20時からの選挙速報を見ると石原がきわめて優勢と出る。そのあと北海道とか神奈川とか岩手だとかやっているうちに8時半からまず目黒などの票が開くと、なんとその数分後には石原の当確が出てしまった。そのあとの石原の会見などを見る。オリンピックはさておき、「安全・安心」と「環境対策」が支持されたと強調する。やはり、大衆はこの二つにしてやられたのだ。ぼくは、「安全・安心」という考え方そのものが危険であり、また地球環境問題についても、その立論の仕方自体が倒錯であると言ってきた。「都民の良識がぼくを選んだ」とほくそ笑む石原を見ながら、まあそうなのだろうと思いつつも、だからこれらの言葉の裏にある意味をもっと冷静に考えなければいけないと思うのだ。これらの言葉の主語は何か。つまり、誰にとっての「安全・安心」か。誰にとっての「環境対策」か。スピノザの言葉を思い出す。大衆は大衆であるがゆえに見誤ることがあるし、それがどんなにばかな決定であっても与してしまうことがある。しかし、それでも大衆に向かって主張し続けなければいけない。民主主義とはそういうものなのだ。