「予約なし開演15分前に入って前から3列目で見れて感激! 」などという記事を載せていたBlogを偶然見た。愛知万博で行われたローリー・アンダーソンの”10ポストカードライブ”のこと。かなり空席の目立つ公演だったらしい。今さらローリー・アンダーソンでも…という意見もあるだろうけれど、それはこのさい問わない。問題は万博。所詮愛知万博なんてその程度のことだということだ。愛知万博を特集した雑誌がほぼ出そろって、ぼくもずいぶん目を通したけれど、納得いかないものが多すぎる。ほんとうにみなさんそんなに面白いって思ってるの? いったいみんなは何にそんなに感激しているのか。
そもそもぼくは万博というものにまったく期待がない。内覧会については以前ここでちらっと書いたし、見てきてこんなことを言うのはフェアではないぞと言われるかもしれない。でも、見たからこそあえて言いたいのだ。愛知万博には、文化と呼べるようなものがなさすぎるのだ。もちろん、ぼくにとっての文化だけどね。ぼくの考える文化ってなにかって?単純に言えば、危ないもの一般である。要するに、毒や悪や危険や死や狂気がプンプン臭ってくるものだ。なんだアングラ、サブカル、オタク、鬼畜かいな、というなかれ。いわゆるハイカルチャーなもののなかにだって、毒や悪や死はたっぷり盛り込まれている。すぐれたオペラの一つでも思い出してもらえばいいし、「死にんす、死にんす」はいつだって文楽の定番だ。つまり、そういうものが、万博の文化からは一切消されてしまっているのである。だいたい万博はいつも「進歩」と「平和」がテーマで、今回はこれに「愛」と「地球」と「バリアフリー」が加わった。もうよってたかって性善説のオンパレード。60億の民はすべて善人。科学は常に進歩し技術はいつもそして永遠に理想とする社会を実現する道具だ。みんなほんとうにそう思ってるの? 少なくともぼくはまったく逆。科学も技術も人間の欲望の具現化であり凶器にもなり世界を破壊に導く道具にもある。それゆえ、ぼくらは魅了され翻弄される。ハイリスク/ハイリターンは世の常だ。「愛・地球博」というなら、もっと突っ走ってディープエコロジー的に「愛・人間なんていらない地球博」とでもすれば、もっと面白くなったろうに。と、ひねくれ者は思うのであります。