「路上「もの」派の80年代」を脱稿。藤森照信さんは、常に軽やかに元気一杯で80年代を生きぬいてこられた。しかし、その裏では、さまざまな葛藤、戦いがあったにちがいない。今回、藤森さんの文体と趣向を真似てみたのだけれど、それがじつはとても努力のいることだということを実感したからだ。真似るのが大変というのではない、そういうエクリチュールを「がくもん」の世界でやることの困難である。あの「看板建築」でさえ、建築学会は認めようとしなかった。ましてや、路上の「もの」自体を建築と同等に扱い、しかもコラムニストばりに、ひょうきんと諧謔を旨とするような文体で書きつづることを、「がくもん」の世界は許すはずがない。ほんとうは、四面楚歌だったのではなかろうか。しかし、そんなことはおくびにもださず、ひょうひょうとした態度で書き抜いた。そのことに僕は感心した。そういえば、昭和軽薄体なんて言葉があった。軽薄を貫くことは、じつは、80年代にとって、ひとつの文化戦略だったのかもしれない。しかし、それは、08年においても有効かといえば、全くそんなことはない。それどころか、エクリチュールの管理社会化は、現代の方がじつははるかに強まっているような気すらするのである。