ジンギスカン・キャラメルをもらう。北海道のお土産。いくら流行っているからといって、キャラメルにまですることはないだろうにと思いつつ、一粒口に入れてみた。最初は確かにキャラメル。ところが、すぐにあのラム肉の味が口腔内に広がる。甘いけれどベースは獣系、かすかに肉汁の香りもする。とにかく、奇妙きてれつな味覚体験だ。ぼくは、断言します、二度とジンギスカン・キャラメルを食べることはないと。でもね、こうやってお土産として売ってるんだからファンがいるんだろうね。この味がたまらないってひとが千人、いや万人単位でいるのかもしれない。もちろん、ぼくはそういう人たちに食べるななんてぜったいに言いません。美味しいと思っているなら、どうぞご自由に。
ところが、世の中には、人の味覚の好みに口を出す人たちがいるのです。「私は、おいしいからショートピースを喫う。体質に合っているから喫う。箱のデザインが抜群だから喫う」。だから、「(…)おいしくないと喫わない。主義ではなく、生理の欲求である」。草森紳一さんは、こう言って、なぜ人が好きで、美味しいといって呑んでいるものに文句をいうのだ、と怒るのです。挙げ句の果てに、「(…)あまりにも激烈なデザインの破壊ぶり。〈ショートピース〉は、アメリカの著名なデザイナーの手になる傑作である。世界のデザイン会議はこのまま黙って見過ごし、なにも抗議しないつもりなのか」と、パッケージの警告表示が、そのすぐれたデザインを台無しにしていることに、また怒るのです。この気持ち、わかるなぁ。健康リスク、受動喫煙、路上喫煙、匂い迷惑などなど、たばこ嫌いの鼻息はますます荒くなっている今日この頃(草森さん曰く、彼らの鼻息の方がよほどケムいと)。それをとりあえず受け入れたとしても、人が美味しいと言って口に入れているものに、なぜに赤の他人が文句をつけてくるのか。たばこは、口に入れるものであって「美味しい」ものなんです、たばこのみにとっては(そうでない人もいるけれど)。それを、からだに悪いからやめなさいとか、匂いが嫌だからよそへ行ってくれだとか、ハッキリ言って余計なお世話です。禁煙ファシズムの猛威に対して、喫煙派がどんなに論理的に反駁しても形勢は悪くなる一方。一度、たばこは口にいれるもの、その意味では立派に「食」のひとつだとぼくは思っていますが、この観点から、喫煙の自由を主張したらどうでしょう。たばこは、delicious、delicioieux、buonoなのよ!! ピエール・エルメの「ミルフィユ・カラメル」やアンリ・シャルパンティエの「ふじりんごのジブースト」のように。そして、ある種の人々にとってのジンギスカン・キャラメルのようにね。
草森紳一さんの上記の文章は、『随筆 本が崩れる』所収の「喫煙夜話 「この世に思残すこと無からしめむ」」より。これは『談』の広告を出稿する話もあった雑誌『ユリイカ』2003・10「喫煙異論」初出の随筆。
随筆 本が崩れる