談』no.77に掲載を予定している東京大学薬学系研究科講師・池谷裕二さんをインタビュー。池谷さんは、35才の若さで本年度日本神経科学学会奨励賞と日本薬理学会奨励賞をダブル受賞した若手科学者のホープだ。ご専門は脳の可塑性の研究。今回は、「時間(とき)は脳の中でどう刻まれているのか……生命、複雑性、記憶」というテーマでお話を伺った。
開口一番、「脳は何をやっていると思いますか。じつは脳がやっていることは予測と適応。それだけしかやってないんですよ」とおっしゃった。なぜ予測をするかというと来るべく未来のためであって、それが記憶というものを生んだというのだ。われわれはくちをあんぐり開けて聞き入った。いきなりのサプライズである。
脳の中で記憶機能にかかわる海馬を事例にその理由を説明してくれた。側頭葉てんかんのHMさんは海馬を摘出してしまった。すると、知能は回復したが、手術後の記憶ができなくなってしまった。何か行為をしても5分もたたないうちに忘れてしまう。他人と「はじめまして」と挨拶をしても、5分後には忘れてしまい、また「はじめまして」から始めることに。HMさん記憶ができないので未来というものも想定できなくなってしまったのだ。本人もそういう症状のあることを知っているが、とにかくどんどん忘れてしまう。
予測というのは言い換えれば未来への計画である。やはり海馬を摘出してしまった例で不安というものがなくなってしまった患者さんがいる。なぜ不安が生じるのか。未来が意識されているからだ。未来への計画があるから、人は不安になり、悩みもする。ところが、未来というものがまったくなくなると、不安もなくなる。だから悩みもしない。たとえばコンロに火をつける。未来というものが欠如していると、その火がつけっぱなしになっているとどういう事態になるかとということがわからない。それで火事になったらしい。火事になったからといって、それがどういうことかわからないのだから悩むこともない。というような症例を聞くと、つくづく記憶というのは不思議なものだと思う。
ヒトは、記憶があいまいであるがゆえに一番高等な哺乳類となった。「モズのはやにえ」の話。モズは昆虫等の掴まえたエサを木の枝に吊るす習性がある。なのに、モズはしばしばそれを忘れてしまう。鳥は哺乳類のなかでも記憶力が抜群にいい生き物だという。じつは、モズは忘れていないのだ。モズは、すべての記憶を写真のように精確に記憶する。風でちょっとゆれたり、周囲の風景が変化するともうそれは別のものとして捉えられてしまう。ちょっとでも元あったところから移動すると、もうそれは同じだとみなされない。記憶力がよすぎることがかえってあだになってしまうのだ。
人間の脳は、記憶を並列分散処理する。そして統合することはしない。「転がる赤いリンゴ」という事態は、赤いという色、ある形をもったもの、動くという3つを分散処理して理解する。しかし、精確に言うとわずかながらその3つは記憶するのに時間差がある。まず色がわかる。次にかたち、そして動き。だから、正確には「今目の前にある転がっている物体があるが、ちょっと前にはリンゴの形かたちをしたものがあって、その直前には赤い色をしていた」と表現しないといけないらしい。
今回のインタビューで最も収穫だったのは、意識よりまえに脳とからだがさきに行為しているということがわかったことだ。たとえば、コインのトスの裏表をあてさせるというゲーム。どちらがでるかは確率的に2分の1。被験者は手にスイッチを持って表ならそれを押し裏なら押さない。人はとっさに表、裏を判断してどちらかを選択する。直感で決めていると思っているがじつはちがうのだ。脳とからだが意識より早く勝手にどちらかを選択する。そして、ほんの少し遅れて意識がやってくる。意識は自分の行為を跡づけているにずきないのだ。
しかももっと驚くのは、シナプスのスパイク(活動電位)にはゆらぎがあって、そのゆらぎが人間の行動を決定している。意識は常に後からやってきて、さも意志が選択したかのように思ってしまう。人間には、そもそも自由意志なるものなどないというのである。ただゆらぎのなかにいるだけ。
さらに驚くのは、シナプスのスパイクは非エルゴート性で、一度して同じことはおこらない。常にストカスティックにしかふるまえない。ということは、自然科学の記述ができないということでもある。再現性があるかないかがサイエンスかそうでないかをわける分岐点だが、脳の活動電位はそもそも再現が不可能な非エルゴート性である。池谷さんは、サイエンスと見なされていない世界へ大胆に入り込んでいこうとしているのである。
帰りがけいっしょにお話を伺った田井中麻都佳さんとゆらぎの話でもりあがった。ぼくたちふたりそもそもゆらぎっぱなしだから、それが実証されてしまったので、もはや怖いものなしになってしまったと。「ごめんなさい、そんなこと言いましたっけ。あのときのゆらぎがたまたまそっちにふれてたからね」、なんて、ふだんからいいかげんなぼくたち。もうなんのはばかりなくいいかげんでとおせるぞ。みんな脳のせいにしてしまえばいいのだから。鬼に金棒。悪いことを知ってしまった。