「可能なのは、いまや、〈ヴァーチャル〉な現実のなかを瑣末に、限りなく分散化し、それらをかき混ぜること。言い換えれば、それは、ある種の〈亡命〉であるが、〈非場所〉つまり〈ウ・トピア〉への亡命である。この非場所は、どこにでもあり、どこにもない。ユートピアとはもともとは、そんな意味だった」。こういう言葉に出会うと、単純に気持ちが昂ってしまうが、そんな僕のような人間はもうどこにもいない。脱近代という言葉すら聞かなくなった時代に、ポストモダンを論じることの倒錯! なんと素敵なことか。ようやく、僕が粉川先生を好きな理由がわかったような気がします。粉川先生、やはりあなたは生粋の天の邪鬼です!
芸術新聞社から粉川哲夫氏の『映画のウトピア』を贈呈していただきました。単著としては、『もしインターネットが世界を変えるとしたら』(1996年)以来。粉川先生には、2008年に1年間『TASC MONTHLY』誌で「シネマ・シガレッタ」を連載していただいたのですが、それがまるごと収録されています。この連載は、僕にとっては思い出深い。というのも、批評家としての粉川哲夫に、はじめて寄稿をお願いしたからです。インタビューや、大学の先生として教わることは多かったけれど、一人の書き手としておつきあいをさせていただいたのは、これが初めてでした。たばこはスクリーンの中ではクリシェに過ぎないけれど、意外に正面から論じられることはなかったように思います。しかし、『ファイト・クラブ』を見て、「この映画に紫煙ののシーンがひんぱんに出てくるのも、まさに紫煙のようにはかないのがリアリティであり、そのはかなさに賭けるのでなければ、リアリティなど存在しない」と言い切るとき、たばこという"もの"と"もの"そのものである映画の本質を、二重に暴き出しているように思うのです。おしりに、付録のようについている編者・渡辺幻氏の「読書ノート」が面白い。「シネマ・シガレット」の参考に記された「シガレット・エフェクト」というコラムは、ポストモダンを生き抜いた人にしか書けないテキストです。