リーガグランド・ホテルのそばにあるシーザ・ペリ設計の国立国際美術館を見学。多数の巨大なステンレスパイプをカーブさせたモニュメントのある建物。というか、地上にはこれしかなくて、施設部分をすべて地下に埋設した美術館である。
建物の特異性はもとより、印象深かかったのは周囲のオープンスペースに設置されていた立て札の数々。「危険」、「あぶない」、「はいるな」、「のるな」というたて札がそこかしこに立っていたり貼られていたりしていた。
柵がしてあっても立て札がある。欧文が併記されているもあるが、ないのもある。シーザ・ペリの最初のスケッチには、立て札どころか柵すらもなかったと思う。ない方がカッコイイのは当然だ。現状を見たらびっくりするだろう。足を踏み入れるのも大変そうな噴水と通路の間にできた小さなスペースにも「入るな」の立て札が立っていた。ここの管理者は強迫神経症か。併設されている大阪市立科学館の中に入ると、中央吹き抜け空間の階段部分、はるか上の方に「立ち止まらないで」という張り紙が貼ってあった。誰に向けてインフォメーションしているのか不明だし、第一立ち止まらないかぎり貼り紙は見えないぞ。
肥後橋から地下鉄で本町へ。昨年橋爪紳也さんに連れて行ってもらった船場の「Cita Cita」を見学。高速道路のガード下に長く続く船場センタービルを歩く。
本町から森ノ宮へ。大阪城公園のブルーテントを見る。ちょうど雑木林に隠れるようにしていくつもつくられている。2年前に自転車で通り抜けた時から印象ではほとんど数が減っていない。遠くからみる限り、緑に身を隠すようにつくられていて景観を邪魔するような感じではなかった。しかし、どれも規模は大きい。内部に蚊帳がはってあるもの、簡単なキッチンが具わっているものなどさまざま。とはいえすっぽり覆われているために中を見ることはほとんどできないが。堀のそばには、タープがはられていて、ブルーテントでできた店のような佇まいのもあった。住人らしき人が縁台将棋にこうじていた。
JR森ノ宮から鶴橋へ。酒井隆史さんと行った焼き肉店「喜楽園」に入る。ここの1500円のランチは食べきれないほど肉が盛られていた。歩いて桃谷へ。ビールがきいて眠りながら歩く。奈良から靴下をワゴンに山ほど積んで1足50円で売っているおっちゃんが突然話しかけてきて目が覚めた。おっちゃんに教えてもらって鶴橋方向にあるコーリアン・タウンへ行く。数百メートルはあるだろうか、両側とも韓国食材の店がズラーと並ぶ。こんなところにこんなものがあったとは知らなかった。
タクシーで天王寺へ。公園前の青空将棋を楽しむおっちゃんたちを撮影したら怒鳴られた。でも、しっかり撮影してしまいましたよ。歩いて御堂筋線「動物園前」へ。ここから「新今宮」を越えたあたりがいわゆる「あいりん地区」。暇にしているおっちゃんや酒飲んでるおっちゃんが町を闊歩している。暑いので、ゆっくり歩いていると、この町にペースがわかってくる。冷暖房付き1泊1300円や1000円という宿泊所もあった。それでもここにはまだ職業が少しはあるし、屋根の下、畳の上で眠ることができるだけましなのかもしれない。野宿者はそれすらできないのだから。日雇労働者の高齢化が問題になっているが、確かにしわの目立つおっちゃんたちが多かったように思えた。1961年の釜ヶ崎の暴動は、確か8月1日。今日のような太陽がギラギラしていた日だったように思う。子どもの眼にはまるで戦争のような光景に写った。あれから45年もたってしまったというのに、日本はちっともよくなっていない。