談』no.108 「特集:おいしいってなに?……ひとは食をどう表現してきたか」が3月1日全国書店にて発売になります。

書店販売に先立ち、一足先に『談』ウェブサイトでは、各インタビュー者のアブストラクトとeditor's noteを公開しました。
右のメニューバーの最新号、no.108号の表紙をクリックしてください。

人間は、生きるためだけではなくて楽しむために食べることを始めました。現代社会では、セックスがそうであるように、食べることは本来の意味を離れた快楽の世界を目指す。享楽と快楽のメカニズムがおいしい食を求めてやまない人間の業を示しています。一方で、料理を極めるきわめてストイックな食の探求も忘れてはいない。おいしさの快楽と節度や品性を求めるこころは、常に表裏一体なのです。
味覚と嗜好の生理的メカニズムを縦糸に、食の文化や社会を横糸に、食べることに潜む知の世界、およびその表現の多様さを探求します。

■〈味覚の探求〉 コク、この表現ならざるもの
伏木亨(龍谷大学教授)
脂っこいもの、甘いもの、うんとだしがきいたもの。これらは大人も子どもも誰でもわかるコク。それに比べて、コクも何もないような溶液に対して、あえてコクがあるといってみる。
日本人は酒に対して、どこまでもひねているのです。実際、酒には脂も糖分もだしも、コクの材料はほとんど含まれていない。それはもうコクのイメージというほかありません。日本人は、まさにそうした「面影」を、食に見出してきたのです。

■〈食体験の源流〉 記憶のなかの家庭料理…思い出としての〈美味しさ〉
阿古真理(ノンフィクションライター、生活史研究家)

料理メディアが花開いた昭和から平成の現在まで、雑誌や書籍、まんが、TV番組は「家庭料理」をどのように伝え、どんな食事を描いてきたのでしょうか。たとえば、昭和前期は、かまどで炊くご飯を中心にした食文化のなかに、新規なるものとして外国料理が広まった時代です。昭和中期は、敗戦によって過去の文化に自信を失った人々が、外国文化を積極的に取り入れた時代。昭和後期は、家庭料理がより手の込んだものへ向かうと同時に、外食化が進んだ時期です。1990年代は、戦後築き上げた昭和の価値観が崩れていくと同時に、新しい文化が芽吹き始めます。2000年以降は、崩壊がさらに進んで新しい現象が起こり、昔の食文化が再発見されます。
なぜ、昭和に洋食が広がり、平成にカフェ飯が支持されるのでしょうか。どうして、和食は再発見されなければならなかったのでしょうか。その理由は、長く台所仕事を担ってきた女性たちの変化にあることは間違いないでしょう。日本人は料理に何を見ていたのでしょうか。日本の女性たちの意識とライフスタイルの変化に照準しながら、家庭料理の80年を辿ることで、日本人が見出した「美味しさ」の源流を探り出します。

■〈味わいを科学する〉 〈見る〉が生み出す味わいの世界…こころと食の認知科学
和田有史(農業・食品産業技術総合研究機構 食品総合研究所 食認知科学ユニット 心理・行動科学グループ 主任研究員)

食の認知は、口に入れる前に視覚情報や嗅覚情報により始まっているといわれます。たとえば、こんな実験がある。ワインの殿堂であるボルドー大学ワイン醸造学科の学生にワインの味を評価させる時に、赤ワインのなかに、赤く着色された白ワインを紛れ込ましたところ、評価者は一貫して赤い白ワインを赤ワインに使われる典型的な言葉で評価し、白ワインに用いられる言葉を避けたというのです。ワインの味わいについて専門的な訓練を受けた人間でも、味を知覚する際に視覚情報の影響を強く受けるということを示しています。視知覚と食の感性には強いつながりがあるということでしょう。
食べものの味わいが見た目によっても大きく変化します。このことは、食べものが盛り付け方や器、パッケージによって、評価が変わることからも理解できます。和食やフランス料理では、彩り、盛り付け、食器選択において、見た目の美しさが重要視されるのです。
さらに、食べもの本来の情報を越えて、食行動場面の人の表情やしぐさが食べもの選択の判断基準になることもあります。食の認知は、未嗅覚からの情報だけでなく、視覚による色・かたち・大きさの知覚、さらには、それらから喚起する記憶や経験までもが統合された結果なのです。
視覚情報が食の認知に及ぼす影響について概観したうえで、食=味わいを人はどのように感じ、また伝えようとしてきたかについて、最新の認知科学の知見を手掛かりに解き明かします。