熊野純彦さんのインタビュー原稿をアップ。今回も40枚。ただ、テープレコーダーのマイクの調整をしくじって、後半部分がほとんど聴き取れなかった。回していたビデオもバッテリー切れで、途中で録画が止まっていたし。そんなんで、条件は非常に悪かったけれど、なんとかつくりました。『差異と隔たり』から、少し引用させてもらいましたけどね。で、気づいたのですが、熊野さんの文章には、「ひどく〜」とか「おいてのみ」とか「たんに」とか「端的に」とか「ほかならない」が頻繁に出現する。じつは、何を隠そう僕の文章も同じ。これは、たんに、端的に、共通する学者のエクリチュールに影響されているからにほかならない、からか。興味深いところです。
2005年02月
弊社の安藤君が広井良典さんのインタビュー原稿をアップ。昨夜さっそくチェックに出すと、本日早朝には戻ってきた。返却時間としては最速かもしれない。みなさんなんて仕事が早いのかしら。いつも発行が遅れるのは、やっぱり自分のせい?
『はだかの起原』『親指はなぜ太いのか』の著書で日本アイアイファンド代表・島泰三先生の本郷のご自宅へ。さて、インタビューは、まず東大の理学部でサルの研究を始められた島先生が、なぜアイアイの研究へと向かっていかれたのか。謎の多いアイアイの生態を調査することが自分の使命とばかりに、高い志しをもってマダガスカル島へと向かっていったのであった、という答えを期待していたら、「いや〜、〈わくわく動物ランド〉というテレビ番組があったでしょ、あれでなんでもいいから珍獣を撮影してこいっていわれたわけ、ハッハッハ」だって。「え〜、そ、そうだったんですか」。続きを読む
高橋悠治さんのミニライブがあるというので世田谷美術館で開催されている「瀧口修造 夢の漂流物」展に行く。展示室にピアノを持ち込んでのライブだ。整理券が1桁代だったので、一番前に座布団を敷いての鑑賞となった。2時ぴったりに高橋悠治さん登場。縦縞のシャツにコールテンのジャケット。いつも思うけれど、およそピアニストらしくない出で立ち。まず、今日演奏する武満徹作曲の「遮られない休息」と「閉じた眼」について簡単な解説をする。「遮られない休息」は「ゆっくりと悲しく語りかけるように」(1952年)「静かに残酷な響きで」「愛の歌」(1959年)の3曲からなる。もう一つの「閉じた眼」は、「瀧口修造の追憶に」というサブタイトルのついた曲。武満徹がこの曲を作曲中に瀧口修造が亡くなったので追悼曲になったもの。高橋悠治さんは演奏前に瀧口の詩を詠んだ。僕の位置からは、高橋さんの右の指の動きがよく見えた。ピアノの演奏については良くわからない。しかし、その動きを見れば演奏が容易いものではないことくらいはわかった。ほとんど演奏が不可能と考えられていたクセナキスの曲をピアノで弾いてしまうくらいの人だから、こんなのはわけないのだろう。最後に「もう一曲やります」と予定にない演奏を告げる。「マタイ受難曲」よりアリアで「憐れみたまえ、わが神よ」を演奏したのだ。「私を知らない」と三たび言うであろうというイエスの予言通りになってしまったペテロの深い悲しみが表現されているという、「マタイ受難曲」中最もよく知られたアルト・アリア。なんでも武満徹は朝起きるとまずこの曲を聴いていたのだそうだ。武満の2曲はもちろんよかったけれど、僕的にはこのアリアがしみた。ピアノにアレンジするなんて、よくできるものだ。これを聴けただけでも満足。なんだか付け足しみたいに言い方になっちゃいますが、もちろん、もちろん、展覧会はとてもよかったですよ。ぜひ皆さんも足を運んで下さい。
「瀧口修造 夢の漂流物」展
「瀧口修造 夢の漂流物」展
ヤバイ! すっかり忘れていた。昨日、藤部明子嬢の写真展のオープニングだったんだ。最新号に写真を掲載させてもらったおりに、ご連絡をもらっていたのに、ごめんなさいです。
会期中に必ず参りますんで、ご容赦!
ZEIT-FOTO SALON 藤部明子個展「Memoraphilia」(005年2月17日(木)ー3月12日〈土〉)
会期中に必ず参りますんで、ご容赦!
ZEIT-FOTO SALON 藤部明子個展「Memoraphilia」(005年2月17日(木)ー3月12日〈土〉)
信州大学人文学部助教授・赤川学さんと日本女子大学人間社会学部教授・吉澤夏子さんに月刊誌「**」への寄稿を依頼する。赤川さんは、昨年末に『子どもが減って何が悪いか!』(ちくま新書)を上梓。少子化対策や男女共同参画の道具に子どもを使ってはいけないという至極まっとうな意見を述べて今注目されている社会学者だ。『談』では、「日本人のセックス、日本人の身体」というテーマで、no.57号「トランス・セクシュアリティ」の特集の際にインタビューをさせていただいた。もう一人の吉澤さんは『女であることの希望』(勁草書房)等で平等な社会とフェミニズムとの関係を追究している社会学者。10数年前に、ある雑誌の編集で1年余りお付き合いいただいたことがある。お二人とも二つ返事で快諾。これでとりあえず4月、5月号はOK、一安心だ。明日は、6〜月号分を依頼する予定。
no.73号最後のインタビュー者は東京海洋大学教授・小松美彦さん。55年生まれで、僕と同じ歳だ。短髪でとても姿勢がいい。すでにレジュメを用意してあって、そのコピーを全員に配る。なかなかまめな先生だ。事前につくっておいた僕のメモはこれまで発表したものにそったものだったが、先生のは新しい内容が盛り込まれている。まず先生からまだ発表していないことを今回話してみたいという提案。もちろん大歓迎。インタビューが始まると、これまでとは全く違う展開が待っていた。続きを読む
翌日の朝刊は「大黒様」の字が踊ることになる値千金のゴール。代表初ゴールにして日本に勝ち点3をもたらした大黒のシュートに日本中が歓喜。そんな歴史に残るだろう02.09にようやく『談』no.71特集「公共性と例外状態」が発行になりました。とりあえず表紙はこんな感じ。岡崎乾二郎さんの珍しい綿布・絹の作品。なかでは昨年東川賞新人賞を受賞された藤部明子さんの写真を掲載しています。書店には明日から並びます。

『談』no.72 特集●公共性と例外状態 岡崎乾二郎さんの表紙

『談』no.72 特集●公共性と例外状態 岡崎乾二郎さんの表紙
『City & Life』no.74・特集「都市の言説を巡る旅--10のキーワードから探る都市[論]の現在」を昨年末編集した。ハード、ソフトにかかわらず都市をテーマに出版された書籍を、10のキーワードで括り直し紹介するといういわゆるブックガイド。世にブックガイドは数あるが、都市そのものを扱ったものは以外に少ない。しかも、都市計画、都市開発、アーバンデザインといった工学系だけでなく、都市史、都市文化、都市経済などの人文系も含めた総合的なガイドの試みは弊誌が始めてではないだろうか。キーワードごとに執筆者を立てて、それぞれのプロパーに執筆をお願いした。たとえば、陣内秀信さんに「江戸・東京から見る「都市論」の展開」、日端康雄さんに「都市再生論とは何か」、福井憲彦さんに「都市が語る歴史/風景が語る都市」というように。なぜ、一ヶ月もたってこんな情報を載せたかというと、「ポストモータリゼーション/マルチモーダル」という項目をお書きいただいた土井勉さんのBlog「土井勉のまちづくりステーション」で、弊誌が紹介されていたのを発見したからだ。自分でいうのもなんですが、この雑誌もっと読まれてもいいと思ってますんで、興味のある方はここにご一報を→(財)第一住宅建設協会 03-5221-5826
『ユリイカ』の編集長・郡さんと打ちあわせ。彼は『談』の「匿名性と野蛮」のediter's noteが「ですます」調だったのが気になったらしい。じつは、あの号だけと答えると、「アレっ」て感じになりました。そのあといろいろ話をしているうちに、『Heaven』や『遊』で面白かったのはコラムやキャプションで、そういうものが今の雑誌にはない。それが雑誌文化を衰退化させている。Blogに熱心なライターや編集者は、じつは雑誌を生き生きさせていたそういう「役もの」を、Blogに再生させているのでないか。そんな仮説を思いつく。雑誌づくりの面白さは、まさしくディテールにある。『ビックリハウス』の投稿も同じですよねと郡さん。まさに! 僕が一頃キャプションライティングということを主張していたのは、読者という立場からもそういうものを読みたいと思ったからである。この線で何が書けそうな気がした。
事務所に帰る途中ピエール・エルメ青山店
のオープンを目撃。さっそくマカロン8種を買った。ローズとプレジール・シュクレ(チョコレート)それにパッションフルーツが美味しい!! 今度はドゥ・ミルフィーユを買ってこよう。これはパティシェにして哲学者・ピエール・エルメが創作したいわばスイーツの「ミル・プラトー」。
事務所に帰る途中ピエール・エルメ青山店
のオープンを目撃。さっそくマカロン8種を買った。ローズとプレジール・シュクレ(チョコレート)それにパッションフルーツが美味しい!! 今度はドゥ・ミルフィーユを買ってこよう。これはパティシェにして哲学者・ピエール・エルメが創作したいわばスイーツの「ミル・プラトー」。
『生命の政治学』を読み直し取材メモをつくる。同行の安藤君とアークヒルズ全日空ホテルへ。2階のラウンジで待ちあわせ。席を確保して入り口付近で待っていると広井良典先生現われる。7年前と変わっていない。眼鏡すら一緒? いきなり、「いやひさしぶりです。『談』の「老い」の特集で取材をうけたことは良く覚えていますよ。ちょうど僕にとってはあのインタビューがターニングポイントになった。その後の仕事のアイデアがあのインタビューから生まれたんですから」とうれしいことを言って下さった。「高野史子の田辺のつるの話をしてくれましたよね」なんてことも。僕はすっかり忘れていたけれど。いずれにしても、とても好意的でした。それから、愛煙家でいらっしゃることもTASCにはウェルカム。続きを読む
2000年6月に発行した「C&L」no.56に掲載した「都市開発」年表のデータがどこかに保存されていないか探す。一緒に編集をしているS嬢は古いディスクトップ型Macの中から見つけ出したと連絡があった。こっちは、ぐちゃぐちゃになって積んであったMOの山を腑分けして、一つひとつ開いては画面に呼び出し確認すること1時間あまり。ついにそれを見つけ出した。ちゃんとtextデータで残っていた。幸いだったのはまだ4年前だったこと。20世紀、つまり2000年以前だとMOではなく、フロッピーに保存していたはずで、そうなったらお手上げだった。フロッピーディスクのドライバーそのものがもうすでにないから! いやはや、PCの急速な進化は記憶・保存量を格段に増加させたけれど、過去の記憶は逆に忘却へと押し流されていく。ストレージ技術のパーソナル化を進めて欲しい。