editor's noteの準備で資料を読み直す。「情動機能」をなぜ今とりあげるのか。その動機を明らかにするところから始めることにする。アントニオ・ダマシオの『感じる脳』と『生存する脳』、ジョセフ・ルドゥーの『エモーショナル・ブレイン』、ルック・チオンピの『基盤としての情動』、松本元、小野武年共編の『情と意の脳科学』を再読。ダマシオは思い切って書いているつもりなのだろうが、もともとぼくはアンチカルテジアン。数年前に読んだ時まるでぴんとこなかった。今更身体が大事だといわれてもそれで? という感じだったが、ソマティック・マーカー仮説が一種のシステム現象学だと思うとがぜん興味が湧いてきた。ダマシオは、古いものの方が断然面白い。それより、今回の収穫は「情と意」だ。以前ご一緒した研究会で松本元さんが出力依存性を強調していた意味が読み直してみてようやく理解できた。つまり、情動は出力で、その出力に脳は依存しているということ。シャクター流に情動体験と情動表出はラベルはりにすぎないと思い込んでいたために、表出が出力だというあたりまえのことに気づかなかったのだ。松本さんに「出力も入力もない系があるんですよ!」と食って掛かったところで、そもそもコンテキストが違っていたのである。天国で松本さんはきっと笑っておられるに違いない。いまさらながらおはずかしい話だ。