
記憶のゴミ箱?パールズによるパールズのゲシュタルトセラピー
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『談』 no.84号
特集「真逆のセキュリティ!?」が発売になりました。



『談』no.83「特集 パターナリズムと公共性」、全国有名書店にて本日発売!!
最新号の書店さん用のチラシです。
齋藤芽生さんは、国立新美術館で開催される「アーティストファイル2009」(3月〜5月)の出品作家として選出されました。その告知用のポスターにも使用されています。
また、ヴィジュアルページには、アール・ブリュットの作家、ヤン・ドムシッチ、オーギュスタン・ルサージュ、ジョルジーナ・ヒュートンの作品を掲載しています。
最新号 特集 パターナリズムと公共性定価[800円+税]
パターナリズムが私たちを自由にする?! ……ワンクリック・パターナリズムの時代の倫理と行動
●人間の合理性とパターナリズム 瀬戸山晃一(大阪大学留学センター准教授)
…… 規制やルールに埋め込まれているパターナリズム。パターナリズムを所与のものとして捉えたうえで、どういうパターナリズムを私たちは選択すべきか。公共性の概念と照らし合わせながら検討します。
●「同意」はバターナリズムを正当化できるか。 樋澤吉彦(長野大学社会福祉学部福祉学科専任講師)
……パターナリズムは、「自己決定」を支えるための必要不可欠な要素ではないか。この仮説のもとに、ソーシャルワークという実践活動から、パターナリズムの可能性について考察します。
●〈鼎談〉幸福とパターナリズム……自由、責任、アーキテクチャ 大屋雄裕(名古屋大学大学院法学研究科准教授)×北田暁大(東京大学大学院情報学環准教授)×堀内進之介(現代位相研究所首席研究員)
……生活環境を「快適」にさせる善意のシステムがパターナリズムではないか。自由と規範、自己責任と承認、アーキテクチャの権力といったキーワードを手掛掛かりに、現代の幸福感との関わりからパターナリズムの本質に迫ります。
●特別企画「アール・ブリュット パッション・アンド・アクション」より
表紙 齋藤芽生
伊奈英次さんの個展「IN TOKYO+EMPEROR OF JAPAN」のオープニング。伊奈さんは、『談』no.67「リスクのパラダイム」で特別企画として世界の監視カメラを逆に監視=撮影した「監視」の連作を掲載。それ以前にも一緒に旅したキューバ、ブラジル・マナウスをno.47「ラテン…解放の思想」、no.48「別冊談 混合主体のエチカ」でを発表している。『談』とは関わりの深い写真作家の一人だ。
今回は彼の初期の代表作「IN TOKYO」のヴィンテージプリントの20年ぶりの展示と最新作「EMPEROR」のお披露目展覧。「EMPEROR」は、天皇陵、全124代を踏破し撮影した壮大なプロジェクト。なんといっても、さぬのみことかむやまといわれひこのみことはつくにしらすてんのう=神武天皇の陵墓から始められているのがいいではないか。歴史上実在しない存在、まさに忘却の忘却、不在の不在を光によって捕獲し写像化する試み。「国家は一つの光線だ」と、ぼくの大好きな劇作家は言い放ったけれど、静かにたたずむ墓の数々は、光にならんとして物質化してしまった国家という形象そのものだといえる。それにしても、政治的な空間を撮影させたら、伊奈さんの右に出るものはいない。むろん、ドキュメンタリーのランガージュは一切使用されていない。徹頭徹尾、光線の コノテーション、光量のアーティキュレーションのみでインスクライヴされた二次元世界のポリティックスだ。個展は→gallery artunlimited
また、 10月31日からは「ZEIT-FOTO SALON」で伊奈英次作品展「EMPEROR」が開催される。
青山ブックセンター 青山本店に行くと、音楽の棚で最新号がコーナー展開、それも真ん中に平積み。思想のコーナーとあわせて2箇所。今号はけっこう好評で、すでに都内の数店から再注文がきている。ありがたいことだ。
午後は、言語学者の田中克彦先生に原稿依頼。99年に『談』でインタビューをさせていただいた。すでに一橋大学を退官されていて、ご自宅に電話をかけつづけていたのだが音沙汰がない。岩波新書の編集部に尋ねる。電話番号を伝えると、「それは違いますね」と別の番号を親切に教えてくれた。だいぶ前に引っ越しておられたのだ。電話に出られた田中先生は、ちゃんと覚えていてくれた。あのインタビューは先生にとって好印象だったようで、今回の依頼も二つ返事でお引き受けいただいた。仕事は丁寧にやっておくと、その後もいいことがあるということだ。
政策大学院大学教授の松谷明彦先生に原稿依頼。ところが、ご多忙をきわめておられてインタビューになってしまった。今後100年間、人口は減り続けるという。未曾有の人口縮小時代にわれわれのやれることとは何か。とりあえず、東京の20年後を予想していただく。
親子という病 (講談社現代新書 1962)特集、全て対談によるスペシャル・イシュー
『談』no.82 特集「おとはどこにあるのか……聴くではなく、奏するでもなく」
8月13日に発行になります。一部書店では、8月14日店頭発売。
110ベージ 800円(+税)
◆小沼純一×渋谷慶一郎 〈対談〉「聴いたことのない音楽」の方へ
◆柏野牧夫×池谷裕二 〈対談〉理性を導く音の快楽
◆粉川哲夫×廣瀬純 〈対談〉無数の眼/耳/舌あるいは闘争の劇場としての…
表紙 勝本みつる
ポートレイト 石川直樹
Gallery 新井卓
理性の限界??不可能性・不確定性・不完全性 (講談社現代新書 (1948))写真家 大西成明さんから『大西成明写真集 ロマンティック・リハビリテーション』を贈呈していただきました。
大西さんは、『病院の時代』(2000年)で全国の病院を訪ね歩き、「生老病死」である人間をドキュメントしました。また、『ひよめき』(2004年)では、脳を一個の「存在」として活写しました。いのちの形として、そこにそうして在り続ける物体。ヒトとは、モノであると同時に、生きるからだであり、生命の形象です。このモノといのちが分かちがたく結びついた状態を現象学は、「身体」と呼びました。人間とは、「身体」のことです。そして、それは自己超出するという意味で「存在」そのものなのです。つまり動くこと、動き続けること。
大西さんの眼は、ついにその動く「存在」を捉えたのです。いのちをかけて動き続ける身体としての「存在」。「ロマンティック・リハビリテーション」に登場する人々はみんな生き生きとしています。それは、日々新たに生まれ変わる「存在」であることを、リハビリという現場に立つ誰もが、あたりまえのこととして受け入れているからに他なりません。もちろん、撮影者も例外ではありえない。「存在」をいかにして撮るか。著者は、写真家である以前に、身体としてそこに在ることを自覚します。真実を写す前に、真実を生きよう。大西さんの眼も、真実と同期するように動き回ります。動くこと、動き続けることを捉える続ける眼=写真の誕生です。
He's tried to make me go to rehab but I won't go go go(AMY WINEHOUSE )リハブ? そんなのすぐ目の前にあるじゃん。
萱野稔人さんから『ディスポジション 配置としての世界』を贈呈していただきました。
「世界は配置(disposition)であり、人間は自らを取りまく配置によってたえず態勢づけらている(disposed)。」
「ギブソンのレイアウト(layout)、フーコーの装置(dispositif)、ドゥルーズの配置(agencement/arrangement)といった諸概念は全て、世界や人間を諸要素の配置(disposition)として捉えることを可能にするコンセプトである。これらの概念は、世界を、人間の意識によって総合される表象ではなく、生物としてのヒトを取り囲む環境として捉えることを可能にする方途であ」ると編著者の一人柳澤田美は言い、「ディスポジション的な思索の妥当性は、それが意識化されていない生活者の現実を十全に言い表している以上の何かにもとめられるべきだろう」と提言します。そして、この未だ十分な言葉が与えられていない何かについて、哲学、倫理、生態心理学、建築、アートから、領域横断的な思考を展開するのが本書であるという。ディスポジションを一つの手がかりにして、より実践的観点から、その可能性を探求した論考集。
ディスポジション:配置としての世界―哲学、倫理、生態心理学からアート、建築まで、領域横断的に世界を捉える方法の創出に
出版を記念して6月21(土)にイベントが行われます。↓
「うまくいく」ことの倫理と技術―「Disposition: 配置としての世界」
出社すると机の上には、贈呈本が3冊。いつも送っていただくあの方からかな、こっちは時々送ってくれるさるお方、これは最近知り合ったあの先生にちがいない…なんてドキドキしながら、封書をひらいてみたら、あらららっ、三冊とも著者は同じ。香山リカ先生。最近は、「月刊香山リカ」状態ですね、と以前ブログに書きましたが、すでにそれも過去のこと。いまや「週刊香山リカ」の時代なんです。というのも、つい数週間前にも『セックスがこわい 精神科で語られる愛と性の話』『いじめるな! 弱いものいじめニッポン』(辛淑玉との共著)を送ってもらっていたからだ。さて、それはともかく、三冊いっぺんに斜め読みして、面白かったのは『うつ病が、日本を滅ぼす!?』。というか、かなりマジで考え込んでしまうような内容の本でした。
「自尊心が強く自分幻想も大きく、他人からの評価には傷つきやすく、落ち込んだかと思うと時には攻撃的になることもある人たちが、ちょっとした挫折をきっかけとして、少し耐えて乗り越えようとすることもなく、次々と「私、うつ病です」と戦線離脱していくと、会社も役所もそのうち成り立たなくなるのではないか」と、香山先生は半ばホンキで心配しているのです。
あとがきにあるように、「うつ病は、現代のペストにも匹敵するような問題」なのか。精神分析家の十川幸司さんは、治療を目的とする薬物の市場拡大がうつ病の患者さんを増加させていると危惧されていました。また、精神科医の春日武彦さんは、うつ病を躁病との関連で捉え直す必要性を提起されておられます。『談』でも、何度かうつ病についてはとりあげてきましたが、深刻な問題なだけに、粘り強く考察をしていく必要性を感じています。その意味で、本書の問題提起はとても重要だと思いました。
セックスがこわい?精神科で語られる愛と性の話
いじめるな!?弱い者いじめ社会ニッポン (角川oneテーマ21 A 80)あえてここでは触れなかったが、先週末は、アントニオ・ネグリが来日していろいろな催しが行われていたはずだった。
ぼくも、22日に開催されるはずだった国際文化会館の「ネグリ講演会」を予約していた。しかし、全てお流れ。「私たちを残して、飛行機は日本へ飛び立った」というネグリとジュディット・ルヴェルのメッセージがむなしくWeb上を漂流したのだった。今回の来日中止について、当然腹が立ったが、何か釈然としないのだ。わかったようなわからないような、なんともへんな気持ちがずっとしていた。そんな時に、こんな文章に出会った。『TASC monthly』でもお馴染の粉川哲夫さんの日記。なるほどこういう見方もあるのか。
『city&life』no.87「美味し国」の景観論……フランス、都市景観の新たな創造」が発行になりました。
フランスには古くから「美(うま)し国」という言葉があります。自らの生きる場所を、「美しい」ところと称したのです。「美し」は、「旨し」であり、「美味し」でもある。グルメの国フランスとは、じつは景観においても、「美味し」=グルメの国という意味でもあったわけです。
景観法の施行によって日本でもにわかに景観保全への関心が高まっています。しかし、そこで言われる「美しさ」の中身に関しての議論はほとんどないに等しい。「美」という言葉だけが、もてあそばれているようにすら見えます。さらに言えば、都市計画、都市開発との連携もあいまいなままであり、土地利用計画との連動となると皆無といってもいいでしょう。そこで、景観保全および新たな都市景観の創造について、都市計画との関わりを踏まえて、風土と文化、市民と公共性という視点から捉え直してみました。
パリ市、フォーブル・サン・タントワンヌ、ムフタール、ベルシー公園、セーヌ・リヴ・ゴーシュ、モントルグイユ・サン・ドゥニ、モンマルトルetc、リヨン市、パント・ドゥ・ラ・クロワ・ルス、ヴィルユルベーヌなど写真多数
『談』no.81 特集「〈共に在る〉哲学」
3月28日に発行になります。一部書店では、4月1日店頭発売。
106ベージ 800円(+税)
◆木村大治 どのように〈共に在る〉のか……双対図式から見た「共在感覚」
◆西村ユミ 病いが形づくられる時、ケアは共に始まっている
◆河野哲也 「こころ」は環境と共にある……「自分探し」という不毛を超えて
表紙 勝本みつる
ポートレイト 新井卓
Gallery 石川直樹
物理学者の菊池誠さんと香山リカさんの対談集『信じぬものは救われる』(かもがわ出版)を贈呈していただきました。
いわゆるニセ科学問題について言及している菊池さん。また、スピリチュアルにハマる人の心理を解剖する香山さん。科学を装ったインチキに、現代人はなぜかくもコロっとだまされてしまうのか、徹底的に話し合った一冊です。
今、ちまたで評判の「シロクロはっきりさせてよ主義」「なんでも検定主義」「あなたの前世は主義」…、じつはみんな根は同じだったんですね。本書を読ませていただいて、それを確信しました。
菊池「ニセ科学を信じるのと、江原さんのことを信じるのとは、だいたい同じ(…)。要するに欲しいのは説明(…)」「〈イオン〉という言葉が好きな人と、〈オーラ〉という言葉の好きな人がいる。だけど、本質的にはそんなにちがわないんじゃないかと思っています」
香山「いわゆる脳を鍛えるトレーニングも同じ仲間に入れてほしい」
菊池「ニセ科学が流行するのは、実は科学の問題じゃなくて、もっと広く、二分法的な思考の単純化という世間の風潮があって、そのなかの一つの現象」
香山「効きさえすれば、べつにそれが本当なのかとか、そうじゃないのかとか、そのへんはあまり問わない」「典型的なスプリッティングという原始的防衛なんです」
菊池「温暖化の問題でも、倖田來未ちゃんみたいに『水からの伝言』を信じているお嬢さんが出てきたりして、つながってはいるんです。おそらく彼女にとって、地球温暖化防止はニューエイジ的なセンスなんですね」
香山「温暖化防止は(…)科学的な視点にたったものだけど、それとまたニセ科学的なものがつながっている」
菊池「マーケティングレベルでは(…)、ニセ科学やスピリチュアルにまったく勝てないですよ」「マーケティングを考えなくてはいけないと」
「水からの伝言」→「脳内革命」→「スピリチュアル」→「納豆ダイエット」→「マイナスイオン」→「コエンザイムQ10」→「代替医療」→「地球温暖化」へと緩やかにつながるニューエイジ的なものが確かにありますね。これはいったいなんなんだろうかと思っていたんですが、どうも裏には、マーケティングというものがありそうです。じゃぁ、いったい誰がやってるのか。どうやら、本当の問題はそのへんにありそうです。「不都合な真実」という名のニセ科学!!
足穂拾遺物語
NEW DIMENSION
ポケットは80年代がいっぱい
イヌネコにしか心を開けない人たち (幻冬舎新書 か 1-2)
客はアートでやって来る
キレる大人はなぜ増えた (朝日新書 90)
おとなの男の心理学 (ベスト新書 166)『談』no.80 特集「無意味の意味/非-知の知」が発行になりました。今号から表紙は、勝本みつるさんの作品です。インタビュー、対談のアブストラクト、editor's note before、afterは左のナビゲーションバーの「最新号」からアクセスできます。
哲学ディベート?〈倫理〉を〈論理〉する (NHKブックス 1097)筑波大学大学院人文社会科学研究科教授・好井裕明さんから新刊『ゴジラ・モスラ・原水爆 特撮映画の社会学』(せりか書房)を贈呈していただきました。好井さんは「人びとの社会学」の立場から、差別や排除問題を研究されておられます。「人びとの社会学」とは、「人びとの日常に埋め込まれ、痕跡をとどめないほどにまで溶け込んでいる"ものの見方や感じ方"、その影響のありようや影響の"根拠"を探り出そうという営み」ですが、好井さんがとくにこだわって考察されておられるのが映画体験です。
本書は、いわば映画体験の社会学という視点から氏が子供の頃から親しんできた「怪獣映画」を読み解こうというもの。「怪獣映画」は、子供にとっては娯楽映画の花形。氏(1956年生まれ)と同世代の筆者も怪獣にどっぷり浸かったくちですが、ここで取り上げているのは、その怪獣映画に色濃く影を落としている原水爆のイメージです。特撮怪獣映画そのものが核のイメージによって成立している。ところが、怪獣映画にとって重要な要素であった原水爆のイメージが、最近作ではみごとに払拭されている。それはどういうことなのか。そこにどのような力が働いているのか。
原水爆のイメージが、日常生活を通してどのように浸透していき、またそれが今日どのようなかたちで変容、終焉していったか、映画体験を通して例証しようというのが本書の試みです。「怪獣映画」「特撮映画」が純粋に好きな人には、ここでの読解が偏って見えるのでは、と著者は心配しているけれども、そんなことはないですよ。だって怪獣というもの自体がそもそも偏奇なものの代表のような存在ですし、その意味ではそのバックグラウンドを知ることなしに、「怪獣映画」を楽しむということ自体筆者(おそらく怪獣ファンのかなりの人も)には考えられないことなのですから。
「映画の社会学」だけでなく、メディアリテラシー、あるいは生-権力の言説研究に関心のある人にも読んでいただきたい一書です。
ゴジラ・モスラ・原水爆?特撮映画の社会学