

談 no.103
桂 英史、奥村隆、伊藤守
水曜社
2015-07-10



webを頼りすぎてはいかんよと言ってる自分が一番頼っていたりして。

新しくはじめる某研究会ミーティング用の資料集め。webで検索してみると、ある大手エンタメ企業が資金を出しているらしい財団が、かなり以前から同種の研究会を立ち上げていたのがわかった。工学系のアプローチという点でもかなりちかい。評議員の顔ぶれが公開されている。見ると、知った顔がかなりいる。資金も潤沢らしく、数千万単位で研究助成もしている。ほかに、電信関連の大手企業がバックについているらしい研究会がもうひとつあった。web上に公開している雑誌のコンテンツをみると、やはりわれわれがやろうとしているものとかなりかぶっている。なにより、その雑誌に登場する研究者がみな若く、研究の内容も多彩かつそれそれの掘り下げも深い。僕は知らなかったが、そっちの分野ではかなり知られている論客もいた。彼などは、われわれの研究会で、少し角度を変えて話してもらえば、いい刺激になると思う。日頃webにたよりすぎていないかとことあるごとに言っているが、なんのことはない、そういう自分がじつは一番頼っているという皮肉。ともわれ、アイデアは似ていても、こっちには「斜線の科学」という隠し球がある。おそらく、来年の今頃は、われわれの研究会の方が注目されているはずである。

仲正流ウィットの利いた人文学の「トリセツ」

仲正昌樹さんから『〈学問〉の取扱説明書』(作品社)を贈呈していただきました。哲学、思想、法学、政治学、社会学、経済学…といった人文系の知を俯瞰的に捉え、その賢い使い方を伝授しようというもの。まさに「トリセツ」というネーミングがぴったりな本。大学院生と学部生の質問に先生が答えるという一見わかりやすい構成になってはいるものの、仲正流ウィットが利き過ぎていて、いわゆる左翼系現代思想派にはカンに障るところもないわけではない。しかし、そこがまた仲正本の仲正本足る所以と鷹揚にかまえて読むのがよろしいのでは。とにかく、ぼくは面白く読ませていただきました。


〈学問〉の取扱説明書
〈学問〉の取扱説明書
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PR誌というジャンルは命運がつきたのか。

麹町の文春へ。季刊化にあたってクリアすべき問題点を議論する。編集のKさんが、参考にといろいろな雑誌をもってきてくれる。「サントリークオータリー」が今年休刊になったことを初めて知る。その終刊号をみる。確かに、あの個性はどこにいったのといいたくなるような、普通の雑誌になっていた。これでは、出し続ける意味はないかもしれない。というか、もはや本当にPR誌の時代ではないのかもしれない。

ポジショニング・マップは、エンタメを探るいい指針になる。

以前紹介した「文化に投資する時代」の著者寺島博礼さんが発案されたポジショニング・マップをフェスティバル・カルチャーをに当て嵌めてみた。フジロックフェスティバルの各ステージをこのマップ上に配置してみたのだ。するとわかったことは、それぞれのステージが、四つの象限にうまい具合で配置されたのである。じつにうまくバランスしているのだ。結論からいえば、硬軟取り混ぜて、またウレ線とアート系をとりまぜ、総合的にコーデすることが成功への近道ということになるだろう。もちろん、成功というのは事業的に、という意味だけではない。寺島さん風に言うと定性的にもということだ。ポジショニング・マップを、今後、いろんなエンタメに当て嵌めてみることにしよう。

九州の鉄道は、どうしてあんなにユニークな車両が多いのか。

九州にいって気がつくのは、鉄道がみんな個性的なこと。外装がユニークなだけではなくて、内装がやたらゴージャスだったりして驚いてしまう。その謎がやっととけました。個性派列車は、じつは工業デザイナー・水戸岡鋭治さんが手がけたものだった。特急「ゆふいんの森」、特急「ソニック」、観光列車「いさぶろう・しんぺい」など。そして今度は、熊本-人吉間を走るSLや和歌山電鐡(猫の駅長さんのいる)の電車「たま電車」をデザインした。そういえば、INAXで展覧会やっていたのを思い出した。いけば良かった、残念。

リピーターとしては同じでも、その目的が違っているとしたら…

株式会社オリエンタルランドシアトリカル事業部長エグゼクティブプロデューサー・上野幸夫さんの発言(『ぴあ総研エンタタイメント白書』より)が胸に落ちた。 「シルク・ドゥ・ソレイュ シアター東京」をオープンさせるにあたって、ゲストに提供する価値観は、「楽しい」で共通しているけれども、その楽しみの中身は、別なんじゃないかと思うんです。テーマパーク事業の提供価値は”発散型”。それに対してシアトリカル事業は、”蓄積型”。つまり、前者の場合は、ゲストはここにきて全てをリセットしたい、ゼロにしたいという欲求があり、それを満たすためにTDLにやってくる。外界から全く遮断した空間に身を委ねることで、日常の世界を離れたいわけです。一方、後者は、そこに行くことで何か発見をしたいと思っている。行くたび〈来るたび〉に、新しい発見があることを楽しみにしているわけです」。要するに、後者の楽しみとは、そうした発見の経験を蓄積していく楽しみではないか、という。それはまた新たな深堀りでもある。同じ「楽しい」を求めてやってくるリピーターがいても、前者と後者ではその価値観、目的が大きく違うというわけだ。 この分析は、そのまま「まちづくり」にも当てはめられるのではないかと思う。特に観光によるまちづくりを考えているところでは、くちを開けば「リピーターを増やしたい」である。しかし、この伝で言えば、「発散」を求めて再びその地にやって来たのか、もっと「蓄積」したいと思ってまた来たのかでは、全然意味が違う。リピーターの意識がどっちに向いているのか、それを正確に掴まえる必要があるということだろう。単に「二度、三度と通ってほしい」ではダメなのである。

「ブレ」ていいものと「ブレ」てはいけないもの。

某雑誌の編集会議。編集部が出した企画案を検討する。前号同様、コンセプト、ターゲット、コンテンツにブレがあるように思う。言い換えれば、ポジショニング、ストラテジー、オペレーションがブレているのだ。思うに、それぞれの中でブレるのはかまわない。というか、大いにブレるべきだとすら思っている。ブレとは、多様性のことだからだ。しかし、コンセプトからコンテンツまで、つまり、ポジショニングからオペレーションまでの流れには一貫性がないとダメである。これが揺らいでいるとちぐはぐに見える。要するに、「軸がブレる」というやつだ。 ところで、世の中的には「ブレ」はよくないものと思われている。だから、この人は「ブレがないんですよね」と紹介されると、つい、ニンマリしてしまう。しかし、繰り返すまでもなくブレたらなんでもダメというわけではない。むしろブレがあることによって、幅や奥行きがでてくるものもある。ブレていいものとダメなものを、ごっちゃにしてはいけない。コンセプトがころころ変わるのが悪いのではない。コンセプトとターゲット、コンテンツがちくはぐだからまずいのだ。 どういう位置づけで、どういう戦略をもって、どう展開するか。この軸さえきちっとしていれば、それぞれのブレはむしろ強力な武器になる。これ、マーケティングの常識です。

モーター・ジャーナリストたちのエクリチュールってどうして…

とある場所で、『engine』の外車特集を舐めるように読んでしまう。モーター・ジャーナリストたちは、みな、特徴的なエクリチュールをもっている。極端にスペックに凝ったりほとんどジャーゴンのような技術周りのネタをばんばん出しつつ、なぜか文体はきわめてカルい。そもそもクルマ雑誌というのが独特だ。タイトルや中見出しは単純にキャッチー。広告がしっかり入っているからゴーカで、みるからに金がかかっているぞという顔をしている。部数はどのくらい出ているのか。そんなにエンスーっているのか。まったく不思議ばっかりの媒体だ。 ずっと昔、編集長の鈴木正文さんにある座談会に出てもらったことがある。おしゃれで、ダンディ、でも、ちょっぴりひねたオヤジだった。全共闘時代には、ミニにのって闘争に行ってたというから笑える。たぶん、中世の騎士道を気取っていたんだろうな。いや、もしかするとドン・キホーテ?

原稿執筆、チェック、修正、印刷まで120時間で完了。

土日に『cyty&life』の最後の原稿をつくって、月曜日朝一に入稿と同時に著者チェックに出す。夕方に戻ってきたので、転記して夜デザイナーへ。すると翌日には修正。その日のうちにそれを戻して水曜日には印刷所へ入稿。そして、本日出稿。なんと執筆から5日で印刷物になるというハイスピード。ほんとうにこんなんでいいのか。ウェブ編集より早いぞ。

アーキテクチャにフォーカスすることは、アプリケーションに注目することだ。

新宿駅について三菱UFJ東京銀行を探すとスバルビルの1階にオゾン行きのシャトルが。運転手に聞くと、日本技芸など知らないとけんもほろろ。しかたなく、それに乗ってオゾンまで。しかし、すぐに見つかる。すでに、カメラマンの新井卓君とTASCの高村さんが来ている。高村さんは、よく自転車で新宿まで来るそうで、すぐにわかったとのこと。 濱野智史さんのインタビュー。彼はSFCで情報社会論をやっていた。日本で、この分野の資料を探しにたとえば本屋へ行くと、ドラッガーなどの未来学系の棚、あるいは理系の棚、もしくは社会学やメディア論の棚、というように分けられておかれている。この棚の状態が、そのまま現在の情報社会論の状況を示している。つまり、分断されているのだ。だから、議論が深まらないのだというのである。レッシグの登場によって、ようやくあらたな展開が期待できそうだったのに、再びデッドロックに乗り上げてしまった。レッシグの日本版はあえなく潰えてしまったのである。そこで、彼が着目したのは、情報環境のインフラだ。それがアーキテクチャである。アーキテクチャに焦点を絞ることは、アプリケーションに注目することだ。今、それは先カンブリア時代のような状況になっている。さまざまなものが、生成し独自の進化を始めているのである。このアーキテクチャを手がかかりに、情報環境の現状と、リスク/セキュリティの問題を掘り下げていただいた。きわめてスリリングなインタビューになった。さすが若手論客の大注目株の一人。今度の『談』は、面白くなりそうな予感。

シュリンキングする音楽市場、その原因はどこに…。

渋谷の映画館の2階にある喫茶室で、TASCのOさんと八木良太さんに会う。原稿執筆の依頼。八木さんは、音楽プロデューサーで昨今の音楽ビジネスに詳しい。98年をピークにCDの総売上はどんどん下降しているが、逆に配信はうなぎ登り。少なくともJ-POPを中心とする音楽市場はパッケージから配信へ取って代わろうとしている。と、一般的には言われている。が、じつは語られていない事実があるのだ。違法ダウンロードの横行である。PCの配信はいうまでもなくケータイの着うたフルなどでも違法ダウンロードはあとをたたないらしい。
それは別にしても、音楽市場は、今どんどんシュリンキングしているという。今年、アルバムセールスTOP50からついに洋楽が消えた。そもそも大ヒットというものが洋楽にも邦楽になくなった。ポピュラー音楽は、そして音楽市場は今後どうなっていくのか。八木さんに忌憚なく論じてもらう予定。掲載は『TASC monthly』3月号。

最後は文明論へと発展した対談

大阪で某雑誌掲載予定の山崎正和先生と鷲田清一先生の対談。お二人には、以前からインタビューや対談でお世話になっていましたが、お二人の対談は初めて。山崎先生が口火を切る。山崎先生、電車で若い女性に初めて席を譲られてショックだったという話題を披露されました。山崎先生の関心は身体。情報の時代に最後の拠り所として身体があるという話。鷲田さんは、バルトが最後まで隠されているものに推理小説、哲学、女性性器があって、しかし、最後の最後にその秘匿されていることがわかった時、じつはそこに真理はないということを知らされる。宙づり状態になる。その宙づり状態におかれ続けるのが人間であり、そこに快楽の秘密があるのではないかといいます。山崎先生は、それをサスペンスといい、その対極にあるのがスリルではないかと。サスペンス型がドンファン、スリル型がカサノヴァ。そして、現在の文化はサスペンス型からスリル型に変わってきていると。そのあと議論は、山崎先生の誘導によって文明論へと広がっていきました。と、こう書くといったいなんのテーマかって思いますよね。いずれなんの雑誌か報告しますが、発行になったらぜひ読んでください。ところで、対談が終わったあとの食事で聞いたコネタを一つ紹介しましょう。60年代の京大生の話で盛り上がっていたら、鷲田先生、60年代といえばぼくはジュリーのいたタイガースと対バンをやってましたと。なんと先生は、グループサウンドのバンドをやっていて、ギター担当だったんだそうな。いやぁ、人は見掛けによらないものですねぇ。

言葉は可塑性をもっているからいいという面もあるのです

「この店の餃子、マジ、ヤバい!」と思わずでっかい声。カウンターのとなりに座っていたご高齢の男性が、「えっ、もしかして、毒入り……」と口に半分収まりかけていた餃子を吐き出すように、皿に戻したのです。「ちっ違いますよ! むちゃくちゃ美味しいってことですよ」と、ぼくは、あわてて言葉をつなげた。
「やばい」という言葉。昨今、まったく反対の意味で使われる場合が多い。ぼくも、すっかりその使用方法が身に付いてしまい、「マジ、ヤバい」を連発してしまうのですが、本来の使い方しか知らない人には、とんでもないことに聞こえてしまうらしいのです。これをもって日本語が乱れていると嘆く方もいらっしゃるでしょう。しかし逆に見ると、これこそ言語の大いなる特徴なのです。それだけ流動性をもっているということでもあり(今風に言えば、可塑性をもっている)、さらにいえば、発語される意味されるもの(シニフィエ)とその言葉の意味するもの(シニフィアン)は、言語の端緒から恣意的な関係にあるということの証しなのです。そして、これは日本語に特徴的なものではなくて、ほぼ世界の言語に共通した普遍的な性質ですらあるのです。
ジャマイカに行った時のことでした。友だちになったタクシードライバーのボブ君は、調子にのってくると、所かまず「bad!」「bad!」とわめきちらします。じつはこれは「good!」の意味。ジャマイカでは、
価値観が完全に転倒してしまうような、こんな使い方はざらにあるのです。しかも、そうした使用法が沢山載っている「ジャマイカン・イングリッシュ集」なる辞書まであるのです。
言葉は、その使い方を間違うと命取りにもなります。が、そもそもかなりいいかげんなものなのだということを知っておくことも大事なこと。だからこそ「ことば」は面白いと、ぼくは常々思っているわけです。

今、ラディカルな人は、じつは昔からずっとラディカルだった

『tasc monthy』で「シネマ・シガレッタ」の連載をお願いしている粉川哲夫さんのテキスト「もしインターネットが世界を変えるとしたら」(1996年)が公開されているので読む。読み進めてみて驚いた。現代の状況を適確に予測しているとかいうレベルではなくて、ガタリを援用しながら、その可能性と不可能性に言及し、それを自由ラジオ、ミニFMの延長で、いかにラディカルに使い倒すか、徹底的に掘り下げているのだ。先生の現在やっているワークショップはとても刺激的なのだが、その思考のプロセスから必然的に生まれたものだったのだ。僕が今学生だったら(昔々じつは学生でした)、絶対に飛びつくなぁと思ったのだった。

メディアのalternativeが結晶化と共鳴する時…

『談』公開対談第1夜。「粉川哲夫さんと廣瀬純さんの対話」

トピックな話題から入ればいいと思いネグリ来日中止の話から始めてもらう。ネグリ、ガタリときて自由ラジオへつなぎ、そのままラジオアートに流れていけばいい、と思ったからだが、やはり、そうは問屋が卸さなかった。ネグリの話がとぐろを巻くごとく、ぐるぐる回り出す。まさに「ネグリでんぐり」。

粉川さんは、中止にいたった経緯とその対応へのコメント、またネグリ個人に対する感想を述べると、廣瀬さんは、ネグリの思想は、ネグリ・ハートの三部作「帝国」「マルチチュード」「コモン」で捉えるべきで、そこでネグリが一貫してとっているのは、「逆手にとる」という方法ではなかったと指摘。この意見に対して、粉川先生はすでにその「逆手にとる」ということが古いのではないか。返り咲いたベルルスコーニが画策しつつあるグローバルなメディア戦略に対しては、「逆手」では対抗できない、もっと別のこと=「オルタナティヴ」を考えなくてはならない。たとえば、粉川さんのドメイン名である「translocal」、サイト名である「polmorphous」がそのヒントになる。

インターネット環境以降のトランスメディアの可能性として、ラジオのミクロ性に改めて注目し、インターネットとそれを接続することで、グローバルかつミクロなオルタナディメディアを作り出していけるのではないか、と提言する。alternativeとは、alter=変える、とnative=土着の、が合体したことばだとイマジネーションを働かせれば、それはまさに土着性それ自体を更新するという意味になる。「グローカル」がすでに権力に取り囲まれている概念とすれば、むしろ、無数の土着=最小のコミューンをネット上にリンクすること、それが今のalternativeだ。この発想は、廣瀬さんの闘争の「最小回路」=結晶化という考えと共鳴するものだとぼくは理解した。途中、「美味しい料理の哲学」を巡って、大声を張り上げての激しいやり取りが展開されたが、これはライブならではの醍醐味。こういうことがあるから、面白いのだ。さて、明日はどんな話が展開するか、楽しみ。

実務家が実務家に教えるものなどあるのだろうか

エンタメビジネス今年最初の授業。10分遅れて教室に入ると5人、あとから一人加わって全員で6人。去年の半分。今回の顔ぶれは、写真スタジオの経営者、スポーツスクールの経営者、資格教育の学校で教鞭をとっている人、公務員、リゾートホテルのマーケティング担当、元商社マン。みんな、会計学、財務などの実践的なマネジメントの教育を受けている人ばかり。こりゃ、ちょっとやりにくいなぁと思いつつも、ぼく流のやりかたでやるしかない。しかし、今年は逆にぼくが勉強させられることになりそうだ。

想像力の立体地図は、本物以上のリアリティ

TUBE GRAPHICS・木村博之さんのインタビュー。「ご尊父は捕鯨船に乗っていたんですよね」と話を向けると、「これ知ってますか」と言って棚に飾ってあったクリーム色の物体を二つもってきた。「クジラの歯です、面白いでしょう」。子供の時にもらったのだという。ご尊父は、アイスランドやガーナやカナリア諸島と遠洋航海に出て、いく先々の寄航場所から、手紙をくれたのだそうだ。それで、そこがどこかを知りたくて、地図を買って調べ始めたのが、地図に興味をもったきっかけだった。郷里の宮城県女川は、金華山沖でクジラ漁をやっていて、小学生だった木村少年は、毎週のようにニッスイの工場で行われていたクジラの解体を見に行っていた。一方で地図に、他方で解体ショーに。その後地図製作とグラフ制作が合体していく木村さんの思考は、すでに少年時代に準備されていたのだ。木村さんの地図づくりのフィロソフィーに共感する。多面的な見方、こっちからみたり、あっちから見たり、俯瞰したり、下から仰いだり…、世界をさまざまな視点で眺めてみる。そして、地図という2次元の世界にそのまなざしを投影していく。それが、木村流立体地図なのだ。単なるアクソメ図ではなくて、想像力の立体地図といったところか。 TUBE GRAPHICS

ところで、木村さんには以前『談』no.48別冊「混合主体のエチカを求めて」で、面白い地図をつくってもらった。ちょうど地球の真裏同士に位置するカリブ海とバルカン半島。一方は海洋、他方は大陸という違いはあるけれども、人種・民族の混交が激しく進みクレオール文化圏を形成しているという意味では似ている地域。魚眼レンズで見てみると、まるで同じ場所が図と地を反転しているように見えてしまうのだ。「あれは面白かったですよ」と木村さんに伝えたら、すっかり忘れておられた。う〜ん、ちょっとがっかり。

羽根と魚眼レンズをもつおじさん

吉田初三郎さんという地図製作者を知ってますか。こんなのつくっている人

その初三郎さんの研究家でコレクターでもある藤本一美さんにご連絡。初三郎さんの膨大な地図の中で、「賑わい、活気があってまちづくりにつながってくるもの」をお貸しいただけないかというお願いと原稿依頼。電話に出られた藤本さんは、現在の実際の町と捉えて、「…は絵として面白いのだけれど、今衰退しちゃって、町おこしをしようとはしているんですが」とおっしゃる。いや、そうではなくて、描かれた地図の中にそうした賑わいや活気があふれていればいいので…」とあわてて説明する。それならば目星がつくので、探してお送りしましょうとのご返答。あまりに気軽におっしゃるんで、ちょっと驚く。だって一種の美術作品、大変貴重なもの。それをあっさりと宅急便で送ってくれるという。それを撮影することにする。次に、「住宅地図」の件で、ジオへtel。日本にしかないという「住宅地図」。これを写真にとって紹介しようと思っているのだが、個人情報の取り扱いで心配になり連絡をとった次第。「公共施設なら問題ないので、それが出ているページにされたらどうですか」と。僕らの考えていることと同じ回答がかえってきた。複写掲載許可について恐る恐る尋ねたのだが、それもあっさり「いいですよ」と。逆にありがとうございます、とお礼まで言われてしまった。地図関係の人って、なんでこんなによく言えば親切、悪く言えば無防備なんだろうか。そもそも地図というものが、公共的なもので、アノニマスなものだから、所有権とか個人情報といったものに、あまりこだわりがないからなのか。やっぱり地図関係はどこか少し違いますね。

「カキコまっぷ」はすでにケータイに搭載中

東京大学大学院工学系研究科助教・真鍋陸太郎さんにインタビュー。真鍋さんは、サイト上にアップされた地図に、ユーザーが自由に情報を書き込んでいけるシステム「カキコまっぷ」の開発者のお一人。ITを利用したまちづくりの可能性について、実際に画面を見ながらお話ししていただいた。せっかく面白いシステムなのに、 PCだとやはり使いづらいのでは。ケータイから書き込めるといいですよね、といったら、「まだ普及していないけれども、すでにケータイに実装されていますよ」という答えが返ってきた。そうですか、そりゃ早く僕も利用したい。まち歩きに、こんなのがあったらいいのにとずっと前から思っていたので。そういえば、一緒に取材をした斎藤さんは、ただいまアルシーヴ社周辺のグルメマップを製作中。そのうち弊社HPのコンテンツの一つとしてアップされるかも。

■「カキコまっぷ」とは。(株式会社岩手情報システムHPより)
□ 誕生 □
東京大学工学部都市工学科において、地域行政への住民参加を活性化させるひとつの手段として考案され、岩手情報システムがオープンソース版として開発しました。
※独立行政法人情報処理推進機構(IPA)2005年度下期・オープンソースソフトウェア活用基盤整備事業で採択されました。
□ 機能概要 □
・インターネット上に公開された地図に、情報を書込んだ「ふせん」を貼り付けていきます。
・投稿された内容にコメントを追加することにより、書込んだ「ふせん」が「電子会議室」になります。
・GPS付携帯電話からのコメント・画像の投稿及び閲覧ができます。
・ベースとなる地図は、GIS対応データまたは、オリジナルの画像も使用することができます。
 詳しくは ↓

カキコまっぷ


五感地図をつくるために一日渋谷観光の下見

国土地理院の渋谷1万分の一地図と「OZマガジン」渋谷特集、「散歩の達人」を購入。事務所に着いて、五感サーベイ用の渋谷の地図をつくる。2色刷り指定でグリーンの図にスミの文字。実際にこれをもって、カメラをぶら下げて出かける。宮益坂の頂上から左回りに。思っていたとおり「匂い」「音」は普段あまり気にかけないが、いざそっちの機能を鋭敏にさせると、匂ってくる、聴こえてくる、これは面白いぞ。宮益坂で御岳神社を発見。敷き詰められた玉砂利を踏んではけないとある。触ってみるとヒンヤリしている。これは触覚だ。空にはヘリコプター。何機も飛んでいる。そういえば、渋谷の空には、いつもヘリがいるなあ。聴覚を働かせるとほとんど一日中空ではブルブルいっている感じだ。ビルの隙間から揚物の臭い。お弁当屋さんだ。道路を見ると、広告用のボードカーが音楽を流しながらファイヤー通り周辺を巡回している。東急ハンズの向かいのエスニック系の古着やレコード店が集中している所は、お香の匂いが立ちこめている。ここは以前とあまり変わっていない。ある意味で最も渋谷っぽいところかも。そして最後に宇田川町の路地へ。ここも、ドアや窓を開けっぱなしにした屋台風の飲食店が軒を並べている所。美味しそうな匂いがあちらからも、こちらからも、う〜ん、ビールが飲みたくなる。たっぷり2時間、五感による渋谷観光でした。みなさんも、ぜひお試しあれ。

UMAT「基調講演3 レム・コールハース×浅田彰」中止のお知らせ

先日お知らせしました国際会議 「ユビキタス・メディア: アジアからのパラダイム創成」で予定されていた「基調講演3 レム・コールハース×浅田彰」(7月14日15:00〜16:45)が講演者に緊急の事情が発生したため、やむを得ず中止となりました。
中止にともなうスケジュールの変更と代替企画レム・コールハース氏単独による特別講演「アブストラ
クトスペース:新しいアジア」(約1時間を予定)については
UMATのHPに

〈愛好者 Amatorat 〉をめぐって モバイル環境による「クリティカル・スペースの創出」の試み

「国際シンポジウム Ubiquitous Media Asian Transformation」のプレイベントのお知らせです。
哲学者ベルナール・スティグレール氏、メディアアーティスト藤幡正樹氏とともに、東大駒場キャンパスで「<愛好者 amatorat>をめぐって」と題して、デジタル環境における「批評」の再構築に関するシンポジウムが行われます。
以下は石田英敬教授からのメールを転載。
「私たちの社会と文化から「クリティーク」が無惨に後退しているという実感を皆さんもお持ちではないでしょうか?
最近の朝日新聞の夕刊からの文化欄の消滅に示されたように、日刊紙から「論断時評」や「文芸時評」の場所が周縁化していき、かつては作品の質や価値や趣味を評論する場所であった、例えば「キネマ旬報」のような雑誌が「びあ」化し、良い写真とは何かを評する雑誌であった「朝日カメラ」のような写真誌がデジカメのスペック比較のマニュアル誌となり、「ニューヨークタイムズ」が「文芸批評の死」について特集を組み、などなど、私たちの社会のあらゆる領域から「批評」が後退していっています。もちろんこれは社会から「批判」が後退していくことと同じ現象であるともいえる。
このような批評の後退状況とメディア・テクノロジー環境の変化とは、私たちの見るところ緊密に結びついています。しかし、批評の後退は「美しき魂」たちが嘆くような抗いがたい宿命では決してなく、テクノロジー環境自体に発明的に働きかけることによって、批判と創造との関係を新たに生み出すことができるはずだというのが、ここでの私たちの問題提起です。
今回、
ポンピドゥーセンターIRI

で「キアロスタミ/エリセ」展プロジェクトを推進中のスティグレール氏と、そのポンピドゥーセンターでPocket fIlm Festival の招待作品提示をおこなったばかりで、北野武や黒沢清を擁する東京芸大の映像学科の研究科長でもある藤幡正樹氏をお招きして、デジタル環境・モバイル環境においていかに「批評空間」を構築するのか、デジタル時代における「クリティークとは何か」、再生されるべき「パブリックとは何か」をめぐって、「批評の道具」のデモを交えて討議することにしたのは、そのような狙いからです。タイトルの「アマトラ(amatorat)」とは、来るべき「批評/批判」の担い手としての「パブリック」のことです。
なおこの催しは、7月13日ー16日に東大本郷キャンパスで開催されます
国際シンポジウム Ubiquitous Media Asian Transformation

のプレイベントという性格ももっておりますので、そちらもよろしくお願いいたします」

国際シンポジウム「ユビキタス・メディア: アジアからのパラダイム創成」開催のお知らせ

東京大学大学院情報学環副学環長・石田英敬教授より以下のようなご案内をいただきました。

「この度、東京大学大学院情報学環、同総合文化研究科、ノッティンガム・トレント大学 Theory, Culture & Society センターの共催で、7月13日(金)‐16日(月)の期間、下記サイトのような、きわめて大規模で野心的な国際会議を開催いたします。この会議では、現代世界を代表する超大物のメディア学者が次々に来日、基調講演をします。100を超えるテーマ別セッションが開かれ、世界中から集まった約400人の報告者がメディアの理論と研究の文字通りの最前線を報告していきます。さらに、有力なメディア・アーティ
ストによる作品展示も予定しています。

今日、メディアの世界は激変し、社会を根底から変容させています。インターネットや携帯電話からデジタルアーカイブやゲーム、アニメなどのコンテンツ産業、仮想現実、iPodのような小型のデジタル媒体の普及、ストリーミング配信や各種の音楽配信技術、ブログやコンテンツ・マネージメント・システム(CMS)等の発達といった状況の中、マスメディア中心のパラダイムは有効性を失い、まったく新たなパラダイムが求められています。このような技術的、社会的状況の中で、本国際会議は、新しいネットワーク型のデジタル情報社会に対応したメディア理論のパラダイム革新を、アジアから世界に向けて宣言する会議となります。詳しくは、
会議概要は、
国際シンポジウム Ubiquitous Media Asian Transformation

 →
プログラム

をご覧ください。このようないまだかつてない規模、野心的なプロジェクトである本世界会議に、ぜひともご参加ください。また、この情報を、ご関係の各方面に広めていただきたく、お願いします。
広報が遅れており、これだけの会議が十分に周知されないことが心配です。どうかなにとぞご協力ください」

★有力なメディア・アーティストとして、『談』でお馴染の木本桂子さんも出品していますよ!

webの乱用は注意が必要たが、いいことだっていっぱいある。

ネットでググって、企画書つくったり、小さな原稿を書いたり、なんてことをじつはぼくもよくやっている。反省しなくちゃいけないなと思いつつも、悪いことばかりではなくて、いいことだってあるのだ。スポーツ関係のことをいろいろ調べていたら、面白いことを言っている人がけっこういることを発見した。たいがいそういう人たちは、ネット上でも論陣をはっていたり、テキストを公開していたりする。スポーツ社会学学会や雑誌「スポーツ批評」などというものをベースに、刺激的な議論が交わされていることなど、ネットがなければたぶん知らずにいたと思う。今後、『談』などでそっち系の人たちが出てくる機会がふえると思いますが、ネットのおかげですんで。素直に感謝してます。

テキストを書くことが、Webを育てているという当たり前すぎる感想。

ラピスの武田さん来社。某企業のポータルサイトのコンテンツをつくるため。ブログ機能を付加させたHPをつくりたいという希望。ブログ・ソフトウェアで、そのままサーバーに組み込んでしまえるMovable Typeを使おうということになる。カスタマイズも容易だし、なにより既存のブログソフトと違って、自前でセキュリティ管理ができるというところがいい。ゆくゆくは、当ブログもそのシステムに移行しようかと相談する。さて、某社のコンテンツをつくるに当たって、参考になりそうなのがY社でつくったHP。じつはラピスさんとはその仕事が縁でお付き合いするようになった。当時は書き込みといえば掲示板が主流。今から思えば、使い勝手の悪いシステムだった。ブログの誕生は、Webの環境を根本的に変えてしまったのだと、今さらながら、思うのであった。夜「拝啓、父上様」を見る。第4話で鳶のシャク半こと半次郎が登場。これって、「前略、おふくろ様」でいえば、渡辺組の鳶の半妻でしょ。ということは、いよいよ恐怖の海ちゃんが登場することになるかも。でも、誰がやるんだ?

意識のメタ市場化は「象徴の貧困」を生む

東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授・石田英敬さんのインタビュー。ポストフォーディズムの社会にあって、個人は親密圏へ引き込み、社会的な連帯は失われ、かわりに感情がシンクロする。消費社会の徹底化。文化産業が隆盛をきわめ、意識はメタ市場化する。テレビという遅れてきたメディアは、しかし現前性をたてにわれわれのまなざしを吸収する。「象徴の貧困」(ベルナール・スティグレール)があからさまなかたちで前景化する時代にわれわれは生きているのだ。そうした状況とどう向き合うか。非常に刺激的なインタビューだった。『C&L』誌に掲載予定。

『知場』リニューアル第1号は、「地域SNSを考える」特集

『知場 intelplace』リニューアル第1号を贈呈していただきました。存在自体をご存じない方もおられるかもしれませんが、95年に創刊され、すでに通巻106号を数えている知る人ぞ知る雑誌です。グローバル・コミュニケーション・センター(GLOCOM)が発行する機関誌で、情報社会の特質やさまざまな課題、問題に取り組むセンターの研究活動と連携し、毎号鮮度の高い特集を組んでいます。今号の特集は、「地域SNSを考える」。昨今地域に次々と立ち上がってきたソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)の現状と課題、今後の方向性を探るというもの。GLOCOMの研究員の報告、パネルディスカッションなどを交えながら、理論的かつ実証的にアプローチしています。ところで、GLOCOMは今年度大幅な組織変更があって、主幹研究員だった東浩紀さんが副所長に就任しました。東さんは研究活動の他に、『知場』の編集にも関わっています。今後の活動が期待されます。

すぐそこまで来ている履歴バレバレの社会

PCのサポートセンターといえば話し中か「しばらくたっておかけ直し下さい」の代名詞でした。ところが、最近ほとんど数回のコールでオペレーターが出てきます。この激変ぶり、なぜかと思っていたら、じつはぼくたちは中国と電話をしていたのでした。中国は人件費が安いのでたくさんのオペレーターを雇うことができます。それだけ回線も多くとれるというわけです。でも、それっと国際電話でしょ、回線使用料が高いんじゃないのか。ところがさにあらず、ぜ〜んぜん平気なんですね。なぜならIP電話を使っているからで、ほとんどタダ同然なんですって。うわ〜、そうだったのかと驚いてはみたものの、でもすぐにまた新たな疑問が湧いてきました。IP電話って、どうしてそんなに安いの?

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情報のTSUNAMIがやってくる

ストレージ技術が飛躍的に発展した結果、だれも予想しなかった社会が出現しようとしている。ひとつ象徴的ないいかたをすれば、「質より量」。量より質の時代は終わりをつげ、量が質を凌駕する時代になったのだ。「情報のTSUNAMI」が押し寄せてきているのである。コンピュータの発展過程でいうと、中央演算装置とワークステーションの第一ステージ、サーバーとクライアントの第二ステージ、そして、今やP2Pの第三ステージの段階を迎えている。そういう情報革命が起っている中で、IT技術を基盤に事業展開するということは、もはや子どもだましでは通用しないということなのだ。僕はバラ色の未来を語るよりも、いいことも悪いことも洗いざらい出してしまうことが重要だと考えている。
齋藤純一さんから約束通り本質原稿が返却される。齋藤さんは非常に丁寧な物言いをし、なおかつ締め切りをきちっと守る模範的で規範的な人。「公共性」を語るにふさわしい先生である。

匿名性と情報社会

「書き込みはしない。もっぱら読むだけ。だから私、面は割れてないわ」と自信ありげに友人は言いました。でも、それは全くの誤解。ネットというメディアでは、「読む」ことと「書き込む」ことの差なんてほとんどないといっていいのです。ウェブページを「〈読む〉だけであっても、そのページが置かれているサーバ上に、こちらのIPアドレスやアクセスの日時が逐一保存されている」。だから「書き込」まなければ匿名でいられる、というわけでは全くないのです。東浩紀さんが『中央公論』に昨年発表された「情報自由論」から。続きを読む
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