生命

≪公開セミナー・ワークショップ◎遺伝学情報の解明と利用可能性

『談』no.83 特集パターナリズムと公共性で、「人間の合理性とパターナリズム」というテーマでお話ししていただいた瀬戸山晃一先生から、以下のご連絡をいただきました。開催間近ですが、いただいたご案内を転載します。

直前のご案内で失礼いたします。
 
「遺伝情報のプライバシー」は、科研費補助金を得て平成22年度より研究を開始しておりましたが、研究活動の一環として、3月4日(月)に、公開セミナーを開催いたします。
ご多忙中とは存じますが、当該分野に関心をお持ちの皆様に、多数ご参加いただきたく、以下のとおりご案内申し上げます。
多くの皆様のご参加お待ちしております。

≪公開セミナー・ワークショップ≫

遺伝学情報の解明と利用可能性
 〜個人情報のプライバシー保護と保険〜

 遺伝学的情報の解明は、パーソナルゲノム・遺伝子医療・ゲノム創薬などの希望や恩恵といった光の側面のみならず社会的格差や差別などの意図せざる結果をもたらすなど新た
な倫理的社会的法的問題が懸念されています。遺伝情報の解明とプライバシーの問題もその一つです。また法(規制)も万能薬ではなく、薬と同じく副作用を伴うものです。価値観の多様化が進む日本社会において個々人と将来世代のために遺伝情報のプライバシー保護にあたって今後いかなる法政策が望ましいのか、皆さんと一緒に検討したいと思います。

【開催日時】 平成25年3月4日(月)午後2時〜午後7時
(受付開始 午後1時30分〜)

【開催場所】 大阪大学中之島センター 講義室507
大阪市北区中之島4−3−53
TEL 06-6444-2100
http://www.onc.osaka-u.ac.jp/index.php

【第一部】14:00 〜 15:00
機ァ岼篥然愿情報の解明がもたらすELSI(社会的・倫理的・法的諸問題)」
   瀬戸山 晃一 阪大学国際教育交流センター 准教授
研究代表者
供ァ岼篥前緡鼎慮従と新展開」
権藤 延久 (株)ファルコバイオシステムズ
執行役員 学術顧問 バイオ事業部推進部部長

(コーヒーブレイク)

【第二部】15:20 〜 16:50
掘ジΦ翊敢妻鷙陝 А―外国の遺伝学的情報の利用規制と保険
  山中 浩司   大阪大学大学院人間科学研究科教授・研究分担者
  霜田 求    京都女子大学現代社会学部教授・研究分担者
  岩田 太    上智大学法学部教授・研究分担者
  清水 耕一   神奈川大学法学部准教授・研究分担者
  瀬戸山 晃一  大阪大学国際教育交流センター准教授・研究代表者

【第三部】17:00 〜 18:00
検ゥ僖優襯妊スカッション

【第四部】18:00 〜 19:00
后ジ鯲会 (講義室506)

当日参加も可能でございますが、事前にお知らせいただければ幸いでございます。
ご出席のお知らせは、森田宛にお名前・ご所属・ご連絡先をメールにてお願いいたします。
メールアドレス: morita@isc.osaka-u.ac.jp

世界はやりなおしても生命は生まれるのか? なんという大胆なタイトル!!

『談』no.87にご登場いただいた長沼毅さんが、すごい本を著しました。
『世界はやりなおしても生命は生まれるのか?』。一つひとつの生物の背後にある「生命」の本当の姿とは何か? どのようにではなく、「どうして」生命は存在するのか?
広島の高校生10人との対話を通じて、生命の謎に挑みます。
howではなくwhy。
生きている状態を捉えるには、この視点しかないと思い続けていたので、まさしく「わが意を得たり」!!
朝日出版社の辣腕編集者、綾女さんから贈呈いただきました。ありがとうございます。
世界をやりなおしても生命は生まれるか?
世界をやりなおしても生命は生まれるか?
クチコミを見る

朝青龍問題とはなんだったか、その真の意味に肉薄する対談

『談』今号の登場者・今福龍太さんと前号の登場者・稲垣正浩さんが『世界』4月号で対談をしています。題して、「朝青龍はなぜ追放されたか」。

日本人の潜在意識にゼノフォビア(外国人忌避)があって、それが今回の追放劇の背景にあると稲垣さんが指摘すれば、スポーツ=メディア複合体が栄養分としてきたスキャンダルが、排除の原理として働き、結果、秩序かく乱者たるストレンジャー・朝青龍の「王殺し」がなされたと切り返します。お二人は、追放劇の裏にある権力の巧妙な政治的暴力に対して、朝青龍の横綱としての尊厳を守らなければならないと、朝青龍を全面的に擁護するのです。

アスリートの暴力(が本当にあったかは不明)に端を発した朝青龍問題、しかし、そこに見出さなければならないのは、「近代スポーツ」というミッションの限界であり、身体技芸の排除と選別、生の調教と統治という、まさに現代日本社会におかれている自己の身体の現実です。フーコーのいうアルケー、そのエネルゲイアを身体それ自身の中に発見し、その躍動を再認識することではないか、お二人は、そう言って、単なる相撲業界のスキャンダルとして葬り去ろうとする風潮に、強烈なカウンターパンチを与えるのです。

身体文化を考える者にとって、必読の対談ですぞ。

インフォームド・コンセントは、時と場合によるという話。

我が家の愛猫が突然血尿。あわてて、動物病院へ。診察が始まる。といっても、愛猫はキャリーバックの中。先生の説明はとてつもなく長い。いきなり腫瘍の恐れもあるといって脅かしておいて、しかし、その確率はきわめて低いと付け加える。さらに、膀胱炎、尿結石、腎臓病、いろいろな可能性を示唆する。ところが、肝心の治療方法については、何も言ってくれない。超音波をとろうかとかレントゲンを撮るのもいいかもしれないとか、この機会に精密検査ばりに調べた方がいい、でも、ストレスがかかるからやはりやらない方がいいのではとか……、とにかく、決定的なことを言ってくれないのだ。結局、「決めるのはあなたです」といわんばかり。これをインフォームド・コンセントというのなら、僕はパターナリズムの方がずっといいです。パターナリズムでどんどん押し切ってほしい。自己決定なんて、必要ねぇ、とその時はマジで思った。20分以上、愛猫そっちのけでディスカッション。院中だけでなく、外にまでお客さんが溢れている。結局、薬を飲ませることになった。でも、これはこれまで飲んでいたもの。最初から、継続しましょうといってくれれば1分以内に診療は終わっていましたよ。今日を機会に僕はパターナリストになることに決めました。

物質界を離陸した生命が出会うもの

美術作家の山本基さん来社。お住まいの金沢の金つばをお土産にいただく。たばこと塩の博物館に行き、それならむしろぼく経由で塩事業センターの大庭さんに聞いてみるのがいいんじゃないか、という助言を受けたとのこと。さっそくtelする。何年ぶりかで話をする。彼は茂木健一郎さんのブログを読んでいて山本さんの仕事は知っていたのこと。それならことは早い、スポンサーになれるかどうか、その辺りのことをお願いしに山本さんと会ってはくれぬかと頼むと、二つ返事でOK。なにせ、大きなインスタレーションになると7トン近い塩を使うという。これまで、会場側が用意できない場合は、自腹切っていたというではないか。作品の製作には、精製塩がかえっていいともおっしゃる。塩に水を混ぜて電子レンジに1時間以上いれておくと、カチンカチンにかたまる。それをブロック状にして、積み上げていくらしい。大きな作品になると、それを何百個と作り積み上げていくわけだ。
初めて、床に塩でつくられた細い線がマンダラのように張り巡らされた「迷宮」を見た時の衝撃は忘れられない。しかし、この塩のブロックを積上げてつくられた巨大な階段「空蝉」には、人をして深淵に突き落とすような、沈黙の力能を感じる。何より、作品を決定づけている「白」がいい。透明の結晶体が、無限に重なりあってつくり出される塩の白色。ホワイトノイズのメタファといっては身も蓋もないが、物質の将来を予感させる色であることは確かだろう。「人は塩を礼賛する」。生命がやがて物質界を離陸した時に発せられるであろう言葉を、シャルル・フーリエはこんな風に表現した。
人間の行く末を「塩」という物質に託すこと。山本さんの仕事を継続させることが、とりあえずはぼくの持続可能な社会への関わり方の一つなのだ。
山本基さんの作品は山本基ウェブサイト

美馬達哉さんと立岩真也さんのトークセッション

医療社会学の美馬達哉さんと社会学・生存学の立岩真也さんのトークセッションのお知らせです。
2007年9月29日(土)18時〜

『〈病〉のスペクタクル:生権力の政治学』(人文書院)出版記念

バイオポリティクスとは何か
?生きて存(あ)るを学ぶために?

美馬達哉(医療社会学)×立岩真也(社会学、生存学)

〈生〉を貫き強力に作動する政治力学、
恐怖と予防を上昇させネオリベラリズムとも共鳴する
その力の本質とは何か
気鋭の論客と、生命倫理分野での発言が注目される社会学者による初対談

パネラー紹介
★美馬達哉(みま・たつや)/1966年、大阪生れ。京都大学大学院医学研究科博士課程修了。現在、京都大学医学研究科助教(高次脳機能総合研究センター)。専門は、臨床脳生理学、医療社会学、医療人類学。本書が初の単著となる。
★立岩真也(たていわ・しんや)/1960年、新潟生れ。東京大学大学院社会学研究科博士課程修了。現在、立命館大学大学院先端総合学術研究科教授。著書に、『私的所有論』(勁草書房、1997年)、『弱くある自由へ』(青土社、2000年)、『自由の平等』(岩波書店、2004年)、『ALS』(医学書院、2004年)、『希望について』(青土社、2006年)、『所有と国家のゆくえ』(稲葉振一郎との共著、NHKブックス、2006年)など。

共催 GCOE生存学創成拠点(立命館大学)

☆ 会場 … ジュンク堂書店大阪本店 3階喫茶にて。入場料500円(定員40名)
☆ 受付 … 3階東カウンターにて。電話予約承ります。

ジュンク堂書店大阪本店
TEL 06-4799-1090 FAX 06-4799-1091

探し物が勝手に探している人のもとにやってきた嘘のような本当の話

昨日池田清彦先生が「そういえば、生き物の愉しみ、喜びとかいう本がでたよな、オレ書評したぞ」とおっしゃった。ぼくもどこかでちらっと見た記憶があって、「あ〜、ありましたね」とその場では軽く相づちをうったのだが、帰ってググってみたが見当たらない。もちろんタイトルがうる憶えなのでamazonでも見つかるわけがない。さてどうやって探そうかと頭を抱えていたまさにその時である、なんとぼくのところにその本がやってきたのだ! 勝手に探し物の方からきてくれたなんて。これを奇跡といわずしてなんといおう。じつは、この本『動物たちの喜びの王国』は、宮野尾さんのところ(インターシフト)が発行所。ぼく好みの本だと思い贈呈してくれたのだ。しかし、偶然とはいえ、こんなことが本当に起こるんですねぇ。
動物たちの喜びの王国

たばこは吸わないが喫煙擁護派という立場はぼくと同じだ

高田馬場経由で早稲田大学アジア太平洋センターの池田清彦先生の研究室ヘ。講演を予定している会合の概要と経過報告。講演内容について、ぼくの方から補足説明をする。池田先生は、たばこは吸わないが喫煙擁護派。ぼくと同じスタンスだ。それは大変にありがたいのだが、このご時世でそれをあまり強調されても困るわけで、TASCの仕事をしているとなかなかそのあたりが微妙である。あくまでも生物学者として、構造主義生物学の立場から(最近では構造構成主義ということになるのか)、人間の愉しみ一般について語ってほしいとお願いする。実際の会合では、そのあたりの舵取りをぼくがやらないといけないかもしれない。司会業というのもこれはこれでけっこう大変なのだ。

ザーウミ、ズドーヴィク、そしてペルジバーニエの内的論理

●ロシアの未来派の詩人たちは、ザーウミ(超言語)などの誌的実践の背後にいくつかの音の関係の論理を想定していたが、その一つが「ズドーヴィク(位置ズラシ)」であったという。「…音の内的な構成のずらしが、言葉の運動という出来事を生じさせる。地震の振動という偶発事によってずらされた建物の内的構成、そこからその崩壊という出来事をとらえようとしたヴィゴツキー…。ズドーヴィクは既成の音構成の把握とその変形可能性がセットとなって詩的言語の内的論理となっている…」。 ●クラシックバレエのにおけるダンサーの動きは、基本的には「パ(pas)」という単位に分節されている。「あらかじめ規定された構造と機能をもつ〈パ〉。これを基本単位としてクラシックバレエはさまざまな動きのバリエーションをつくり出し、その文法を歴史的に蓄積してきた」。しかし、ウィリアム・フォーサイスは、この身体-意味関係の惰性と転倒であるクラシックバレエに「…一つの〈パ〉に別の〈パ〉を〈貫入〉させることで、その安定した運動の輪郭を崩し、そこに非定型的に振動する眩暈のような身体の生成的運動を現出させようとした」のだ。「…倒れつつある身体のそのもののメカニズムの解明。すなわち崩れの論理の形式的把握。この地点でわれわれはダンスにおけるフォーサイス的な問題設定と発達心理学におけるヴィゴツキー的な問題設定が交差することな気づく」。 ●『談』no.58でインタビューをさせていただいた高木光太郎さんの著書『ヴィゴツキーの方法』を読み返していたら、こんなすごいことが書かれていたのを発見した。ヴィゴツキーに「ベルジバーニエ」という、一種の意識の単位があるとおっしゃっていたのが佛教大学教授の神谷栄司さんだった。それからずっとこの言葉が気になっていたのだが、どうも、これはズドーヴィクと関連付けることで、とてつもない概念に発展するような予感を得た。まだ、予感にすぎない。しかし、ベルジバーニエが、ズレ、差異、ゆらぎ、よどみへと連続する、生命に根源的な振動性と接触する概念であるように思えるのだ。言語、身体、行為、そしてカオス脳……。まだよくはわからないが、何かが来ていることは間違いない。

30億年生き続けて思うこととは……。

物理学者・橋本淳一郎さんは、ベルクソンの『創造的進化』について、こんなことを記している。
「生命は、進化こそ自然選択にまかせるものの、個体としては創造的に行動する。その秘密は何か。それは、ひとえに30億年を越える時の重みである。科学では、一億年という歳月をこともなげに扱うが、一億年を実際に経験することは、神の恩寵などを超える何かであるはずである。この長い歳月の間に、奇跡が起こったと考えてもよいであろう」。
30億年、いや1億年ですら生き続けている生命はいない。確かにそうだ。なのに、それを考えてしまえる自分が現にここにいる。これは凄いことである。われわれは、そのことをまだ十分把握しきれていない。人間の認識能力の計り知れなさに、われわれはもっと驚くべきである。
と同時に、こんなことも想像してしまった。仮に30億年生き続けていれば、奇跡としか思えないことを何度も経験するのではなかろうか、と。ヒトの一生はたかだか80年。脱皮した蝉は、夏しか知らない。蝉の生涯は約170時間。われわれらからみれば、なんと短い人生(蝉生?)だろうかと思う。しかし、かくいうわれわれだって、30億年生きる生き物から見れば、一瞬(佛教でいう刹那)だ。じっさい、縄文杉にとって屋久島の人々の出現は、その一生(杉生?)にほんのちょっぴりかかわるささいな事件程度でしかないだろう。今後奇跡としか思えないことが起こっても、なんら不思議ではない。
距離と時間が物理学者にとっては基本概念である。速度はそこから導かれる派生的量としか見なされてこなかった。生命の視点に立つと、この物理学の常識は覆される。速度が全てに優先するからだ。速度がまず基点に置かれ、距離や時間は派生的なものと見なされる。
生命論とは、この速度=運動から世界を見返すことではないか。そこに、生命を思考することの真の意味があるように思える。30億年を想像できること、われわれはそのことにもっと震撼すべきなのだ。

ソラミミストは、○○な細胞をこんな風に聞きました

金子邦彦さんのインタビュー原稿がチェックからもどってきたので、読み直してみると、あららら、えっらい勘違いをしておりました! 「優れた生物学者は時に独特の言い回しをする」という文脈で、「活発な細胞を〈生き甲斐細胞〉と呼ぶんだよ」、とおっしゃったのです。確かにユニークな表現、面白いので原稿にいれたのですが、これがとんだ間違い。「生き甲斐」ではなくて「活きがいい細胞」でした。インタビュー時のメモを読み返したら、やはり生き甲斐と書いてあります。空耳アワーじゃないんだから気をつけなければね。と思いつつも、ふと、「生き甲斐細胞」というのも悪くないかも、と。優れた生物学者が○さんのことだとしたら、「生き甲斐」も使いそうな気がしたものですから。もちろん、これはぼくの勝手な感想。

急がば回れ、というがホントにそういくか。

金子さんの原稿をつくるために、『生命とは何か』、「生命誌」no.40の中村桂子さんとの対談をあらためて読み直す。金子さんと共同研究をする阪大の四方さんの研究室のHPなどもリサーチ。それで、ホントは原稿を書き始めるはずだったが、資料のチェックで終わってしまった。しかし、時間をかけてでも関連資料は丹念に目を通しておいた方がいい。結果的にそうした方が早く終わるのだから。急がば回れ。

「よどみ」から新たな「よどみ」へ向かう生命とは。

『談』のインタビュー。東京大学総合文化研究科基礎科学科教授・金子邦彦さんを駒場に訪ねる。テーマは「生命システムをどのように記述するか」。「生命システムは、よくできた機械ではなく、いいかげんで複雑なダイナミクス。それが増殖する。その"増え続ける"ということに着目するとシステムの普遍的構造が見えてくる」。それを探り出そうというのが金子先生の研究であるが、そこで「増えていく時に変化してもほぼ同じ状態になり続ける"よどみ"」に注目する。「よどみ」とは何か。一種のマクロな安定性と考えられるのだが、ずっと留まり続けるわけではなく、常に変化するという特徴をもつ。増え続けながらも、その変化の過程で「よどむ」状態がしばらく続き、また変化を開始する。マクロとミクロの関係が循環しているような構造になっているというのである。熱力学であれば、平衡系に閉じてマクロな性質だけで記述できるが、生命システムは、マクロ→ミクロ→マクロと変化していく過程で、いったんバランスを保つ(それが「よどみ」)が、しかしそれで終わらずに、また変化していく。こうした性質は、これまでの力学系で記述することは難しい。そこで、金子先生は、「大自由度力学系」を構想するのである。

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Patient Reported Outcomeの目指すものは

秋山綾さんとの打ち合せのために、角館についてネットでもう少し調べる。角館のHPがいくつかある。小さい町なので2日あれば御の字だろう。泰山堂のHPもある。毎日新聞の宿泊体験がアップされたページを発見。綾さん来社。泰山堂の女将藤井けい子さんは、超有名人。ファームインは既に先客がいるので、母屋に泊まらせていただき取材をしよう。手づくり観光のアイディアマン堺さんにも取材ができそう。角館をフィールドに長年にわたって調査をされてきた綾さんに、おんぶに抱っこの取材旅行になりそうだ。
銀座椿屋珈琲店でTASC新留さんと待ち合わせ。席に案内されたところで、「佐藤さんですか」と声をかけられた。日本学術振興会特別研究員・眞嶋亜有さんだ。眞嶋さんは、ヘアスタイルを変えたのでHPの写真とちがっています、とおっしゃっていたが確かに雰囲気がちがう。とてもステキな方でした。『TASC monthly』の座談会の打ち合わせ。若い論客3人による「健康のおたく化」のディスカッション。いまから楽しみ。
18時より「代替医療と倫理」研究会にオブザーバーとして参加する。JT・岩室佳明さんに鍼灸師・松田博公さんを紹介される。松田さんは『談』の「ゾーエーの生命論」の対談を素材に前回発表された。それがきっかけで、今回この研究会にお誘いいただいたのだ。続きを読む

今言ったことを反古にしても、それはゆらぎがそうさせているから。

談』no.77に掲載を予定している東京大学薬学系研究科講師・池谷裕二さんをインタビュー。池谷さんは、35才の若さで本年度日本神経科学学会奨励賞と日本薬理学会奨励賞をダブル受賞した若手科学者のホープだ。ご専門は脳の可塑性の研究。今回は、「時間(とき)は脳の中でどう刻まれているのか……生命、複雑性、記憶」というテーマでお話を伺った。
開口一番、「脳は何をやっていると思いますか。じつは脳がやっていることは予測と適応。それだけしかやってないんですよ」とおっしゃった。なぜ予測をするかというと来るべく未来のためであって、それが記憶というものを生んだというのだ。われわれはくちをあんぐり開けて聞き入った。いきなりのサプライズである。続きを読む

芸術の保存・修復を貫く「生政治」の実態

『談』2号分の特集を同時に編集している。今日は、京都大学大学院・人間・環境学研究科教授・岡田温司さんのインタビュー。No.77号の特集テーマは「〈いのち〉を記録する……生命と時間」。 「(…)「生命」=「いのち」とは、それ自体で運動し、絶えることなく生成し続けるものである。静止するということが原理的にはありえない物質である。常に「時間」が入り込んでいる。「生命」科学が、「複雑性」の科学にならざるを得ないのは、この「絶えざる運き」を記述することが、物理学を主軸とする旧来の科学では厳密な意味で不可能だからだ。生命システムを捉えるには、「複雑性」の科学へ踏み込んでいかざるを得ない。これまでの「いのち」を記録する視点に決定的に欠けていた「時間」を組み込んだ、新たな生命科学の可能性を探る」というのが趣旨。 複雑系科学の第一人者と気鋭の脳科学者のインタビューと対談を予定しているが、岡田温司さんには、少し視点を変えて、芸術作品の中に内包されているはずの「いのち」をわれわれはどう評価し、どのような方法でアプローチしてきたかをお聞きした。芸術作品と「いのち」、そしてその時間について。 岡田温司さんは、先頃『芸術(アルス)と生政治(ビオス)』を上梓された。芸術作品の底流に息づく「生政治=バイオ・ポリティックス」の実態を明らかにした好著だ。「絵画の衛生学」と称した章で、保存・修復という行為がじつは作品における「生政治」ではないかという議論を展開している。芸術をめぐる言説に時間が入り込むとすれば、きまってそれは永遠や不死というかたちをともなう。芸術作品にも寿命があり、老いる権利があるというの岡田さんの眼には、現代の保存・修復へのまなざし・行為こそ、「生政治」の実践と映る。芸樹作品の保存・修復へのまなざし・行為と近代の衛生思想、健康志向は、みごとに通底しているというのだ。 保存・修復をよしとしてなんの疑いも持ってこなかったわれわれにはまさに青天の霹靂である。インタビューの内容は、本誌でじっくり読んでいただくとして、ひとつだけ小ネタを紹介すると、岡田さんは無類のオシャレさんでした。茶髪を立たせて、ブルーの縞のシャツにはでな赤い柄のベルト、縦じまのパンツにいかにも高級そうなイタもののシューズ…。さすが、イタリア美術の専門家はちがうと思いました。ほんとうにぼくと同じ年齢ですか?

「改定臓器移植法案」と「尊厳死法案」の危険性

編集を手伝っている「en」に、『談』no.73でインタビューさせていただいた海洋大学の小松美彦さんにご寄稿いただきました。「改定臓器移植法案」と「尊厳死法案」の危険性について。「…触ると暖かく、脈を打ち、汗や涙を流し、出産ができ、意識もある可能性があり、時にはラザロ徴候という四肢の滑らかな自発運動を示し、麻酔や筋肉弛緩剤を投与しないと臓器摘出の執刀時にのたうち回るような状態を維持した脳死者への治療の続行」が封じられることになる法律が今国会で可決するかもしれないというのです。「いのち」がこんなにも軽んじられていいのでしょうか。「人間の尊厳」をめぐるねじれ問題ここにきわまれり。「いのち…守らなければならないものは何か」を読んでいただい方は、ぜひこっちも読んで下さい。→Webマガジンen 3月号
怪書にして快書『解剖男』(講談社新書)が評判の遠藤秀紀さんのインタビュー、ポール・ヴィリリオ『アクシデント 事故と文明』ブックレビューも載っています。

生物のかたちは外からやってくる

生理学が解剖学にとってかわる。それがクロード・ベルナールの衝撃によるものだったと書いた。ベルナールが『実験医学序説』を著わしたのは1865年。それから遡ること65年、1800年に解剖学者・生理学者ビシャが『生と死に関する生理学研究』において興味深い言葉を残していたことを知った。ビシャは次のように記していたという。〈生命〉は二つのものに分けられる。一つは、〈有機的生命(vie organique)〉と呼ばれるものであり、もう一つは〈動物的生命(vie animale)〉と呼ばれるものである。前者は、消化や血液循環など、いわば身体の内側で繰り広げられる生命活動であり、それゆえ「内的生命(vie interne)」とも呼ばれる。その中心的器官は「心臓」であり「肺」である。後者は、外界からさまざまな刺激を受容し、またこれらをもとに外界に働きかける生命であるがゆえに「外的生命(vie externe)」とも呼ばれる。その中心となるのは「脳」である(市野川容孝)。脳死臨調の際に「脳死をもって死とする」のがデカルト以来の西洋近代医学のシェーマとされたが、このビシャの説をとる限り、理解はまったく逆になる。人間における「死」の判定は、動物的生命である脳にではなく、有機的生命である心臓や肺の方にあるからだ。ここで一つの仮説を思いついた。生理学によって解剖学・形態学はなぜ敗北を宣言されたのか。それは、形態というものが生物の内から出てきたものではなく、あくまでも外部から与えられたものと解釈されたからではないか。生物の形は、生物に内在する遺伝情報によって決定するのではなく、外からやってくるものによって形成される。それはなんだかわからない。が、その決定因子が生物自身にはないことだけは確かだ。その意味では、表現系という言葉より表象系という方がふさわしい。そのことによって、生物学としては生理学と比較して常に二流に甘んじる結果になったのだ。しかし、だとしたら、ここでいう形態論は、環境決定論、さらには生態学のほんの手前まできているとはいえないか。解剖学・形態学を生態学として読み直すこと。なんとスリリングなアイデア、と勝手に思ってワクワクしているぼくでした。

クロード・ベルナールの逆転ホームラン

クロード・ベルナールの『実験医学序説』の登場によって、それまで生理学に対して優位を保っていた解剖学が、一発逆転負けに転じる。そしてその150年間、解剖学は生物学に敗北し続けるのである。この指摘はとても示唆的だ。すなわち、形態学の生物学からの退席を意味することになるからである。形態学の復興を望む者としては、生理学の負の部分をあぶり出すことから始める必要がありそうだ。「en」 最新号の遠藤秀紀さんの発言より。(ぼくがインタビューしてます)。

遺体を集め尽くす

犬山の京都大学霊長類研究所へ。遠藤秀紀教授にインタビュー。遠藤さんは、上野動物園のジャイアントパンダ、カンカン・ランランの二代目として人気を博したフェイフェイを解剖した遺体科学者だ。遠藤さんの提唱する遺体科学についてたっぷり2時間半お聞きした。詳しくは、「en」06年1月発行の新年号をお読みいただきたいが、ここではひとつだけネタを。遠藤さん、著書『パンダの死体はよみがえる』で、「遺体科学の日常は、無目的、無制限、非プロジェクトとして遺体を収集することに力を尽くす」ことだと言っている。つまり、動物の遺体という遺体をすべてもれなく一切合切、とにかく集めてしまおう、というのだ。そして、それらをすべて3次元データ化する。実際の現物と情報データが組合わさった生き物の百科全書的博物館。そのためには、巨大な収集物(遺体資料)の保管場所を確保する必要がある。おそらく、東京ドームが数個は必要になるかもしれない。これって、まさにネットワーク・ソリューションにおけるストレージ技術の発想と同じではないか。資料の収集において取捨選択をやめること。モノとコトとキゴウはすべてがあるということではじめてメタな視点に立てるのである。
パンダの死体はよみがえる

遺体科学普及の一助となれば…

「遺体科学」を提唱されておられる京都大学霊長類研究所教授・遠藤秀紀さんからtel。今、東京の国立科学博物館の別館に来ている。「今日ならあえるよ」という。「en」担当者のOさんと待ち合わせて、大久保にある国立科学博物館の別館へ。遠藤さんは今年の1月までここに勤めておられた。どうぞと研究室に案内される。「en」の概要をOさんがざっと説明。僕の方から「遺体科学」についてと今後の研究課題について3回に分けて掲載したい旨を伝える。遠藤さんは非常にまじめな方だった。そして、なにより情熱家だ。来週の火曜日に犬山におうかがいして正式なインタビューをお願いすることにした。原稿の作成を3回にわける場合もありうるというと、自分は過去に12回の連載もまとめて書いてしまった。できれば、1回でチェックさせてほしいと希望。おっと、これはすごいプレッシャー。インタビューの相手からこういわれたらやらざるを得ないだろう。資料室を見せていただく。それほど大きくないスペースに動物標本がところ狭しと保存されている。骨の資料は、ふつう部位ごとにすべて解体されて保存されるのが一般的で、いわゆる成体になっているものは、ほとんど展示用なのだということも始めて知った。スミソニアンほどとはいわないまでも、せめて今より広いスペースがほしいと。日本の文化行政のお寒い現状をかいま見た感じ。

ルネサッサンス・ジェネレーション'05はカタストロフィがテーマ

「ルネサッサンス・ジェネレーション'05」へ。気が付けば今回ではや9年目。いよいよ来年で終了だ。開演を待っていたら、Y社のH井さんから声をかけられた。2年ぶりである。セクションが変わって現場におられるとのこと。去年は、オランダ、フランスに取材旅行中でこれなかったというと、彼はあれから毎年参加しているとのこと。あれとは、4年前に、会場の下條先生を訪ねた時のこと。Y社が始めるEIフォーラムのメンバーのお一人としてぼくが下條さんを推薦したからである。定刻通りシンポが始まる。毎回満席だが、今回も空席はほとんどない状態。いつもは若い聴衆が目立つのだが、今回は比較的年代の高い層もいるようだ。各年代層にわたって女性も多い。
今回のテーマは「カタストロフィ:破断点」。近年たて続きに現代社会を襲っている突発的な事故や災害に対して、われわれのこころや身体はどのような影響うけているか、また、そうした事象はほんとうに予測不可能なものなのか。ルネ・トムのカタストロフィ理論を参照しながら、環境工学、生命科学、システム論、脳理論といった諸領域からこの問題にアプローチする。
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樹齢7000年のスローライフ

本当にスローライフやロハスを実践するなら、メタセコイヤや縄文杉になることをおすすめします。かれらのなが〜い人生(木生?)からみれば、ぼくらの一生などほんのまばたき一回分にすぎません。一粒のごはんを1000日かけて食べるくらいの覚悟がなくっちゃね。
ましてや、46億年の地球の歴史でいえば、人類の歴史自体が、瞬間のさらに瞬間のさらに瞬間ぐらい。とりあえず、スローライフは巨人族(植物さんたち)から学びましょう。B y稲垣足穂。

「最新号」アップしました

『談』no.74「ゾーエーの生命論」を正式にアップしました。メニューバーの「最新号」をCLICKしてください。

ビオス/ゾーエーの農業論だって!?

ビオスは個体性をもった生物体でバイオロジーの原型。そのビオスの奥に、個体性を越えた抽象的な生命、ゾーエーがある。私たちの存在はこの二つが結合したもの。としたうえで、一挙に日本の農業の抱える問題に切り込んでいくという、スリリングな議論を展開しているBlogを発見。こんな発言をするひとは誰かとおもいきや、やはり中沢新一さんだった!『談』の次号では、生態学をこの視点から考えてみようと思っていたのに。先を越されてしまいましたです〜。→遺伝子組み換え作物の〈MANDALA〉

熊手の階層進化

「今まで、物理や化学で捉えてきた階層は、一つの階段を一本道で登っていくというイメージでした。しかし、生物の場合はそうではなくて、生物の段階に入ったところから階層がパーっと複数に重なってくるのです。たとえば熊手のように、幾つもの構造や機能の階層がそれぞれに並行に階層を作っていて、それを横から全部重ねて見るので、生物は捉えようもなく複雑なものに見えてしまう。この熊手のイメージを、もっとみんなに判ってほしいと思っています」。
団まりなさんのインタビュー(「en」9月号 )より。
われわれの思考は、ちょっと油断をするとすぐにリニアー(単線的)になろうとする。思惟の経済(効率化)が働いているからだろうか。しかし、思考はその端緒から、つまり個体の誕生期から拡大、増加、複雑化へ向かって走り続けることを運命づけられていたのだ。今見えている事象のすぐ裏側には、たくさんの姿を見せない事象が、それこそ無数に存在しているかもしれない。生きものの思考、階層、進化を、試みにヒュー・エベレットの「パラレルワールド論」と対比法的に考えてみる。団さんのいう熊手というイメージがあまりに的を射ていることに驚くだろう。

設計図は家を建てられるか

○○は、日本人のDNAにすでに刻み込まれているんですねとか、ホンダのDNAは○○なのでとか、昨今のDNAの乱用ぶりには目に余るものがあります。とくに最近はゲノムがインフレぎみ。『談』では、一貫して遺伝子やDNA、ゲノムの一元論には距離を置いてきたつもりです。ドーキンスについては、ちょっと評価が変わりつつありますが、いずれにしても情報はどうあがいても情報でしかありません。暗号がすべて翻訳できたとして、暗号の意味を知ること、その意味を活かすことはまったく別。どうしてそんなあたりまえのことに気付かないのでしょうか。いいかげんうんざりしていたら、団まりなさんも同じようなことを言っておられました。曰く、「ゲノムはタンパク質のアミノ酸の配列情報を保管することはできますが、だからといってそのタンパク質をつくれるわけではありません。〈遺伝子がタンパク質を作る〉という言い方は、〈レシピが台所に立って料理を作る〉とか〈設計図がカナヅチを振って家を建てた〉と言うのと同じです。ましてや、ゲノムが臓器が再生したり人の人生を決定することなどできるはずがないのです」(『性のお話をしましょう』)。まったく同感です。ところで、DNAの太さが2ナノメートルに対して長さが2メートル。これは太さをなわとびのビニールのヒモの太さ0.5センチに拡大すると、長さは5000キロメートルにもなるんだそうです。そのうちの4750キロメートルは単なる隙間の役目しかない。この隙間はなんのためにあるの? DNAがすべてを決定するなんてことよりも、このことを考える方がよっぽど楽しいですね。

いのちのありかを身近に感じる今日この頃

ウルちゃん(飼い猫)の入院している病院に寄る。彼女は、ほほに膿みがたまり、まるでお岩さんのようになっていた。先生が抱いて連れてきた。左の耳の下からほほにかけて、皮膚の下の赤い組織があらわになった状態。膿みを出すために削ったのだそうだ。毛の生えている皮膚の内側の組織がぶら下がっていたり、膿みがジトジトと出てきたり、かなり悲惨な状態になっている。膿みのせいかすごく臭いし。先生曰く、一日に数回膿みをとっている。外見的には損傷がひどく見えるが、本人的にはパンパンに腫れあがっていた時より、はるかに楽になっているとのこと。歯槽のう漏が悪化し骨髄までいっている。骨の中の膿みもとらざるをえないだろう。そのためには、ここまでめくれてしまっているとかえって切開しやすい。麻酔をかけての手術はリスクが高い。とりあえずは、このままの状態で切開できるからこれはチャンスなのだという。このままもう少し入院させて膿みを取りましょうとのこと。母の愛犬が亡くなったり、猫が死にかけたり、動物とはいえ「いのち」を直接感ずることが多い毎日。ゾーエー/ビオスが、ますますみじかに思えてきた。

両義的なバイオの力

バイオの力を認識することは、自らの「いのち」のもつ神秘に気が付くことでもある。それが他者の「いのち」に向かう時、愛情と慈しみの気持ちが溢れ出てくる。だが、憎悪と破壊への欲求も同時に生じていることに無自覚であってはならない。バイオの力は「いのち」に内在する力の発現だ。それは自然の驚異であるとともに脅威でもある。
ところで、発酵というメカニズムは、バイオの力を経験科学的に了解し、可視化させる有力な実験炉なんじゃないだろうか。乳酸菌、酵母、有機農法、自然主義、エコロジー。そしてそれがどこかでちょっとばかり偏奇(クリナメン)すると、ナチズムを胚胎してしまうという歴史的事実。発酵をバイオのメタファではなく、リアライズされたゾーエーとして捉え直してみる。『ナチス・ドイツの有機農法』を読んでいたら、両義的なバイオの力という考えが浮かんだ。

no.74号以降の編集企画会議

13時よりTASCにて『談』no.74号以降の編集企画会議。「自由と暴走」、「匿名性と野蛮」、「〈公共性〉と例外状態」の三部作のあとを受けて、前号「いのちのディレンマ」からは、「いのち」を主軸とした新シリーズを展開している。その次の企画を検討する会議だ。生-政治、メディカライゼーション、健康幻想をターゲットに、ゾーエー、生命/時間、他者との共在を切り口にアプローチしていこうと考えている。ゾーエーはこれまで、小泉義之さんと小松美彦さんのインタビューに登場してきた概念だが、編集会議で必ず難解だ、と問題になってきたもの。しかし、あえてそのゾーエーと正面から向かいあってみようと思った。小泉さんにならっていうならば、ゾーエーを排除し包囲し、そのことによって逆にビオスに対して権力性を貫徹する、それこそが現代の生-政治だからである。喫緊の喫煙問題とかえって遠ざかっていないかという質問も出た。もちろん、そんなことはなくむしろ逆だ。いまだに科学的根拠のさだかでない受動喫煙の防止が健康増進法の目玉になり、社会的な関心も異常に高い現状を理解し分析するためには、ゾーエー/ビオスの分析はかえって有効だと答えた。「他者との共在」は、多民族、多文化との共生だけではなく、ヒトを含めた生物全体の共在の可能性を追求することであり、生命/時間は、生きもののありようを時間との関わりから考えようというものだ。いずれにしても、「いのち」を現代の状況を踏まえて俯瞰するためには、この三つは見落とせない視点だと思っている。74号の発行は、6月末を予定しているので、早々にスタートしよう。今年度は、通常号の他にshikohin worldの第3弾を年明けに発行する予定。コーヒー、たばこときて、さて次は…、期待して下さい。
管啓次郎さんから、最新の翻訳書ル・クレジオ著『歌の祭り』を贈呈していただく。また、香山リカさんからも『結婚がこわい』を贈呈していだく。

歌の祭り

結婚がこわい

ナチスと有機農業の結びつき

ナチズムと優性学の深い関係について、以前研究者のインタビューに基づいてeditor's noteに書いたことがあった。ナチズムは生命というものにただならぬ関心をもち続けていた。しかもそれを称揚してきたという事実。ナチズムを単に全体主義と理解しただけでは見落とされてしまうこと。ナチズムが孕んでいたより根源的な病巣がこの事実から透けて見えるのである。それは何か。自然への共感、自然との共生という思想だ。今日私たちは「自然環境の保全」という問題に関心をもっているが、ナチスもまた生命を中心に置いた「自然環境の保全」に強い意欲を示していた。そしてナチスは、その一環としてバイオ・ダイナミック農法という有機農業を再構築し、実践していたのであった。こうしたナチズムの自然観は、今でいうディープ・エコロジー運動と強い親和性をもつ。人間非中心主義=生物圏平等主義であるディープ・エコロジー運動と、ナチズムはきわめて近接した関係にあるのだ。しかし、なぜナチスは、そうした平等主義を自ら裏切るような大量虐殺という暴挙に突き進んだのか。ここにこそ、ナチズムの最も本質的な問題が潜んでいる。そして、生命=いのちを考える重要な鍵もここにあるといってよい。藤原辰史さんの『ナチス・ドイツの有機農法』(柏書房)を読んで、こんなことを考えた。この本は、自然との共生という言葉の裏に潜む、恐るべき思考の退落を詳細な資料読解から明らかにした。『談』のテーマと大いに関連するので、ぜひ機会があれば著者にお話をうかがいたいと思っている。
ナチス・ドイツの有機農業―「自然との共生」が生んだ「民族の絶滅」

小松美彦さんインタビュー

no.73号最後のインタビュー者は東京海洋大学教授・小松美彦さん。55年生まれで、僕と同じ歳だ。短髪でとても姿勢がいい。すでにレジュメを用意してあって、そのコピーを全員に配る。なかなかまめな先生だ。事前につくっておいた僕のメモはこれまで発表したものにそったものだったが、先生のは新しい内容が盛り込まれている。まず先生からまだ発表していないことを今回話してみたいという提案。もちろん大歓迎。インタビューが始まると、これまでとは全く違う展開が待っていた。続きを読む

広井良典先生とBONDAGE FRUIT

『生命の政治学』を読み直し取材メモをつくる。同行の安藤君とアークヒルズ全日空ホテルへ。2階のラウンジで待ちあわせ。席を確保して入り口付近で待っていると広井良典先生現われる。7年前と変わっていない。眼鏡すら一緒? いきなり、「いやひさしぶりです。『談』の「老い」の特集で取材をうけたことは良く覚えていますよ。ちょうど僕にとってはあのインタビューがターニングポイントになった。その後の仕事のアイデアがあのインタビューから生まれたんですから」とうれしいことを言って下さった。「高野史子の田辺のつるの話をしてくれましたよね」なんてことも。僕はすっかり忘れていたけれど。いずれにしても、とても好意的でした。それから、愛煙家でいらっしゃることもTASCにはウェルカム。続きを読む

郡司ペギオー幸夫さんの講演を聞く

明治大学アカデミーコモンへ。『原生計算と存在論的観測』刊行記念・郡司ペギオー幸夫講演会へ行ってきました。途中、今回の主催者の一つ三省堂神田店の人文書のコーナーを覗く。『自由と暴走』がまだ平積みになっていました。あれ、『匿名性と野蛮』はどこだろうときょろきょろしていたら、ありました、コーナーの一番いいところに。それも気恥ずかしくなるようなPOPが。「…大好評で入荷後すぐに品切れになり、再入荷したものです。北田暁大さんほかこの人選で、この値段はもう買いでしょ!」って、てへてへですよね。会場でその人文書仕入れ担当の女性とご挨拶。さて、その講演会。やはりというか当然というか、なかなかに手ごわい内容の講演でした。

原生計算と存在論的観測―生命と時間、そして原生続きを読む
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