管啓次郎さんより『ホノルル、ブラジル 熱帯作文集』を贈呈していただく。「そこにブラジルの美しさがあった。広大さ、不均衡、極端な対立、対立物の一致、すべてを浸すさびしさ。熱帯のマンハッタンみたいなリオの海岸通りにだって、交通の喧騒や人々のざわめきが一瞬止まり、なんともいえない静寂がふわりと漂うときがある。そのとき、ぽっかりと、ある扉が開く。ぼくらは、そこから広大さへと出てゆく。すると永遠のサウダージ(郷愁)を変奏するブラジルがはじまり、ブラジルは誰の人生にとっても、一度はじまったらもう終りをしらない」(本文/おびより)。ブラジルを何度か旅した者にとって、この言葉はとても腑に落ちる。あの終りのない強烈な騒ぎの真っただ中で唐突にやってくる切なさ、そんな時間を誰でも一度は経験することになる。それがブラジルという場所でのみ許された特権的な知覚体験、サウダージュなのだ。イパネマ海岸やアマゾン流域の都市マナウスの忘れがたい相貌。遠いはずの記憶が現在只今この一瞬に身体を貫通していく。粘ついた空気と混じり合うような体温。ぼくはいまどこにいるのか。管さんの本を読むことが、じつは僕にとってすでにもう一つの旅なのである。こうして、またぼくはブラジルの地を踏むことになるのだ。
ところで、本書に収められた最初の6のエッセイは、ぼくらが編集していた雑誌『SNOW』の連載記事の再録である。あの事件さえなければ、たぶんあと2年は続き、もしかすると一冊の独立した本になったかもしれない。編集者としては、ちょっと悔しいですね。
ホノルル、ブラジル?熱帯作文集