目白駅で塩事業センターの清水さん神取さんと待ち合わせて学習院大学へ。「en」の原稿依頼で、法学部教授・数土直紀さんに面会。研究室に入って驚いた。ぼくはこれまで100人近い研究者を取材してきたが、これほどみごとに整然としている本棚を見たのは始めてだ。それこそすべての本が一糸乱れず本棚にきちっと収まっているのである。シリーズものや全集は巻数ごとに、文庫や新書はまとめて、単行本は単行本同士、お行儀良く肩を並べていた。先生の机も、またみごとに整頓されている。これまで、書類というものはうずたかく積み上げられていて、今にも崩れ落ちそうになっているものと思い込んでいたが、先生の机はまるでスピードスケートのスケートリンクのように塵一つ落ちていないのだ。そこにコンピュータが一台鎮座している。応接用の机もきれいさっぱりなにもおいていない。おそらく大変几帳面な方なのだろう。もうひとつびっくりしたことがある。先生に原稿依頼の請け書を書いていただこうとした時だ。「ちょっとぎょっとするかもしれませんが」と言いながら、先生は差し出された書面をくるっと右に90度回転させた。そして、おもむろに横書きの書面を左手で縦に書きはじめたのである。じつに器用に横を向いた文字がスルスルと上から下へ降りてくる。「ひだりぎっちょだと、どうしても左手で書いた文字が隠れてしまう。それがどうにも嫌で、この書き方を習得したんです」と。ぼくも左ぎっちょ。ただ、時代はそれを許さなくて、字だけは右で書くようにならされてしまった。文字どおり、こういう手があったとは今の今まで気が付かなかった。先生の著書『自由という服従』をぼくは名著と思っている。「自由」であることが逆に「服従」という事態をまねくという「自由」が孕む根源的なパラドクス。本書は、身近な例を引きながら、的確かつ平易に解説する。もう少し早く知っていれば、『談』の特集「自由と暴走」でぜったいにインタビューをさせてもらっていたはずだ。理路整然とした論理構成。そして、ちょっぴりおどけた文体。この本のたたずまいは、ある意味先生そのものである。
自由という服従
