春日武彦先生から新刊『自己愛な人たち』を贈呈していただきました。
「たとえばわたしが寄席に出ている紙切り芸人だったとする。特異な題材を鋏で切り抜いてみせるだけなく、客からリクエストを受けつけなければならない。(…)意地悪な客が、「自己愛!」とリクエストをしたらどうだろう。実際にはあり得まいが、精神科医のパーティーの余興で呼ばれたらそんな〈お題〉も皆無ではないかもしれない。(…)今日のお客様たちはインテリでいらっしゃいますねえ、などと歯の浮くような世辞を口にしながら作品を仕上げる。切り抜いた黒い紙を白い台紙に重ねると、カラオケでマイクを握って熱唱するオヤジの姿である。マイクを握りしめている右手の小指がぴんと立っている。そこを指差しながら、〈はい、ここの部分が自己愛でございます。お粗末さま〉とおどけた声で言うと、白けた笑いと疎らな拍手が起こる」。という調子で始まる新刊。初っ端から春日節(!?)が飛び出して、先生のファンにはたまりません。
本書のテーマは、タイトルが示すとおり自己愛について。動物に自己保存の本能はあっても、自己愛があるかは疑問。が、動物である人間には、間違いなく複雑で厄介な自己愛が存在するのです。人間のグロテスクさや気味の悪さも、じつは自己愛の歪みが大きく関与しているのではないか、そんな予感をビンビン感じながら、先生は時に鋭く、たまにのらりくらり横道にそれつつその実態に迫ります。
「自己愛は変装し、思ってもみなかった病理を形作る。無意識のうちに、我々は自己愛をあらゆる詭弁や偽装の材料とする。そこには人間の切実さと滑稽さと突飛さとが透けて見える。だからこそ我々は自己愛に関心を寄せずにはいられない。自虐的な気持ちと共に眺め、揶揄したくなる。わたしがこうして自己愛について書いているのも、まさに同じ理由からなのである」。
自分探しという愚行が流行る昨今、「自分忘れ」としての自己愛こそ、今、探求すべき対象です。古そうで意外に新しい概念「自己愛」。これから大注目です。
自己愛な人たち (講談社現代新書)
自己愛な人たち (講談社現代新書)
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