2008年04月23日
「第三項音楽」はどこへ行こうとしているのか。
公開対談2夜目は、小沼純一さんと渋谷慶一郎さんの対話。
渋谷さん目当てのお客さんが多いと思い、リップサービスもあって、今日は渋谷さんの最近の仕事、「第三項音楽」と「filmachine」のを中心に、展開していただこうと思った。ぼくが事前に作ったレジュメは、毎度のことながらチョーてんこ盛り。これひとつひとつやってたら1日喋っても終わらないよ、といわれそう。そのうえ、わけのわからない呪文のようなことが箇条書きになっているという代物。これをシナリオにお願いするオレってなに?! と思ったのだが、あららびっくり、終わってみたら、話してもらいたかったことはみごとに拾い集められて、要するに、渋谷さんのやっていることと考えていることは、こんな感じに整理できるよね、とキレイに棚に並べられて、ほらっと見せられた感じ。小沼さん、じつにみごとな話術だった。その分、小沼ファンには物足りなかったかもしれない。今度別のかたちで、小沼さんにはたっぷりお話ししてもらいますから、どうかご勘弁を。
差異と反復ではない音楽をめざす「第三項音楽」はいかにして生まれたか。作曲者にしかわからないほんとうの秘密、そして、それは次にどこに向かおうとしているのか。白熱の2時間。残念ながらここではいえません。詳しくは、6月末発行の『談』でお読みくださいね。
2008年04月22日
メディアのalternativeが結晶化と共鳴する時…
『談』公開対談第1夜。「粉川哲夫さんと廣瀬純さんの対話」
トピックな話題から入ればいいと思いネグリ来日中止の話から始めてもらう。ネグリ、ガタリときて自由ラジオへつなぎ、そのままラジオアートに流れていけばいい、と思ったからだが、やはり、そうは問屋が卸さなかった。ネグリの話がとぐろを巻くごとく、ぐるぐる回り出す。まさに「ネグリでんぐり」。
粉川さんは、中止にいたった経緯とその対応へのコメント、またネグリ個人に対する感想を述べると、廣瀬さんは、ネグリの思想は、ネグリ・ハートの三部作「帝国」「マルチチュード」「コモン」で捉えるべきで、そこでネグリが一貫してとっているのは、「逆手にとる」という方法ではなかったと指摘。この意見に対して、粉川先生はすでにその「逆手にとる」ということが古いのではないか。返り咲いたベルルスコーニが画策しつつあるグローバルなメディア戦略に対しては、「逆手」では対抗できない、もっと別のこと=「オルタナティヴ」を考えなくてはならない。たとえば、粉川さんのドメイン名である「translocal」、サイト名である「polmorphous」がそのヒントになる。
インターネット環境以降のトランスメディアの可能性として、ラジオのミクロ性に改めて注目し、インターネットとそれを接続することで、グローバルかつミクロなオルタナディメディアを作り出していけるのではないか、と提言する。alternativeとは、alter=変える、とnative=土着の、が合体したことばだとイマジネーションを働かせれば、それはまさに土着性それ自体を更新するという意味になる。「グローカル」がすでに権力に取り囲まれている概念とすれば、むしろ、無数の土着=最小のコミューンをネット上にリンクすること、それが今のalternativeだ。この発想は、廣瀬さんの闘争の「最小回路」=結晶化という考えと共鳴するものだとぼくは理解した。途中、「美味しい料理の哲学」を巡って、大声を張り上げての激しいやり取りが展開されたが、これはライブならではの醍醐味。こういうことがあるから、面白いのだ。さて、明日はどんな話が展開するか、楽しみ。
2008年04月20日
まだ、わずかお席があります。
4月22(火)、23(水)、5月7(水)夜
吉祥寺sound cafe dzumiにて『談』の公開対談をやります
と4月5日付けブログで告知しました。
4月22(火)、23(水)、5月7(水)いずれの日も、
まだわずかお席があります。
少々狭い会場ですが、それゆえインティメイトな対話世界を堪能できると思います。
ぜひこの機会に、会場に足をお運びください。
応募は専用メールで→oubo@dan21.com
2008年04月15日
地産地消は、生産-販売-消費の循環システムで決まる
昨日案内された地産地消に特化したJA農産物直販センター「さいさいきて屋」へ。やはりモノは揃っている。まず店長さんにご挨拶。撮影開始。体育館ほどのスペース全部を使って中央に平場、周囲に商品棚、冷ケース、キッチンヤードが並ぶ(コミケの会場みたい?!)。平場には豊富な野菜類。品物が減ってくると、いつの間にか農家の人がやって来て、品物を補充していく。でっかい筍、つくしや山菜なども充実している。バックヤードにそなえつけられているPCで品物の販売状態を確認、そのデータに基づいて、各農家は追加するかどうかを決める。POSを利用し、新しくシステムを組んだのだ。とにかく、みなさん生き生きしてらっしゃるのがいい。とくに女性が元気なのもうれしい。
隣接するカフェに入って、ケーキセットをいただく。でっかいイチゴの乗っかったショートケーキ。後ろに座っているご婦人のテーブルの上には、大きなお皿のサラダ。野菜がどっさりのっている。パリのカフェでは見慣れているが、こんな地方都市で(失礼)でそんなパリの雰囲気が味わえるとは思っても見なかった。
JAらしからぬ、なんて言うと怒られそうだけど、とにかくおしゃれなのだ。さらにその隣にはレストラン。ここはバイキング形式で、煮魚、焼き魚、煮物、汁物など各人好きなだけ取って食べるしくみ。どれも新鮮な農産物、海産物を使っていていかにも美味そう。生産と販売と消費が完璧にひとつながりになっている。「さいさいきて屋」全体が、まさに地産地消を絵に描いたようなところなのだ。
次に、レストラン「ティア家族のテーブル」へ。ここは地元産の有機産物を中心にしたメニューが数十種類、ビュッフェ形式で楽しめる店。ここがまたすばらしかった。和あり洋あり中華あり。デザートやドリンクすべてが有機生産物。大急ぎで撮影をし料理にありつく。またしてもたっぷりと食べてしまった。カレーにおにぎりを沈めると暴挙にでたりして。
昨日インタビューでお聞きしたところをわずかであるが、実際にこの目で見て味わってわかったこと。繰り返しになるけれど、生産-販売-消費の循環システムがしっかりできていること。そのシステムを支えているのは、生産者と流通、そしてなによりも行政がそのシステムを理解して、はっきりとした舵取りをしているから、その循環がうまく回っているのである。結局のところ、地域再生は、やはり自治体の主導力の有無にかかっているのだなと納得したのだった。
2008年04月14日
有機農法は、日々進化しているのだ。
「美味しいまちづくり」の取材で愛媛県今治市へ。松山空港からバスで松山へ。そこから列車で今治駅。市役所に行きがてら居酒屋風の店で昼食。手作りの地産地消っぽい店。もう最後だといわれたが、つくしをいただく。市役所へ。今治市企画振興部企画課・政策研究室長・安井孝さんにインタビュー。とても自由な人だ。禁煙の狭い部屋で、それをまったく無視して紫煙をくゆらせる。しかも、ひっきりなし。じつに自由かつ豪快な人だ。「食料の安全と安心供給体制を確立する都市宣言」をし、「今治市食と農のまちづくり条例」までつくって、「地産地消」の普及に努める今治市。生産者と行政がじつにいい感じでタッグを組んで取り組んでいる。一緒に取り組んでいる地産地消推進室・渡辺敬子さんのPPのプレゼンを見た後、彼女の運転でJAの農産物直販センター「さいさいきて屋」の2店舗をサーベイ。そのあと、有機産物の生産にいち早く取り組んだ今治市のキーパーソンの一人、愛媛有機農業研究会会長・長尾見二さんに彼の畑でお話をうかがう。途中から息子さんもやってくる。有機栽培といっても、化学肥料全盛時代以前に戻すというわけではなくい。あくまでも、化学肥料を乗り越えての使用なのだ。有機栽培自体が常にデベロップしているということを始めて知った。米などは、田植えをしてあとは刈り取るまで何もしないなんてこともあるのだ。雑草の真ん中で真ん丸と結球したキャベツなども見せてもらい、ぼくは心底驚いた。雑草を抜かずにほったらかし、なのに虫がまったくつかないのだという。有機農法は、日々進化しているのである。いろいろ認識を改めなければいけないなと痛感する。
2008年04月12日
「壷中天」を都市論として読み替えるというのはどうだろうか
とある学会に発表する原稿のプランを考える。「ぽたらいぶ」の体験を頭に、これまでいくつかのぞいてきた路地とリヨンのクロワ・ルスが、なぜぼくをして興奮させ魅了させるのか。それは、そこに人の気=龍脈が流れているからであり、なによりも都市の魅力とは、その龍脈の湾曲と螺旋が、われわれの歩行(行為)を誘発し続けるからである。どんなに美しく、便利であっても、それがない都市には、魅力は感じない。まち歩きがブームである。小さなまちにも、それぞれ固有の歴史があり、民俗文化がある。それを観光資源と捉えて、ボランティアによる、まちおこしに乗り出したところがある。それをただ紹介するだけでは観光地リストにあらたな名前を加える(しかも小さな)意味しか生まれないだろう。もう一歩踏み込んで、人の気配、龍脈の発見に向かうべきではないか。ピーター・ブルックのいう「何もない空間」が大いに参考になる。ソンタグは、この「何もない空間」にブレヒトの「叙事詩的演劇」とアルトーの「残酷演劇」がフーガ的に交錯し結合する演劇の未来型を見出した。すでに古典化しつつある演劇理論から読み出し、都市の理論へダウンロードしてみたい。それは、21世紀の「今日の世界は、演劇によって再現できるか」の再演、いいかえれば、中国の気、龍脈の理論の象徴としての「壷中天」を都市論として読み替えることである。
2008年04月11日
実務家が実務家に教えるものなどあるのだろうか
エンタメビジネス今年最初の授業。10分遅れて教室に入ると5人、あとから一人加わって全員で6人。去年の半分。今回の顔ぶれは、写真スタジオの経営者、スポーツスクールの経営者、資格教育の学校で教鞭をとっている人、公務員、リゾートホテルのマーケティング担当、元商社マン。みんな、会計学、財務などの実践的なマネジメントの教育を受けている人ばかり。こりゃ、ちょっとやりにくいなぁと思いつつも、ぼく流のやりかたでやるしかない。しかし、今年は逆にぼくが勉強させられることになりそうだ。
2008年04月07日
朝、昼、おやつ、晩の4食すべて焼きそばの日。
焼きそばでまち起こしをする富士宮へ。東京は天気だったのに雲行きが怪しくなってきた。富士宮駅に降りるとぽつぽつくる。まず富士急東急ホテルに荷物を預ける。タクシーで浅間大社へ。とりあえずやきそばを賞味しようと、中華料理店「瓔珞」へ。ちゃんとありました。麺は硬め。ウスターソース、いわしの粉、七味唐芥子など好みでかける。確かに、普通店で食べるのとは違う。浅間神社の入り口にあるやきそば店を覗き、写真を撮らせてもらう。
13時よりやきそば学会会長渡辺英彦さんの取材。学会といっても学術学会でも、もちろんあっちの学会でもない。焼きそばの普及・発展につとめる任意団体だ。渡辺さん、著書でもインタビューでも、あまりにオヤジキャグ、ダジャレがすぎるので、カルイ人かと思ったら、ぜんぜんそんなことはかった。自分の立ち位置を自覚しながら、けっこうまじめに、戦略的に考えている人だった。
取材のあと、お宮横丁の学会の直営店で焼きそばを賞味する。鉄板焼きで焼くのを見る。富士宮の産のそばに、肉カス、いわしの粉、ウースターソース。これがメイドイン富士宮の焼きそばのベース。ここのは、麺がもちもちしている。ソースも学会のお墨付き。端麗辛口の冷が合うという。なので、大吟醸ならぬ、「だいびんじょう」で1杯やりながら。この酒、学会が富士宮の清酒メーカーにつくらせたもの。大吟醸にあやかって、「一種の便乗品です」ってまたしてもオヤジギャグ。しかし、「だいびんじょう」さすがにベスト・マリアージュだ。
普段は賑わう広場も天気が悪いためか、人影もまばら。それでも、何人かグループのお客さんがきたところで撮影をする。ぶらぶらと通りを歩く。渡辺さんご推薦の、駄菓子屋系の焼きそば店「うたちゃん」に入る。おかあさんが二人でやっている店。14年前に開業した。となりに小学校があるので生徒さんも来るのかと尋ねると、父兄同伴以外は禁止になったという。
ここのは、肉かすもベニショウガも手作り。肉かすをつまみにビールを飲む。さすがにお腹がいっぱいになった。ぶらぶら一駅分歩いてホテルに帰る。夜19時再び「つぼ半」へ。昼間最初に寄ったのだが、終っていた。ちょうどおかみさんが出てきて、「ごめんね、中見ていく?」とわざわざかぎを開けてくれて(というかぼくが開けて)、中を見せてもらう。それで、夜来るね、と伝えておいたからだ。
店は学生さんでいっぱい。ここは、各テーブルに鉄板があって(50年使い続けているらしい)、そこにザルに入れた麺と野菜を持って来て、おかみさんが焼いてくれる。すぐ焼き上がったが、撮影とまだお腹が減っていないので、躊躇していたらどんどん火が入って、すごく硬くなった。それでも、なんとなく懐かしい味がぼくにの口には合いました。というわけで、本日朝、昼、おやつ、晩と4食焼きそばづくしの一日だった。
2008年04月05日
「音語り」『談』公開対談のお知らせです
『談』公開対談のお知らせです。
4月22(火)、23(水)、5月7(水)に吉祥寺sound caf? dzumiにて、公開対談を行います。

ご応募をお待ちしております。
●入場料 各回1000円(1ドリンク付)
● 対談終了後懇親会を行います
参加料1回1500円(つまみ付) ドリンクは別料金になります
■定員 20名 先着順(定員に達し次第締め切らせていただきます)
■受付 メールにてお申し込み下さい。
入場希望日をお書きの上、お名前、ご連絡先、懇親会参加の有無を明記して→oubo@dan21.com へ
2008年04月03日
システム・ソリューションこそが問題なのだ
東京日仏学院へ。「かつて、ノルマンディーで」を見る。1835年に起きたピエール・リヴィーエールによる父と妹殺人事件を分析したフーコーの研究書『ピエール・リヴィエールの犯罪』発行(1974)の2年後に、ルネ・アリオがこの事件を映画化する。映画は、ノルマンディーに暮らす全くのシロウトによって演じられたという意味で話題となった。その時に助監督をしていたニコラ・フィリベールが、30年後2006年に、同作品に出演した人びとを訪ね歩き、当時の思い出を語ってもらうというドキュメンタリー作品を発表する。それが「かつて、ノルマンディーで」だ。
この映画をテキストに廣瀬純さんが講演を行った。
「「わたしの人生はへたくそにモンタージュされ、へたくそに演じられ、うまくかみ合っていない吹き替え映画のようなもの」とマルグリット・デュラスは言ったが、リヴィエールもまたフーコーに同じことを語りえたのではないか。フーコーが、リヴィエールに見出した「物語=殺人の装置」もまた吹き替え映画をなしている。D=Gは言う。「マルクスが示すのはふたつの"主要な"要素が出会うということだ。一つは、脱領土化された労働者であり、彼は自由で何も持たない労働者となり、自分の労働力を売らなければならない。もう一つは、脱コード化されたカネであり、これは資本となり、労働者の労働力を買う能力を持っている」。ここで問題となっているのは、まさにへたくそにモンタージュされ、うまくかみ合っていないもう一つの吹き替え装置のことである。言い換えれば、二重化された装置のことではないか」。
二重化された装置は、解決不能な問題として問題の出題者へと送り返される。共訳不可能な問題としての問題。もはや、解決(ソリューション)は、最も陳腐で堕落した問題への単なる注釈に過ぎない。われわれは、問題の問題こそ、問いとして生き続けなくてはならないのだ。
物語と殺人、音と映像、労働と資本、「と」によって連結する二つのもの、こと、様態…。この共訳不能な、決定不能な問題こそが、システム=社会の問題の核心である。システム・ソリューションは、じつは問題そのものからの撤退でしかないということを、肝に銘じる必要がある。問題を解決したと思った瞬間、われわれは問題そのものから滑り落ちていくのである。というようなことを講演を聞きながら思ったのでした。
2008年04月01日
ネグリ来日中止の裏の裏の裏…
あえてここでは触れなかったが、先週末は、アントニオ・ネグリが来日していろいろな催しが行われていたはずだった。
ぼくも、22日に開催されるはずだった国際文化会館の「ネグリ講演会」を予約していた。しかし、全てお流れ。「私たちを残して、飛行機は日本へ飛び立った」というネグリとジュディット・ルヴェルのメッセージがむなしくWeb上を漂流したのだった。今回の来日中止について、当然腹が立ったが、何か釈然としないのだ。わかったようなわからないような、なんともへんな気持ちがずっとしていた。そんな時に、こんな文章に出会った。『TASC monthly』でもお馴染の粉川哲夫さんの日記。なるほどこういう見方もあるのか。
粉川哲夫の雑日記