大和西大寺へ。徒歩で平城宮跡へ。平城宮跡の保存運動に尽力した棚田嘉十郎について調べるため。広い、とにかくだだっ広い。東京ドーム30個分はたぶんホントだろう。二条町から平城宮跡資料館を横目で見ながら、復元工事中の第一次大極殿を見る。平城京跡保存記念碑を確認し、東側にはり出している第二次の方も見る。踏み切りを渡って朱雀門へ。こちらは、平城京跡と違って、整備されている。ただし、月曜日だったので、朱雀門の扉は閉まっていた。奈良駅に戻る。奈良町を散策。よさげな路地が沢山あり、乙女ごころをくすぐようなかわいいものを売るリノベ物件多し。ちょっと金沢風か。
夕方奈良女子大学へ。文学部の浜田寿美男先生の研究室を訪ねる。浜田先生には、『談』no62で「自白の言語学……なぜ私はうそをつくのか」というテーマでインタビューをさせていただいた。今回は、『TASC monthly』の原稿依頼のため。最近の関心はなんですかと尋ねると、「痴漢だよ」とおっしゃる。なんでも痴漢の裁判を4つほど鑑定しているらしい。痴漢という行為の特殊性について一つの例をお話してくれた。
痴漢をした(と思われる男性)、されたと思われる女性ともに、じつは相手のことをほとんど覚えていないらしい。行為のあった場面で女性は大声をあげたためにその場にいた男性が取り押さえられた。女性は、逃げ出さないようにと男性のネクタイを掴んではなさなかったらしいのだが、取り調べの時には、その事実をまったく忘れていたという。男性は、容疑がかけられて、羞恥心と怒りで頭は真っ白、なんと肝心の訴えられた女性の顔すら覚えていないというのである。とにかく、細かいディテールになると、お互いの記憶はあいまい。痴漢は、記憶のいい加減さを実証する格好の材料のようだ。そして冤罪について考えるためにも。犯罪心理学、あるいは記憶研究という視点から、しばらく痴漢の裁判記録を読んでみようと思っていると。ちなみに、周防監督の「それでも私はやっていない」は、いい映画だったよとおっしゃってました。