明治学院大学経済学部助教授・服部圭郎さんを訪ねる。『city&life』の原稿依頼。以前一度同誌の「小さな町の豊かな暮らし」という特集で「コンパクトシティ、〈賢い縮小〉の必要性」というテーマで原稿をお書きいただいた。今回は、「ジェイコブスの宿題」の一つで、世界に誇れる「日本の商店街」をジェイコブスの視点から再評価しようというもの。服部さんは、ここ数年、実際に、東京の商店街をつぶさに歩き回って、その比較研究をしている。三浦展編著『脱ファスト風土宣言 商店街を救え!』(洋泉社新書)に、その一部が紹介されているが、たとえば服部さんの調査によれば、下北沢はなかでもずば抜けて優良な商店街だという。それが、今、60年も前の都市計画道路の整備計画によって破壊されようとしている。ジェイコブスが日本で生活していたら、おそらくまっさきにこの計画に反対し、高速道路計画を白紙にしたような、アグレッシヴな闘争を展開しただろう。そんなシミュレーションをしてもらうというのが、今回の原稿依頼の趣旨だ。ところで、服部さんが編集人となっている『habitat ハビタット通信』の第4号が発行になった。インドネシアのマカッサル市がクリチバモデルのまちづくりを展開しようとしていて、その一環で「ごみ買い運動」をしているという報告が掲載されていた。アジアの国々も、今、クリチバ型のサステナブルなまちづくりへ大きく舵を切り始めている。日本だけが、こうした世界的な動きから取り残されているようだ。
ネタをもう一つ。ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』が、なぜI、II章しか訳されていなくて(III、IV章が未訳)、酷い訳のまま、いまだに旧版のままで出版され続けているのか。この翻訳者(じつは、監修だけしかしていないといううわさがある)が、版権を主張し、新訳で出し直すことをかたくなに拒否しつづけているかららしい。用語の統一すらまともにできていないほんとうに酷い翻訳書。これはもはや犯罪に等しい、とぼくも思います。ジェイコブスの宿題を言うなら、本当はこの本の新訳を出すことが何より先決かもしれません。
ネタをもう一つ。ジェイコブスの『アメリカ大都市の死と生』が、なぜI、II章しか訳されていなくて(III、IV章が未訳)、酷い訳のまま、いまだに旧版のままで出版され続けているのか。この翻訳者(じつは、監修だけしかしていないといううわさがある)が、版権を主張し、新訳で出し直すことをかたくなに拒否しつづけているかららしい。用語の統一すらまともにできていないほんとうに酷い翻訳書。これはもはや犯罪に等しい、とぼくも思います。ジェイコブスの宿題を言うなら、本当はこの本の新訳を出すことが何より先決かもしれません。