「書き込みはしない。もっぱら読むだけ。だから私、面は割れてないわ」と自信ありげに友人は言いました。でも、それは全くの誤解。ネットというメディアでは、「読む」ことと「書き込む」ことの差なんてほとんどないといっていいのです。ウェブページを「〈読む〉だけであっても、そのページが置かれているサーバ上に、こちらのIPアドレスやアクセスの日時が逐一保存されている」。だから「書き込」まなければ匿名でいられる、というわけでは全くないのです。東浩紀さんが『中央公論』に昨年発表された「情報自由論」から。
いまや、「匿名性」という概念自体が変質しつつあると東浩紀さんは指摘します。東さんは出版を例にこんな比喩で説明します。「これは、1ページ1ページ、出版社に直販の注文を出して、特注で印刷してもらい、それを送ってもらって読んでいるような行為だ。(略)あたかも、匿名記事が満載のアングラ雑誌を立ち読みしたら、その一回一回が出版社の調査員によって記録されてしまうような世界なのだ。私たちは、いまだかつて、このようなメディアと付きあったことがない」。
現代社会において、「匿名」であることは不可能なのでしょうか。これまでのような常識的な見方をしている限り、悲観的にならざるをえません。新たな理論装置がどうしても必要です。最新号では、この「匿名性」と情報、社会、生命の関わりに迫ります。7月末発行です。乞うご期待。