ダイアリー

感染(うつる)んですよ、文体って。

昨日ようやく原稿を書き上げた。斎藤さんに読んでもらう。しばらくして用語統一と合わせてチェックしてくれたのを返してくれた。開口一番「インタビューの前までの文章、○○チックになってるよ」。ぷっふぁ、本当そうなんですよ、すっかり感染ってしまった。○○さんのあの独特の節回しが、かえって内容をわかりにくくしているのであれば、彼の言いたいことを、だれにでも理解できるように書きなおそうではないか。そう宣言して始めたはずなのに…。○○チックだってさ。感染力が強いってすごいですね。ってか感染やすいってことか。

いつまでつづくぬかるみぞ。

あ〜、今度は本文の原稿書き。昨夜からずっとやっているが、まだまだ続きそう。いつまでつづくぬかるみぞ。

今時、400字詰めでっていっても通じませんから

昨日からずっと写真にキャプションをつけている。文章を補足するような、あるいは、ちょっとしたコラムのような長めのキャプション。それを100ぐらいつけている。平均100字あるとすれば、それでもう400字原稿用紙で25枚。切り口がちがうので、1本25枚の原稿をかくより、はるかに難儀で手間のかかる仕事だ。ところで、今時、400字詰めで…、なんてお願いすると、??? という顔されますけど。

雑誌にとって台割りは、じつは1番大事かもしれない。

雑誌にとって台割りは、じつは肝なのだ。ページ数が決まっていて、色数も決まっている。『談』もそうだけど、もう一冊の『city&life』もまるこど一冊特集形式。文章とヴィジュアルのバランスや配置。文章といっても、インタビュー、対談、ルポ、書名原稿、コラムにキャブション、それと編集原稿というのもある。ヴィジュアルといっても、写真にイラスト、地図やグラフ、これらを一つのページにどう布置するか。また、それをどう連続させるか。いわゆる「見せ方」。あ〜でもない、こ〜でもない、しながら、ぺージどりをしていくわけである。そんなわけで、今日はこの台割りを考えていたら1日終わってしまったのであった。

写真は撮った後の整理が1番大変かも。

昨年末撮影したパリ、リヨン、リール、三都市の写真整理。デジタルなので、かなり枚数を絞って撮れるのだけれど、ざっと500カット以上。撮影順になっていたものをテーマごとに分類、さらに印刷原稿用にセレクトして、なんとこさ70カットぐらいまで。しかし、これでも全然多いのです。この仕事まだまだ続きそう。

エッセイを書く、といってもある方のですが…。

『TASC monthly』用のロバート・ハリスさんのインタビュー原稿を書き上げる。いつもの談形式はやめて、思いっきりエッセイ風にしてみた。自分で言うのもなんだけど、これがなかなかうまくいったのだ。
かる〜く書けるものなら、この手がある。こういうのに味しめちゃうとぼく的にはじつによくないけどね。
3月には発行になるので、どこかでみつけたら(って基本的にはTASCの会員にならないと貰えませんが)よんでみて下さい。

本誌『談』no.80 お詫びと訂正

本誌『談』no.80特集「無意味の意味/非-知の知」におきまして以下のような誤りがありました。ここに訂正するとともに、ご迷惑をおかけしました読者の皆様ならびに関係者には深くお詫び申し上げます。
(Web版では、修正済みです)
p11.editor's note before の末尾
  sound cafe zdumi(吉祥寺)→sound cafe dzumi(吉祥寺)
p93.書物のフィールドワーク46の◎呪われた部分
  バタイユ 魅惑する思想 坂井健 →バタイユ 魅惑する思想 酒井健 
  バタイユ入門 坂井健 →バタイユ入門 酒井健
  エロチシズム G・バタイユ 坂井健訳 →エロチシズム G・バタイユ 酒井健訳  
p102.『談』取扱い店
  立川 オリオンノルエ →オリオンノルテ

80年初頭の東京undergroundシーンについて、誰か書いてくれないかなぁ

夕方、新年の挨拶を兼ねてsound cafe dzumi(吉祥寺)へ。19日に開催された出版記念会に出席したこと(ぼく)、出版記念会を開催したこと(泉さん)を相互に報告し合う。出版営業のYさんが来店して、しばらく雑談をしていたら音楽プロデューサーのUさんが来店。鈴木治行さんをプロデュースしたというので、そのできたてほやほやの音源を聴かせていただく。
もともとこのミュージャンのファンだったという阿木譲さんの名前がでたのがきっかけで、一気に70年代末から80年代初頭にかけて、群雄割拠した東京undergroundシーンの話題に花が咲いた。驚いたのはコクシネルなどの演奏が入ったコンピレーションアルバムをなぜか泉さんがもっていたこと。ぼくもどういうわけか、カセットテープでもっていたりして、何十年ぶりかぐらいで聴く。さらに、泉さん「たこ」のファーストアルバムなんかも出してくるではないか。ついでに、それも聴いてしまった。すっかり忘れていたのだが、このアルバムには、1曲香山リカさんがボーカルで参加している曲がある。「たこ」のリーダー山崎春美さんは、じつは香山リカさんの名付け親。そんな関係で彼女も参加しているのである。細川周平さんが曲の幕間に各国語を使い分けてナレーションやっていたり、坂本龍一が1曲やっていたり、今思うとものすごいアルバムだ。つくづく面白い時代だったなぁと思う。
「天国注射」というイベントがあった。今でいうところの音響派になるのか、パンク、ニューウェーブのミュージャンに交じって、実験的なサウンドを追究していた若者がこのイベントの周辺には沢山いた。この頃のミュージャンを中心に、当時のカルチャーシーンをマップ化してみると面白いと思う。じつは、香山リカさん(まだ学生)が『フールズメイト』誌上でそれをやっていたのだ。思えば、そういう時代の空気を吸いながらぼくは今の仕事をはじめ、なにをかくそうその延長線上で、泉さんとも出会ったのである。思わぬところで、あの時代を思い出すことになった。『遊』『ヘプン』人脈で当時を回顧した文章をかつて読んだことがあるが、今度は、ぜひ音楽人脈でそれを書いて欲しい。

フランスの景観整備の系譜をお聞きする。

東北新幹線で小山まで。小山から両毛線に乗り換えて山前駅下車。足利工業大学教授・和田幸信先生にインタビュー。ご著書『フランスの景観を読む…保存と規制の現代都市計画』をベースに、フランスの景観整備の系譜についてお聞きした。フランスの歴史的建造物の保存制度で特筆すべきは、その周辺環境の保全にある。1943年の時点で歴史的建造物の周囲半径500mについて、あらゆる建設を規制する制度を導入している。フランス全国に歴史的建造物は、約4万あるといわれているが、その周囲500mを保全するとなると、旧市街地のほとんどが保全地域として包含されることになる。日本では単体の建築物が保存の対象になるが、フランスでは、それを都市計画の役割に結びつけて行われているのである。フランスの景観整備が現在の形になるまでの歴史を繙きながら、都市計画と景観保全の関わりについてお話しいただいた。先生は見るからにまじめな方で、話も非常に丁寧。歴史の授業を受けているようだった。インタビュー原稿は、斎藤嬢が書くので、ぼくはもっぱらポートレイトの撮影に専念。『city&life』の仕事は、もっぱらこのバターンが多い。『談』もこれからは、インタビューは他の人に任せて、撮影役に回ろうかなと、ちょっぴり本気で考えてみたが、ページ裁ち落としのあんな大きな写真は、やはりプロでなくては無理だとすぐに思い直す。
インタビューが終わって学バスがくるまで、図書館で待つ。ここに設置されているソファやテーブルは、一見アルヴァ・アアルトのもののように見えたが、そんなわけはないだろう。いくらリーズナブルとはいえ、半端じゃない数が置かれているから、もしも本物だとすると教室1棟が建ってしまう値段になるかもしれない。たぶん本物に違いないと思い込みながら、ぼくたちはバスの来るのを待った。今年も「偽」の時代になりそうな予感。

『談』no.80 1月7日に発売!!

『談』no.80 特集「無意味の意味 非-知の知」
1月7日に発売になります。一部書店では、8日店頭発売。
110p 800円(+税)
●春日武彦 無意味なことに魅せられて……ささやかだけど役立つこと 
●吉田裕 「呪われた部分」はどこへ行ったか……バタイユ的経済学のゆくえ
●澤野雅樹×萱野稔人 〈対談〉いかにして消尽したものになるか……「主人と奴隷の資本主義」から遠く離れて
表紙 勝本みつる
挿画 小西真奈
no.80 販売店広告

『談』no.81号の特集企画は……

14時より『談』no.81号の企画会議。特集案を2本提案する。一つは「〈共に在る〉哲学」、もう一つは「世界はサウンドで満ち溢れている……人びとの音を探して」。最初の方は以前一度提案させてもらったが、人選を一部変更した。ところが、その人選に「ちょっと待った」コール。J.J.ギブソンの生態学的心理学、アフォーダンスから、共在という考え方にアプローチしようと思ったが、それがわかりにくいというのだ。それより普通にネットワーク論とか社会心理の方がいいのではというご意見。しばらく議論したが、スケジュールのことも考慮して提案した企画でいくことになった。アフォーダンスについては、今どきの中学生の教科書にも載っているような考え方、あまりにあたりまえすぎて、かえってむつかしいと感じるんだと思う。サウンドの特集も同時に進行させることにした。
事務所にもどって、さっそくインタビューを予定している3人にメールで依頼状を出すと、一人から即レスで快諾。それが、それが渦中の人だった。ぼくがなぜこの人にお願いしたいと思ったのかというと、きっとこの企画に乗ってくれると思っていたからだが、そのとおりだった。この特集にあえてアフォーダンスから切り込むというのが、じつに『談』らしい、とでき上がってみるときっとわかっていただけると思う。

肝心なものが欠如しているという指摘にドッキリ。

TASCで『談』no.80の編集会議。editor’s noteの読み合わせ。これで承認されれぱ、オーケーだ。バタイユの説明で、「非生産的消費」とか「有用性の限界」とか「呪われた部分」についてはしつこいほど語っているのに、肝心の「無意味の意味」との関連性について触れられていないのはどうしてか、という鋭い質問があった。確かに。本誌が発行された時に確認していただければいいのだが、インタビューの冒頭で、無意味を意味との対比で捉えようとする時に、バタイユにはそういう傾向がある、という指摘がなされる。じつは、無意味の意味が登場するのはその一箇所だけのだ。確かに、これでは、どうしてバタイユなの?  と思われるのも無理はない。といっても、ここのところは微妙で、軽はずみに論じると、やけどをしそうなので、加筆、修正は勘弁してもらった。だいたい特集タイトルの「無意味の意味/非-知の知」の「非-知の知」についても、ほんのちょっぴり触れただけ。バタイユを知らない人は、この言葉自体に???  かしれない。しかし、これもあえて何も言わない方がいいのではという配慮なのである。それでは詩ではないか、と批判されそうだが、ここは一つご勘弁願うとして、そんな意味などわからなくても、十分面白いインタビューなのでそっちを楽しんでいただきたい。

夜は、『TASC monthly』で1年間連載をしていだいた中川五郎さんのご苦労さん会を渋谷のワイン居酒屋VINで開催。中川さんの12月のスケジュールはライブがびっしり並んでいる。今日も昨夜「五つの赤い風船」のコンサートで宿泊された名古屋からの帰りだという。そんな中をぬって、私たちのために時間をつくってくれたのだ。感謝感謝。そのライブ、じつは営業的にはなかなか厳しいらしい。ミュージシャンというのも大変なんだぁと思った。サンセールとポムロール、ローヌにブルゴーニュとフランスワイン巡り&ジビェとフォグラで、愉しい語らいの時間をすごしました。

意味の森のウィトゲンシュタイン、言葉の海のソシュール

beforeでいきなりのウィトゲンシュタイン、afterでは、唐突にソシュール。「意味の病い」からの逃走をアジってはみたものの、またぞろ「言語の病い」にすっかりからめとられている。セミオティック>セマンティックorセマンティック>セミオティックか。この問題、ぼくの中でじつに30年間、いまだに決着がついていない。今回の特集、その突破口になるのではと期待したのに、結局また意味の森、言葉の海で右往左往している自分がいる。

多重化人格なんて誰でもなれます

ある時は原稿の督促、ある時は遅筆の謝罪。同じクライアントの二つの媒体、一方はタカビーの編集者、他方は腰の低いライター。完全に分裂している毎日です。いくらでも待ってあげるからね、と言える編集者、デルハヤで次々と書き上げるライター、に僕はなりたい。

千里眼の噂の先生

関西の方の精神科医に連絡を入れる。電話をしたのだが出ないので、そのまま切った。しばらくたったところで、その先生から直接電話がきた。留守番電話に残していないのに、どうしてぼくがかけたとわかったんだろうか。この先生、以前から千里眼のうわさがたっている。はじめて先生を訪ねた知り合いは、研究室のドアをノックするがはやいか、ドアをあけて、「あなたが来るのを待っていたところですよ」といって、中に招き入れたという。それまで、全く面識もないし、たまたま用のあったところがそばだという理由で、しかもアポなし。なのに、待っていたというから、彼はとても驚いたという。他にも、似たような話が幾つかあって、それ以来千里眼の噂がたっていた。まさかと思うけれども、事実こうやって向こうからかけてこられるとにわかに信じたくもなってくるものだ。

バタイユの住んでいた(らしい)アパルトマン

パリ最後の日。『談』のインタビューでバタイユ思想に言及したので、サン・シュルピス寺院のすぐ隣にあるバタイユのアパルトマンを見てきました。吉田裕さんにお聞きした番地は25番地。とすれば、もしかしてお隣の2階? ふ〜む。
バタイユのアパルトマン

犬と交信できる人

犬と交信できる人がいるらしい。そのお方が来日すると、毎回たくさんの人が愛犬をつれて、そのお方からありがたいお話を賜るのだそうだ。性格がよくて家族とも仲良くやっているように見えるけれども、じつは家族をバカにしていて、自分が天下さまだと思っている犬、一見臆病で会う人誰にも吠えるが、じつは本人は、何も考えていなくて、ただ条件反射的に反応しているだけのおとぼけ君、とか瞬時にその犬の性格を見抜くのだそうだ。中には、一目見ただけで、この犬は心を病んでいる、飼い主とは心の触れ合いができない、即刻お互い離れた方がいいといわれてしまった人もいるとか。飼い主にはうれしい言葉ばかりではなく、こんな青天の霹靂的お言葉に、かえって不快な思いをすることもあるのだそうだが、相談料は一律1万5千円。「○○ちゃんは、いつもなに考えてるのかしらねぇ」と気軽な気持ちで相談したら、即刻、飼い主をバカにしているとか、早く別れなさいとか言われたのでは、なんのために相談したのかわからない。このお方は、その犬の前世までわかるらしく、飼い主が百姓で、愛犬はその地主だと言われた人もいたとか。ニセ心理学者が横行するなかで、犬の心をもてあそぶ(いや飼い主の心をもてあそぶか)こうしたニセ・ドッグ・セラピストにはご用心、ご用心。

のど元過ぎればなんとかで……。

農水省の仕事が完成。直接の発注者に印刷所の担当者と納品に行く。担当者の石川さんは、じつは、『談』と『city&life』の印刷担当でもある。いつも、とても丁寧な仕事をしてくれるのだが、今回もウルトラC(死語?!)級の仕事をしてくれて、感謝感謝である。そのかいあって、発注者には大変喜んでもらった。この仕事、いいたいことは山ほどあるけれど、とにかく完成してしまえばOK。のど元過ぎればである。

記憶とその形象、シュールレアリズムがマイブーム。

インタビュー依頼と講演依頼と連載依頼。すべてメールで済ませられるとはいえ、返事がかえってくればすぐさまレスする必要がでてくるし、これはこれでけっこうしんどい。昼食後も、こんなことをずっとやっていた。いつもよりう〜と早く事務所を出ると渋谷駅で号外。安部が辞任。どこまで、○○な人なのだろう。
ラフォーレ原宿のヤン&エヴァ シュヴァンクマイエル展最終日。図録を編集している渡辺裕之さんにチケットもらったので。すばらしい展覧会だった。物量が凄い。なぜ、触覚主義、シュールレアリズム、人形なのか。その真相がつかめた気がした。記憶である。記憶とその形象。つまり、イメージ、それも自分のではなくメディウムの。この場合のメディウムは、霊媒。にわかに、シュールレアリズムがマイブームに。

お台場は注目すべき場所と都市の専門家は言う。

『city&life』の企画委員会。企画委員の先生は全員出席。次と次々号の2本分企画案を提案する。今回は、2本とも風土に重点を置いた企画にした。提案のあとの雑談で、開発当初は危惧するところもあったが、現在のお台場は非常にいい水辺空間を形成しつつあると、日頃は厳しい意見を言う先生が珍しく評価する。大江戸花火大会も、一度はみた方がいいとか。その時は、タワーマンションがちょっぴりうらやましくなるなんて発言まで飛び出した。そういえば、この前来日したゲーリー・スナイダーが、お台場に行きたいといって、関係者を驚かせたらしいが、ヒッピーのカリスマもお台場にある霊感を感じ取っていたのだろうか。海外企画も、ほぼ通った。先生方の助言を伺っていて、あまり取材範囲を広げずに、都市部にフォーカスを当てて,徹底的に分析するという方向性もありだな、と思った。いずれにせよ、年末まで、また国内、国外と取材に駆け回ることになりそう。
帰りにオズヴァルド・チルトナー追悼展。ギャラリーに2点だけの展示。それと、画集。じつはここは小出由紀子事務所の一室。こういう見せ方もあるのかと、ちょっと新鮮。というか、うちの事務所でもできるぞ。

14歳の公立中学校に通う女の子と30歳のリーマンの……

『談別冊 たばこ』で「チェリー」にまつわるステキなエッセイをお書きいただいた前川麻子さん。彼女の小説『パレット』の主人公は、14歳のフツーの女の子。だが、恋人が30歳のリーマンという想定。歳の差がダブルスコアというのは、今ではそんなに珍しいことではありませんが、自分が30の時に中学生の娘と付き合えたかというと、やはり躊躇したでしょうね。もちろん逆の立場もしかりです。そんなことを思いながら、たまたま北原ミレイの『懺悔の値打ちもない』を聴いたんです。この歌、じつはこんな歌詞なんですが知ってましたか。「あれは二月の 寒い夜 やっと十四に なった頃 窓にちらちら 雪が降り 部屋はひえびえ 暗かった 愛と云うのじゃ ないけれど 私は抱かれて みたかった」。14歳で成人男性と恋愛するというシチュエーションは、別に目新しいことではなかったんだって、あの慟哭ともいえる歌声を聞き入りながら思いました。結局この女の子は、十九歳で捨てられて、細いナイフを持ってその男の帰りをまち続け、懺悔の値打ちもないけれど、打ち明け話を聞いて欲しいと言って、歌は終わります。わずか3分半の中に女の性が凝縮しているすごい歌。この歌をつくった人はというと、先日亡くなった阿久悠さんでした。やはり、この人はただ者ではなかったな、とつくづく思ったのでした。

10年前「日本のモンマルトル」といわれた大学

クルマでarata coolhandのご自宅へ。イラストの仕上がりを確認するため。彼から、『VIEWS』の96年2月号の「和光学園」の記事を見せてもらった。「小沢健二、小山田圭吾、田島貴男を生んだ〈和光学園〉=インディーズ文化の不思議なパワー」という今なら絶対につけないようなタイトル。しかも、この特集そもそも「Views教育シリーズ」という企画の一つで、「今月は"日本のモンマルトル"を綿密取材」という文字が踊っている。内容はというと、超無名にもかかわらず、パーフリの二人とオリラブのほかにも、渋谷系、インディーズ系、サブカルなどでカリスマと称されるミュージシャンや漫画家、コピーライターなどを多数輩出しているのはなぜ? というもの。arata君がなんでこの雑誌をもっていたかというと、彼も和光出身で、タジブーとはいっしょにバンドをやっていたからだった。そして今彼は、そんなことも縁で、和光大学の広告をつくっているのである。これでまた和光ファミリーが増えてしまった。ちなみに、ぼくは美術史家の松枝到るさんと同期生。妹はタレントの高見恭子さん、妻は女優の佳村萌さん、義理の兄貴はジャックスの早川義夫さんと同期だったんじゃないかな。

女優さんと一緒に駒場をお散歩しました。

8時45分に集合場所の駒場アゴラへ。POTALIVE駒場編vol2『LOBBY』「燈ともしび」に参加するため。これは、一言で言うのはむつかしいのだが、お散歩しながらお芝居を観るパフォーマンスである。
駒場アゴラのある商店街では盆踊りが行われていた。クルマ1台やっと通れるような商店街に老若男女がたくさん集まっている。浴衣姿も多い。お店の前で焼きそばを売っていたり綿飴や金魚すくいの屋台が出ている。
受付開始。サロンのような場所のテーブルの前にいた青年が主宰者の岸井大輔さんだった。案内用のフライヤーの入ったビニール袋と、POTALIVEの参加者であることを示すシールをもらう。それを次回持参すれば、200円で入れるという。つまり1回600円! なんと安いことよ。
キャンセル待ちも加えてたぶん13人の参加者。今回の案内役、村井美樹さんがあいさつ。村井さんは、現在ドラマ「麗しき鬼」や「アニメギガ」の司会で活躍する女優さん。浴衣がよく似合うステキなお譲さんだ。さっそく商店街に繰り出す。盆踊りは終わったばかり。商店街はまだその余韻が残っていて、すぐには帰らずにまだ多くの人々が残っている。村井嬢の話がゆっくりと始まる。続きを読む

『震災時帰宅支援マップ』をもって実際に帰宅してみた。

『震災時帰宅支援マップ』というのがある。一度そのシミュレーションをしてみようと思っていたので、今回の地図特集で実際にやってみることにした。といっても、歩くのはちとしんどいので、自転車に乗って。新宿南口を16時15分に出発。帰宅支援ルートの一つ甲州街道を走った。WC(公衆トイレ)の所在地や震災時に落下する恐れのあるガラス(カーテンウォールのビル)、倒壊する恐れのあるブロック塀が記されている。いちいち止って、地図通りか確認しながら撮影する。西参道からは頭上に首都高速が走る。神戸の震災の記憶があるので、これが崩落したら怖いなぁと思いつつ走る。危険地域は、実際に本のとおりだった。下高井戸から商店街へ寄り道。じつは、わが母校松原高校が帰宅支援センターになっているからだ。なんだかちょっとうれしい。となりの日大文理学部キャンパスを含めて、広域避難場所にな指定されている。見覚えのある店を幾つか見ながら、松原高校の正面玄関へ。記念写真ぽく写す。そのあと、再び甲州街道に戻って、八幡山、環八、給田と通って、 仙川からバス通りを通って19時に帰宅。
撮影しながら自転車で3時間ちょっとかかった。たぶん、歩いて帰る場合は、この倍はかかるだろう。震災はいつくるかわからない。帰宅支援ルートを実際に歩いてみるのはいいことだ。もっともぼくは自転車だったけれど、それでも何が妨げになるか、何が必要になるか、少なくともそのイメージだけはつかめたのでよしとしよう。

なんてステキなフェスティバル・ライフ

27、28、29日とFUJI ROCK FESTIVALに行ってきました。2001年からFUJI詣を初めて今年で7回目。FUJI自体も11年目に突入しました。
ところで、FUJIってなんですか、とよく聞かれます。さて、説明しようとすると、じつはこれがなかなかむつかしいのです。一言で言えば、苗場スキー場を会場に行われる日本最大の野外フェスティバルということになりますが、千〜万人単位が収容できる野外ステージが4つ、屋内ステージ1つ、百人単位の小さいステージが3つ、内外の百数十組のアーティストが出演し、飲食関係だけでも100以上が出店、サーカスにダンスホール、ゲームセンターにキッズランド、さらには、映画上映や大道芸などもあり、入場者数は10万人をゆうに越え、三日三晩ほぼ24時間態勢で盛り上がるという巨大なお祭り、といったところでしょうか。
期間中キャンプサイトで寝泊まりする人だけでも数万人。色鮮やかなテントが1万以上並ぶ姿は、日本広しといえどもFUJI以外にはないそうです。今年は、幸い天候に恵まれてウィンドウェアの世話になる機会はほとんどありませんでした。しかし、毎年必ず一日は雨にたたられ、各会場はまるで湿地帯。それでも負けじと踊りまくる数万人の熱気で、屋外であるにも関わらず湯気が立ちこめる光景を目にした時は、感動すら覚えました。
そんな巨大イベントにもかかわらず、ゴミの分別収集が徹底し、喫煙者の誰もが携帯灰皿を持参。ソフトエネルギーを積極的に活用し、あるブースは電力をほぼすべてクリーンエネルギーで賄うという試みすらなされています。あくまでも公式的にではありますが、暴力事件や事故もなく、海外のフェスティバルではつきもののドラッグも皆無、酔っ払いすらほとんどいないという、まるで嘘のようなhappyでpeacefulな三日間なのです。
肝心の音楽はというと、いわゆるロックだけではなく、ワールドミュージック、ジャズ、スカ、ファンク、ブラックミュージック、テクノ、エレクトロ、さらには、クラブミュージックに日本ではFUJIから火がついたジャム系ミュージックまで、とにかく、ありとあらゆる音楽が会場を埋め尽くします。個人的に嬉しいのは、Jポップが少ないこと。かわりに、今年はダンス系のバンドが多く、最後は踊りまくって深夜を迎えるというステージが多かったのはなお悦ばしいことでした。
と書いてはみましたが、もちろんこれらはFUJIの全体のほんの断片に過ぎません。とにもかくにも、体験せずにFUJIを知ることは無理。でも、こんなに愉しく、身も心もフレッシュになれる3日間が世の中にあるということだけは伝えておきましょう。
最後に、僕の今年のベスト5は、The John Butler Trio、Groove Armada、Battles、V∞redoms、Gov't Mule。もちろんみんな踊っちゃいました。

先生の難解な話を翻訳するはずが、かえって難しくしてどうする!?

TASCで『談』の編集会議。何年かぶりで、editor's noteを書き上げて読み合わせをした。思い起こせば、西川さんが担当の時、途中から間に合わなくなって、プロットを書いて、それをもとに原稿にすべきプランを述べるという方法に変えてしまった。やはり、本来の姿にもどして正解。自分でもちゃんと目鼻をつけておかないと、発行したあと中身を忘れてしまう。
すでにみなさんには、原稿はお渡しして読んでいただいているので、発表しないでもいいような雰囲気だった。でも、予習をしたので(自分の原稿を予習してどうするというツッコミはいれないで)、発表させてもらった。みなさんの印象はというと、意外な反応が……。今回はそれぞれのインタビューは分かりやすかったのに、editor's noteが難解だというのである。難しい先生の話を、誰にも解るように説明するのがその役目だったのではないか。それが、インタビューより難しいとは。前号は、分かりやすくてよかったのにと。どうしても専門的な言葉を使わざるを得ないということもあるんですけどね。「まぁ、いろいろな意見があるのはいいことではないでしょうか」とまとめたら笑われてしまった。
木原千春さんの表紙画、神山貞次郎さん撮影の上杉満代さん舞踏、共にOKが出て、あとは発行するのみ。8月20日発行予定。

富くじとしてのサッカーを知り抜いている男

夕食を食べながらアジアカップ準々決勝。オーストラリア戦。後半先制されるが、その2分後に高原のワールドクラスのゴールで追いつき、延長戦でも決着がつかずPK戦。オシムはいつものようにベンチに引き込み結果を待つ。やはり、能活はアジアカップになると運を引き寄せる男だ。最初のふたりのシュートは確実にゴールに突き刺さるはずだった。が右に左にシュートをはじき返す。そのあと日本は高原がはずすが中澤が決めて勝利。準決勝へコマを進めた。オシムはじつにサッカーをよく知っている。どんなに強くても運に見放されたらおしまいだ。実力と運がなければ勝てないのがサッカー。サッカーは結局のところ富くじとそう変わらないゲームであるということを、オシムは知り抜いているのである。清水諭先生もおっしゃるように、偶然性に強く支配されているのがサッカーで、それは野球にはない魅力である。ロッカールームで薄目をあけて試合の行方を見つめるなどということは、バレンタインには無縁のことなのだ。

「〈空間管理社会〉再考……空間の〈なに〉が問われるべきなのか」という鼎談

『TASC monthly』公開鼎談「〈空間管理社会〉再考……空間の〈なに〉が問われるべきなのか」を行う。
出席者は、玉川大学教授・岡本裕一朗さん、関西学院大学社会学部教授・阿部潔さん、国際大学グローバルコミュニケーションセンター研究員・鈴木謙介さん。今回のテーマそのものが、『空間管理社会─監視と自由のパラドックス』(新曜社)で出された幾つかの論点をもう一度議論していただくというのがねらい。なので、司会進行役をその本の編者のお一人である阿部潔さんにお願いした。
従来のような権力側による人々の監視・管理といった一元的な動きとは異なる、現在の監視社会の諸状況を「両義性」という切り口で捉えることはできないかという問題提起を受けて、「防犯カメラ」「個人情報の収集管理」「コミュニティパトロール」「メディアによるセレブリティの管理」「警察権力による国民の監視」など現実に起こっているさまざまな事象を拾い上げながら、密度の濃い議論が展開された。現代の管理を考える場合に、テクノロジーの変化が管理の内実を変容させている意識の変化とどうリンクしているのか、その点を把握することが一つ重要な鍵になると思われる。現代社会において誰が誰をなんのために管理しているのか、その大前提こそが問われなければならないのである。
今欠けているのは悪に対する想像力ではないか、祝祭空間のもつ意味をあらためて考える必要があるのではないか、秩序/反秩序という枠組みを越えるための脱秩序化という発想の重要性などが提起された。ちょうど、『談』の次号特集のキーワードが「祝祭」。特集を編集するに当たって、いい参考になった。
今回の鼎談は、『TASC monthly』(何号かは決まっていないが)に掲載予定。

難解中の難解オートポイエーシスがたった15分で……

東洋大学の河本英夫教授の研究室へ。昨年十川幸司さんと対談をしていただいた文学部会議室で打ち合わせ。池田先生と同じある会合で講演をしてもらうための依頼。本論に入る前に、聴衆のためにオートポイエーシスについて軽く話してもらえないかと、恐る恐る尋ねると「わかった15分でやりましょう」と。えっ、ほんとうにそんなことできるのか。もしも先生の言う通り本当に15分で説明できたとしたら、ぼく絶対それ本にしますよ。『世界最速!! インド式〈オートポイエーシス〉論』。どこがインド式??

探し物が勝手に探している人のもとにやってきた嘘のような本当の話

昨日池田清彦先生が「そういえば、生き物の愉しみ、喜びとかいう本がでたよな、オレ書評したぞ」とおっしゃった。ぼくもどこかでちらっと見た記憶があって、「あ〜、ありましたね」とその場では軽く相づちをうったのだが、帰ってググってみたが見当たらない。もちろんタイトルがうる憶えなのでamazonでも見つかるわけがない。さてどうやって探そうかと頭を抱えていたまさにその時である、なんとぼくのところにその本がやってきたのだ! 勝手に探し物の方からきてくれたなんて。これを奇跡といわずしてなんといおう。じつは、この本『動物たちの喜びの王国』は、宮野尾さんのところ(インターシフト)が発行所。ぼく好みの本だと思い贈呈してくれたのだ。しかし、偶然とはいえ、こんなことが本当に起こるんですねぇ。
動物たちの喜びの王国

結果的には異業種交流セミナーのようでした。

ある集まりがありまして、以下の方々と名刺交換、あるいはご挨拶をさせていただきました。ホスピタリティをご研究されている株式会社商業界代表取締役社長結城義晴さん、メディカルビジネスがご専門の財団法人日本総合研究所研究主幹野崎俊一さん、リーターシップ論のEQパートナーズ株式会社代表取締役社長阿部哲也さん、企業倫理、コンプライアンスのスペシャリスト、ジェイアイ傷害火災保険株式会社企画総務部長渡辺正治さん等々。普段ほとんどお付き合いすることのない分野の先生方。さて、どんな集まりだったと思いますか。とても刺激になったことだけは確かです。

「お帰りなさいませ、ご主人様」の生みの親は可憐なお譲さん社長でした。

「お帰りなさいませ、ご主人様」のフレーズで、またたくまに秋葉原の人気メイドカフェになった「@ほ〜むカフェ」。その創始者で、「萌え〜」カルチャーを牽引してきた河原美花さん。エンタメ論のゲストスピーカー三人目は、川原さんをお迎えして、供給者側から見た「萌え消費」の実態、「萌えビジネス」の面白さをお話しいただきました。河原さんは元JTの社員。OL時代は、クルマでたばこ屋さんを回る営業も経験したそうです。また、チアリーディングをする人でもあり、その方面では知る人ぞしる有名人でもあります。「楽しいは人を幸せにする」をコンセプトに、アイデアを次々に実現化し、テレビをはじめとしたさまざまなメディアから注目を集めるも、今年新たに飲食店の経営に乗り出し、食を中心とした新しいビジネスに挑戦中。河原さん、じつは「@ほ〜むカフェ」をやる前は、萌えもオタクもまるで知らなかったといいます。逆にそれがよかった。アキバ系にどつぷりつかっていなかったからこそ、女の子が喜ぶお店という発想が浮かんだからです。メイドカフェにショー的な要素を持ち込み、関連グッズを販売し、メイドさん自らが歌って踊れるユニット「完全メイド宣言」をつくっては、CDデビューまでさせてしまったのですから。とにかく、何もないところに種を蒔き大木に育て上げる名人です。そして、今年5月イタリアンレストランを祐天寺にオープン。オタクのアキバからマダムの祐天寺へ、急転直下の転身は、周囲も驚いたとか。何が彼女をそうさせたのでしょうか。そこには、彼女のある秘密があったのです。川原さんの体験的ビジネス論。それはそれは面白くもためになる話でした。どんな話かって? それはここでは言えません。だって高い授業料を自腹で払ってきている学生さんに申し訳ないですから。いずれ何か別の機会に紹介しましょう。ブログで、インタビュー、なんていう企画もあるかもよ。

映画におけるやばい台本とは

エンタメの授業に、中学時代の親友で現在独立プロ系のプロデューサーをやっている桑山和之君をゲストスピーカーに呼んだ。「BEAUTY」の撮影を終えて、今編集の最中。ちょうどよいタイミングだった。映画において製作はなにをやるのか。一般人にはわかりにくい映画製作の仕事から話を始めてもらった。予算管理、対外交渉などについて、具体的な事例交えながら話してもらうと興味も湧いてくる。前回の南兵衛さんは、話し始めたら止らない感じでしゃべくりまくったが、桑山君はイントロだけしゃべって、まず聞きたいことを質問というかたちで学生から出してもらうという方法をとった。これがよかった。話す方向性を確認できるし、話題を共有できるからだ。「BEAUTY」の8分間のDVD を映写。エキストラ募集用につくられたものだがこれもよかったと思う。やはり、学生の関心は資金集めや新たなメディアの参入によって生じる権利関係やいわゆるライセンスに関すること。製作資金○千万円を市民の寄付から、また文化庁から○千万の助成金を得たという発言に一同驚く。しかも、数年前に同じ地域で撮影した時も、ほぼ今回と同じ寄付を集めている。映画製作において、同じ地域で同額の寄付を得られたていうことは奇跡に近いことなのだという。信頼こそ財産なのだ。
個人的に面白かったのは映画におけるやばい台本について。それは内容ではなく、ましてやキャストでもない。沢山人が出る、スタッフが沢山いる、役者が沢山出るように書かれている、この三つが「やばい」のだと。なぜなら、それは、非常にリスキーだから。もしも、オールロケで、雨で撮影が中止にでもなってごらんよ、予算がいくらあっても足らない、という。カメラが回らないのにお金だけが出ていく。気象条件にものすごく左右される点では、映画も野外フェスと同じライブ・エンタメなんだ。オープンエアのスポーツイベントのお弁当屋さんと同じ?

「ガレリア・グラフィカbis」で「勝本みつる展」を見る

「ガレリア・グラフィカbis」で「勝本みつる展」を見る。最新作は、箱物で、平面性を強く意識したような、密度の濃い作品。ぼく的には、すごくよかった。ご本人がいらしたのでご挨拶。写真家宮本隆司さんの奥さんと演出家の方がいらして、お二人にも挨拶。その昔、写真を借りるためにの宮本さんのお宅へお邪魔したことがある旨を伝えると、覚えておられた。みつるさんに『談』を沢山送ったので、そのお礼にと「初期作品集」を贈呈してもらう。感激! それだからではありませんが、『談』の次々号から、勝本さんの作品を表紙に使わせていただこうと思ってま〜す。

「渋さ知らズ」を見る鷲田清一大阪大学総長

C.C.Lemonホールへ。「渋さ知らズ」ライブ。「渋さ知らズ」こそ、祝祭として身体、祝祭としての音楽の実践者たちだ。原稿を書くためにもこのライブは必見。まず開演に当たってと、白塗りの男性が注意事項を読み上げるというなんともおかしな風景に会場から笑いが。いつものように、客席後方出入り口から、それぞれ管楽器を吹きながら登場。今日は、演奏を聴かせる方にぐっと力点を置いたライブだった。片山広明さんを始めとする管楽器のメンバーみんなにソロパートが用意されていて、それもかなり長いアドリブ。エレキギター4本というのも凄いし、ドラムス(パーカッション)も3セット。白塗りは男性2女性2、おしゃもじ隊2にダンサー2、それに兄貴は、お馴染の紅褌に玄界灘の法被姿。
いつにもましてボリューム感があり、大河のような太い音のうねり。なによりもアンサンブルがいいのと全体の構成がよかった。途中で本日のゲスト、ジェームス・チャンスが登場。へんてこな踊りと甲高いい音をキンキンいわすサックスプレイは、おそらくチャンス独自のもの。面白かったが、サックスからキーボード、キーボードから歌、再びキーボードへ、またまたサックスへと目まぐるしく楽器を取り換えながら演奏する。じつに落ち着きがないのだ。それがかえって興味を削がれる原因に。演奏についても、渋さとどうしても比較してしまう。圧倒的に渋さの方がうまいし面白い。申し訳ないが、こういうゲストならば渋さオンリーの方がよかったかも、などと思ってしまった。後半また、渋さ全面展開。片山さんがブリブリすっ飛ばす。約2時間以上のライブだけど、とても満足した。本日も「Nadam」で巨大風船が天上を浮遊し、ラスト主題歌「本多工務店」で巨大な手の風船が舞ったことを報告しておこう。
終了後、ホワイエでメンバーが引続き演奏しているのを遠巻きに観ているお客さんの中になんと鷲田清一さんを発見! 阪大総長は渋さのファンなのか。

「ゲバゲバ90分!」はぼくの編集の原点かもしれない。

NHK「お宝TVデラックス〈笑の力〉」を見る。「頓馬天狗」「お笑い三人組」「おそ松くん」「ゲバゲバ90分!」の VTRとゲストによるトーク。今回のぼくにとってのハイライトは、楠トシエさん、前武さん巨泉さんがゲスト出演したことだ。「ハッチャン、おはなちゃん、う〜っ!」というあのあまりに有名なせりふのシーンを嬉しそうに見ながら話す楠トシエさんのお顔を見れただけでぼくは大満足。さらに、前武さん巨泉さんの掛け合いは、昔とまったく変わらなかった。「ゲバゲバ90分!」では、あの名プロデューサー井原高忠さんをインタビューしていた。じつは、ぼくは伊原さんの大ファンなのだ。ぼくのものの考え方は、どうも、この人に教わったところが多いように思う。「面白ければなんでもあり」、「不条理からアイデアは始まる」、「シチュエーションと配役の妙」。伊原さんの番組づくりの哲学は、そのままぼくの編集のノウハウに引き継がれていると思っているからである。

写真ってこういうものだよなぁと森下君の作品を見るといつも感じる。

写真家の森下大輔さん来社。さっそく新作十数点をテーブルに並べる。てっきり銀塩のプリントだと思っていたら、インクジェットだという。安藤君、田井中さん、そしてぼく、目を丸くして見入る。
森下さんは少し変わってきて、全体的に見ても統一性がないように思うのだけれどと言うが、いえいえそんなことはありません。僕の眼にはむしろ筋が一本通っているような見えました。いつものようにどれも構造がしっかりしているし、精緻なフレーミングが写真の本来のあるべき姿を喚起させる。本人的は割合無意識にレンズを向けているらしいが、ぜんぜんそんな風には見えないな。ベランダと建物を撮影したものが妙に印象に残った。今回持参された作品のミニチュア版をポートフォリオにして預かることになった。つまり、僕が森下君に代わって営業活動をせよってことですね。ええ、ええ、頑張りますとも。まかせてください。

コーヒー店、道場破りの旅に出る時はもうすぐだ。

珈琲工房へ。豆と一緒に念願のフジローヤルの「みるっこ」を購入。ついにというか、やっとというか、待ちに待った日だ。酒井さんより購入したもので、値上がり後の値段より1万5千円近く安い。さっそく、本日買ったブラジル・カルモ農園の豆を挽いてみる。さすがみるっこ。均等にムラなく粉砕。粉のきめがきれいにそろう。熱も出ない。フィルターに移して、いよいよ抽出。美味い! 香りがとばず、スッキリとした味わいのコーヒー。もちろんこれはこのカルモ農園の豆の特徴なのだが、その個性をまったくそぐなうことなく、120%引き出した。買って正解だった。コーヒーは豆で7割、焙煎で2割、水と抽出で1割と思っていたが、挽きの重要性を忘れていた。挽き方によってこんなに変わるとは。これからは、焙煎が1割5分、挽きが1割、水と抽出は5分の割合だ。もちろん、円錐式ドリッパーを使うのが必須ですが。
これで、堀口さんのところで仕入れた豆をみるっこで挽いて、コーノ式のドリッパーで淹れれば天下無敵だ。いよいよ全国珈琲店、道場破りの旅に出る時がきたのかもしれない。これかなり本気ですから。

頑張れば頑張っただけ報われるところにいられることの幸せ。

TASCで人材ネットワークの編集会議。なんとかひねり出した50人近い論者とテーマを駆け足でプレゼンする。いくつかこれでいこうということになり、まずはよかった。必死でもがけば、それなりのことはあるのだ。頑張れば頑張っただけ報われる社会。それは、ほとんどの場合そのがんばりを受け入れてくれる側の問題である。機会だけ与えればことがすむと思ったら大間違いですぞ、○○首相殿。

若い時の体験が、結局今の自分をつくっている

BERGへ。中学のポン友である小沢君、桑山君と数年ぶりに会う。小沢君は新宿のTAKASHIMAYAのリニューアルが一段落してやっと時間がとれたとやってきた。彼は、インタリアデザイナーであり、また池尻大橋のタイ式マッサージの店NAAMのオーナー(奥さんと共同経営)でもある。桑山君は、映画のプロデューサー。昨年から撮影に入っている後藤俊夫監督作品『BEAUTY』で再びロケ地長野へ行くという。じつは、彼には、僕の授業で一度しゃべってもらおうと思っていて、連絡をしたのだった。しょんべん横丁の大黒屋へ移動。いつものことながら、話は昔話に。高校一年の夏のことだ。中学を卒業して高校が変わってもよく会っていたぼくたちは、もうひとり大塚君を加えて、大阪の親戚のうちに二泊三日の小旅行をした。時は70年、そう万博見学に行ったのだ。アメリカ館の月の石は見ずに、三菱未来館の四谷シモン作のマグリット人形とそのまったりとした空間に驚いたり、ニュージーランド館や地方自治体館といったハズしたところばかりを見て回ったぼくたち。その後の人生がすでに暗示されているような選択。ぼくたちは、はじめてホルモン焼きをごぢそうになり、銭湯の電気風呂にびっくりしたり。いやはや愉しい旅でした。大阪のあのディープな雰囲気がやみつきになり、奇妙きてれつなイベントをみると血が騒ぐのも、たぶんあの万博見学のおかげだと思う。 若い時の体験が、結局今の自分をつくっているのだなと実感した一夜でした。

津軽三味線やスティールパンの演奏も聴きたかったのですが……。

冨田晃先生と直接電話でお話しをする。ヤン富田さんには個人的興味があり、アルバムをつくろうという計画もあったので会いたかったのだそうだ。なるほどそうでしたか、きがきかなくてすみませんでした。もちろん、こっちも広告でバーンと露出しているし、世の中的にはネライかなとは思ったわけですが…。連休中に弘前にこられるのであれば、津軽三味線やスティールパンを演奏するパフォーマンスがあるんだけれどとおっしゃってくれたのですが、やはり、こちらの主たる目的はインタビュー。ならば上京しますよ、ということで、東京でのインタビューで決まり。夜は授業の2日目。Philip AnschutzとAlan Beckerというエンタメ成功者の話をする。普段なら間違いなく批評の対象としてしか見ることのない二人だが、ビジネスという視点からあらためて見直してみると、これがけっこう面白いのだ。ちょっと本腰入れて、考えてみようかなと思う今日この頃である。

誰にとっての「安全・安心」か。誰にとっての「環境対策」か。

20時からの選挙速報を見ると石原がきわめて優勢と出る。そのあと北海道とか神奈川とか岩手だとかやっているうちに8時半からまず目黒などの票が開くと、なんとその数分後には石原の当確が出てしまった。そのあとの石原の会見などを見る。オリンピックはさておき、「安全・安心」と「環境対策」が支持されたと強調する。やはり、大衆はこの二つにしてやられたのだ。ぼくは、「安全・安心」という考え方そのものが危険であり、また地球環境問題についても、その立論の仕方自体が倒錯であると言ってきた。「都民の良識がぼくを選んだ」とほくそ笑む石原を見ながら、まあそうなのだろうと思いつつも、だからこれらの言葉の裏にある意味をもっと冷静に考えなければいけないと思うのだ。これらの言葉の主語は何か。つまり、誰にとっての「安全・安心」か。誰にとっての「環境対策」か。スピノザの言葉を思い出す。大衆は大衆であるがゆえに見誤ることがあるし、それがどんなにばかな決定であっても与してしまうことがある。しかし、それでも大衆に向かって主張し続けなければいけない。民主主義とはそういうものなのだ。

「祝祭」という身体の内的体験を探る。

TASCで企画会議。07年度の『談』の企画をプレゼンする。4本提案したが、順番にやって行こうということになった。次の特集は「〈祝祭〉する身体---Aha、Alea、Ilinx」。「遊び/愉しみ」の継続企画だ。トップアスリートたちのほとんどが体験するのは、「わたしの身体がわたしの身体であって私の身体ではなくなる」ことだという。言い換えれば、「わたしの身体を超え出ていく身体」、つまりエクスターゼ(ハイデガー)、エクスターズ(バタイユ)する身体知覚のこと。スポーツの哲学を提唱する稲垣正浩先生の発言からインスパイアされた企画だ。「スポーツおよび舞い・踊り・ダンスといった身体技法を、祝祭という切り口から、自己と他者の交錯する開かれた身体の内的体験として捉え直そう」というものである。ぼく的には、すごく愉しい企画。さっそくアポ取りを始めよう。7月発行ですから。

好感をもつて迎えられるのはとても嬉しいことだ。

第一生命ビルへ。一階の郵便局のとなりに喫茶室があるのを発見。予定時間より早くついてしまったので入ると、林先生と太田さんがすわっていらっしゃる。それに初見の奥田先生。奥田先生は立教の名誉教授。兼任講師だと伝えると、過去に都市デザインの学部をつくる話があったというお話。そのあと、『city&life』の企画委員会。理事会で『C&L』は好評だったといううれしい情報。企画会議も大変盛り上がり、各先生方から活発な意見とやりとり。次号は「サイクルシティ」で決定。

今年は『談』をスケジュールに出すと宣言。

『談』の編集会議。editor's noteのプロットを話す。今回は、まず今回あつかう分野の解説をし、後半はできるだけインタビューにそってまとめる。比較的やりやすかった。プロットをつくった段階でそう思っても、いざ書き出すととたんにブレーキがかかるということがこれまでにも何回かある。今回はそうならないようにいきたいものだ。来年度はちゃんとスケジュール表をつくると宣言。書店販売用を発行から遅らせるアイデアを提案するが、却下される。しょせん浅知恵であった。猛省。

鎌倉で開催されている「畠山直哉展Draftsman's Pencil」を見る。

鶴岡八幡宮へ。開催されていたぼたん庭園で葉牡丹を鑑賞。お参りをして神奈川県立近代美術館鎌倉へ。本日の目的「畠山直哉展Draftsman's Pencil/鷲見和紀郎展 光の回廊」を見る。製図家の鉛筆というタイトルがつけられているように、これまでの仕事を、あたかも一人の製図家に成り代わって世界=都市をドローイングしていくというものなのか。明らかにトルボットの「自然の鉛筆」のメタファだ。じつに畠山さんらしい。
都市を描き直す。ある時は巨人の眼で、またある時は小人の眼で。マクロとミクロの視点を交錯させながら、自在に都市のディテールへ忍び込む。東武ワールドスクエアで撮影された「ニューヨーク」をはじめてちゃんと見る。アトリエでちらっと見せてもらったものより少しサイズを小さくしたように思う。この一連の作品は、現在の建築写真への強烈な批判。フォトジェニックなプロポーションばかりを探すことにご執心な建築写真家諸君、心せよ。
ライトボックスを利用して実際の透過光を見せる「光のマケット」の美しさにうっとりする。汐留の電通ビルが、浜離宮の湖面に映ってゆらいでいる、虚業へのアイロニーか?  ミルトン・キーンズの家屋群とマルセイユの超高層マンション、これらは、近代というものの病を愚直に表象している。
全体を見て思ったことは、「なんだかとても悲しい」。小さいけれど強く感じるこの寂寥感はなんだろう。以前、畠山さんの作品は幽煙の撮る写真だと称したことがあるけれど、それは幽煙ゆえの悲しさなのか。まだよくわからないが、すごく重要なことが隠されているように思う。少なくとも、この寂寥感は、畠山さんの写真を語るうえで、重要な鍵になることは間違いない、と思う。
ところで、今回の展覧会の畠山さんの図録に、同館企画課長の水沢勉さんが文章をよせているが、『談』no.64所収の佐々木正人さんとの対談「写真と生態心理学」が引用されていた。「カメラ・オブスキュラのプロジェクトは、カメラの中に暮らしているような感覚だ」という例のくだり。幽霊という言葉が思いついた発言箇所でもあって、なにやらか暗示的な気がした。
「畠山直哉展Draftsman's
Pencil/鷲見和紀郎展 光の回廊」

エノケン、ロッパ、田谷力三、そしてペラゴロの都市論

大阪府立大学助教授・酒井隆史さんと3月に予定している「交流会」の打ち合わせ。TASCの岡本所長、新留さんと新宿BERGで待ち合わせて、そのままルミネエストの韓国家庭料理の店へ。酒井さんは1週間ほど前から風邪気味でまだ完治していない様子、すごくつらそうだった。「交流会」の段取りなどをざっときめて、あとは雑談。
酒井さんは、最近上京すると浅草詣をしているとのこと。それとなく聞き出すと、大衆娯楽についていろいろ調べていて、なんと宝塚も見ているというではないか。じつは、ぼくもレビュー文化と都市の関わりをテーマに、かなり前からエノケン、ロッパ、田谷力三、そしてペラゴロを中心に資料を集めていたのだ。一時は宝塚のムラ(大劇場)にも何度も通ったこともコクる。どうやら酒井さんも同じようなラインで関心をもっているらしい。浪曲や大衆演劇まで視野に入れているというから、これはかなり強力なライバルの出現である。ぼくの場合は、少女の大幽閉、交通都市、歌舞音曲のポリフォニーという三つの切り口を考えているのだが、おちおちできませんね。アイデアだけでは勝てそうにないので、ここはひとつ協力して……、なんてことにはならないだろう、絶対に。でも、なんか面白いことが起こりそうな気がした。なんだか、昨日と同じだな、これって。

ダゲレオタイプ(銀板)の写真作家が訪ねてくる。

写真家・新井卓さんが来社。鈴木理策さんからの紹介。広告やエディトリアルの仕事をこなす傍ら、ダゲレオタイプ(銀板)の写真制作を続けている。このダゲレオタイプで撮影されたポートレイトのシリーズに釘付けになった。これは面白い。昔の人は、こんな風に写真を撮っていたのか。という驚きとともに、写真とは何かという根源的な問い掛けそれ自体に向かうような視線が気になった。いずれ『談』にご登場願おうと思う。ところで、ダゲレオタイプで制作している写真家は、現在日本には2人しかいないそうだ。
新井卓さんHP

ブレを見越したうえで論旨を適確に伝えられるのがプロだ。

話を聞いている限り論理的で論旨も明快なのだが、いざ文字にするとかなりはちゃめちゃということがある。とはいえ、これはこの人だけではない。かくいうぼくも、自分のテープ起こしを聞くと、けっこうむちゃくちゃにしゃべっているのである。しかも、ぼくの場合、熟語や固有名詞に自信がない時だと語尾をごまかすので、いよいよ聞き取れないらしい。
座談会、インタビューの原稿をまとめる時、いつも感じるのは話し言葉と書き言葉の落差。論脈はとりあえず無視して、話している時のリスムや感情をできる限り活かすか、逆に論旨が適確に伝えられることをいの一番に考えるか、迷うところであるが、本来はやはり100%後者をとるべきなのだろう。論旨をきちっと伝えたうえで、前者の見られるようなブレ、ゆがみ、脱線をもうまく取り込めたら、きっといい原稿になるのだろうし、それが可能な人間が、本当の意味でのライターなのかもしれない。ぼくなど、まだまだひよっこというべきか。ぼくは、いったいいつプロになれるのだろうか。

あのフェラディーだって疑似科学にコロリといくこともあるというお話

たった1本のろうそくから、その製法、燃焼、生成物質を語ることによって、サイエンスすることの面白さを教えてくれた『ろうそくの科学』。フェラディーのこの本を読んだ人は多いでしょう。ぼくは、ちょっと遅れて高校生の時に読みました。そのファラデーさん、じつはこんなことを書いていたのです。「いたるところでロンドンの大気を脅かしているものに、アンモニアと呼ばれる物質があります。この物質は、幾人かの工場主によって多く生産されているものですが、硫黄を含む蒸気やからだから発するミアスムと一緒になると、絵画を損ねてしまうことになりかねないでしょう。(…)絵画をたやすく傷めてしまうほどに、大気は、群衆のミアスムと蒸気で飽和しているのです」と。「ミアスム(瘴気)」とは、汗や唾液などのアンモニア性の発散物を通じて群衆の身体から発生する一種の臭気のこと。それが美術館では絵画に悪影響を及ぼすというのです。18世紀のロンドンのナショナル・ギャラリーに、労働者や黒人、娼婦たちが大挙して訪れた時に、それを見て語った一言です。どんなに優れた科学者でも、時代が時代なら、疑似科学に騙されることもあるという教訓です。もうすぐ書き終わるインタビュー原稿で、インタビューイーが著わしている本に出ていたちょっと気になる話。
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